川辺のタヌキ
  • Author:川辺のタヌキ
  • 大阪で活動している手話通訳者。大学で芸術学部に在籍するもなぜか福祉分野へ。
    芸術を愛し、人との関わりを愛するお人よしです。
  • RSS
川辺のタヌキの独り言
川辺のタヌキの日々の雑感をとりとめも無く綴ります。
ご訪問者の方々


カレンダー

10 | 2006/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -


プロフィール

川辺のタヌキ

Author:川辺のタヌキ
大阪で活動している手話通訳者。大学で芸術学部に在籍するもなぜか福祉分野へ。
芸術を愛し、人との関わりを愛するお人よしです。


最近のコメント


最近の記事


天気予報


-天気予報コム- -FC2-


カテゴリー


月別アーカイブ


QRコード

QRコード


ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる


リンク

このブログをリンクに追加する


ブログ内検索


RSSフィード


Powered By FC2ブログ

Powered By FC2ブログ
ブログやるならFC2ブログ


「私のしごと館」廃止へ?
72500033.jpg


 晴れ。 月齢9.2 十日夜 半月

 ようやく紅葉が鮮やかに目に付くようになった感じがします。今日も銀杏の黄色や紅葉の鮮やかな赤色が風に吹かれて舞っているのがとても綺麗でした。
 通訳協会の1件については今日役所で話し合いがあったという事ですが、どんな内容でどうなったのかという事実関係がいまいちはっきりしませんので、事実関係が明らかになり次第随時ここにも書き込みたいと思います。

 平成15年に中高生や若い人の職業意識を高める為に約580億円を投じて鳴り物入りでオープンした「私のしごと館」がどうやら廃止も含めて見直される事になっているようです。この、建設費等の580億円なんですけど、どうもとんでもない高い買い物をさせられている感じですよね。人形1体(どう見てもマネキンにコスチュームを着せてるだけのようなものですが)ウン百万円っていったいどうなっているんでしょうか。年間の維持管理費と人件費を合わせて毎年20億円の赤字が出ているんだそうですけど、どうなっているんでしょうか。これ、たしか雇用保険とかで建ったんじゃなかったっけ?そもそもこの建物の中身をみると、これほど大規模にするほどのものでもな一定雨期がしてしまいますね。こんなのよりも「キッザニア」の方がよっぽど意味がある気がします。こんな費用があるのなら、もっと効果的な使い方を考えられないのでしょうか。
 こうやって意味のない無駄遣いをどんどんやったり、お手盛りで自分達の懐は肥やしておいて、福祉は切り捨て、「自立支援」と言いつつ制限を課したりする辺りは一体何を考えているのか判りませんね。

テーマ:日々のつれづれ - ジャンル:日記

天に唾する
72500030.jpg


 曇り時々晴れ。 月齢8.2 九夜月 玉鈎(ぎょっこう)

 今日は手話サークルの日という事で、先日の通訳協会の総会での決定事項等について何らかの報告が為されるだろうとの思いを持って参加したんですけどね、報告の時間の担当者の「他には報告はありませんか?」との問い掛けにも反応さえ見せず、だんまりを決め込もうとしている様子だったので業を煮やしてこちらから手を上げて前に出て、「私の報告ではないのですけど、漏れ聞くところでは通訳協会が先日臨時総会を開いたんだそうです。それについての報告をお願いします。」とネタ振りをしたんですけどね、出て来た担当者は「総会が開かれた事は事実ですが、そこでの決定事項に関しては通訳協会内部の問題と捉えています。ですから、ここで報告する必要を感じません」といったモノ。んんんんんんんん、派遣事業の返還が通訳協会の内部問題だなんていったいどんな神経をしているんだろうか。どうしても話し出しそうにないので仕方なくこちらから「漏れ聞くところによると、手話通訳派遣事業の委託を市側に返還する事に決めたそうだが、これの何処が通訳協会内部の問題だと言うのか? 障害当事者も同じ手話を学ぶ仲間も、そこには関係ないという神経はいったい何処から出て来ているのか? 派遣事業返還となると、当然ろう者に影響が出る訳で、彼らを関係ないと切り捨てる訳には絶対行かないし、手話通訳という専門領域の支援ではなくても、インフォーマルなシーンでのろう者支援の面では手話サークルの方が主流となる訳で、同じ支援団体でもあり、通訳協会のそもそもの母体となった手話サークルを関係無いというのはあまりにおかしな話ではないのか? よしんば通訳協会内部の問題がもととなって派遣事業の返還を余儀なくされているとしても、そうなった段階で既に問題は通訳協会内部の問題ではなくなっている訳で、どうして聴協やサークルに問題解決に向けての相談をしないのか? それこそが運動というモノだと考えていますが、どう考えているのか。」と問い詰めたところ、通訳協会理事連中はいかにも「困った事をいうヤツが出て来た」という表情をしてそっぽを向くだけ。結果としては「改めて時間を作るので」という事になった訳だけど、私はこの件については追求を緩める気はありません。断固問題として取りあげ、徹底的にこういった事態にしてしまった責任者をあぶり出して、責任を取らせるつもりです。
 「通訳協会内部の問題であって手話サークルには関係無い」というのは自分達が一体何をしている団体なのかという事を完全に忘れてしまっている発言で、手話サークルも聴協も関係無いなんて思っているのなら増長しているという事ではないでしょうか。通訳活動は通訳協会だけで成り立っている訳ではないという事やそれらを支え、支援している団体や人達の存在を蔑ろにしてしまえる人達に本当に通訳者としての資質が備わっているのか甚だ疑問です。
 情報保障を命題とするべき集団が、重要な問題を当事者集団にも言わず、一方的に決めてしまうなんて言うのは天に唾する行為ではないかと思うんですよね。
 ま、そうやって考えると、「資質無き集団」にこれからの手話通訳を任せていて良いのかというと、いっその事彼らを除外して新しい通訳者集団を形成した方が良いのかも知れませんね。

テーマ:日々のつれづれ - ジャンル:日記

どんな顔で復党出来たんだろ?
72500029.jpg


晴れ時々曇り。 月齢7.2 八日月 上弦 破鏡

 いわゆる郵政造反議員が自民党に復党したんだそうです。それにしても、自民党も復党した議員も節操がないというか、なんというか………。
 復党にあたって誓約書の提出を求められたんだそうですけど、それって、屈辱的なんじゃないのかね。両者共に見ているのは選挙民や国民ではなく、「次の選挙でどうすれば有利か」って言うことだけなんでしょうけど、これが国民の意識や感覚から乖離していて結果的には選挙に不利に働くんじゃないかと思うんだけども。この点に関しては小泉さんの読みは正しいと思いますよ。こういう国民感情と乖離している段階で既に「国民の代表」とは言えないと思うんですけどね。
 平沼氏は郵政民営化に対する姿勢は変えられないという事と、誓約書が嫌だって言う事で、復党はしなかったみたいですね。それにしてもね、復党した議員さんたちって、これからどんな顔で選挙民に会う気なんだろ?

テーマ:日々のつれづれ - ジャンル:日記

とんでもない話が………
72500026.jpg


 曇りのち雨。 月齢6.2 七日月 弦月

 地元の通訳協会が昨日臨時総会を開き、NPO法人の解散、手話通訳派遣事業の市への返還を決めたんだそうです。詳細については私、実は去年の今ごろ机を叩いて飛び出したので、会員じゃないんですよね。ですから、うちには総会の案内も、どういう経過でどういう事が起きているのかも連絡は無い訳です。と言う事で、家人に聴協からメールで上記の旨の連絡があってはじめて知った事実なんですよね。
 と言う事で、詳しい事実確認はまだとれていないのですけれど、どうやら内部で色々ともめ事があったようです。
 それにしてもね、通訳派遣事業の返還なんていうのは突拍子もない事で、今頃いったいどういう戦略的意図でそれを決めたんだろうかって色々と思い巡らせているところです。
 昨年の今頃の窓口設置の通訳派遣についての打診の際には「ろう者の為に・……」だなんて根拠にも何にもならない事を自分でそう思い込んで8だって、当事者には「こういう打診があったんだけど、どうしたら良いと思う?」なんていう相談は全然せずで、今頃になって根幹にある通訳派遣事業の是非についてだなんてああ、なんて時間や背景の読めない愚かな人達なんだろ・……。そうそう、「ろう者の為に」っていうスローガンは今回は振りかざさないままっていう事なんでしょうか?
 水曜日にサークルに行けば少しはよく判るのかなぁ…………

テーマ:日々のつれづれ - ジャンル:日記

コミュニケーションと共感
72500019.jpg


曇りのち雨。 月齢5.2 六日月 繊月

 朝方曇っていたのが、お昼前くらいから本格的に雨降り。冷たい雨で、冬の雨って感じでした。

 コミュニケーション能力が低下しているんじゃないだろうかっていう話題はここでも頻繁に書いている事なんですが、どうもやっぱりそう感じる事しきりなんですよね。こんなにコミュニケーションツールが充実している時代に、それとは反するように個人のコミュニケーション能力やスキルはどんどん低下しているように感じませんか?あ、低下しているっていうのとね、幼稚になっているっていうのと感じるんですよね。それと同時に、無関心や無感動っていう現象があるように思うんですよね。これらは実は関係のある現象じゃないのかと思っているんですよね。
 言語やっとその周辺の脳細胞は例えば、人がこけて痛い思いをしたり、悲しい思いをしたり、嬉しい経験をしたりといった事を目にしたり聞いたりした時に大きな反応をするんだそうです。つまりね、共感するという事やコミュニケーションっていうのは両方とも他者との関わりの中で育てられていく能力で、それらに関わる部分が近い領域に存在しているっていう事は何らかの関係があるんだろうっていう事なんですよね。これらの能力が落ちているっていうのは、つまりは社会生活の大切なスキルが低下してきているっていう事なんじゃないかって思うんですよね。
 コミュニケーションツールが飛躍的に発達しているのは事実で、例えば、携帯電話なんかでも既に一人一台は持っているような状態ですよね。スカイプなんかもかなり普及してきて何処にいても手軽にテレビ電話で話が出来たり、チャットなんかでテキストベースのコミュニケーションも簡単に何処にいても出来てしまうようになった訳で、つまり、何処にいても(相手と一緒に居なくても)コミュニケーション出来る環境っていうのが手軽に手に入る状態なんですよね。それでも、肝心のコミュニケーションスキル自体は低下している感じがするのは、どうしてなんでしょ。これね、ポイントは「相手と一緒に居なくても」っていう部分にあるんじゃないかって思うんですよね。つまり、ツールは発達してる訳ですけど、その結果、コミュニケーションそのモノがとてもヴァーチャルなモノになってきているんじゃないのかって思うんですよ。その結果、相手との共感度が低下して、自分中心の思考になり、自分中心のコミュニケーションになり、結果としてとても幼稚でお粗末なコミュニケーションしか出来ないっていう事になってしまっているんじゃないかって思うんですよね。
 少し違いますけど、ある人が、「地域社会がどんどん壊れていった原因の一つは社会が平面から立体になったからじゃないか?」って言っていたのを思い出しました。つまり、平面で構成されていた時はどうしても移動する際に同じ面を通過する訳で、そこには人との出会いや関係というのがどうしても存在していたんですよね。ところが、立体化した社会ではそういう事が減ってしまって人と関わらないで住んでしまう事が増え、結果として地域という集団が形成されにくくなっているという事なんだそうです。
 ま、うちもそうなんですけど、マンション暮らししてみると、如何に隣近所との関わりが無い(不要)かっていうのに驚いてしまうと同時に、それに慣れてしまうとプライバシーというか、「1人でいられる」という便利さに感覚がマヒしてしまうんですよね。誰にも干渉されないで自分の思いのままに出来る空間っていうのは都会(というか、今の管理社会の中)ではとても貴重な空間で、だからこそそこに執着してしまうのかも知れません。
 人と関わらずにいるとコミュニケーション能力とか相手の事を思いやる力だとかっていうのはどんどん低下してしまっても当たり前だと思うんですよね。そういう意味では、人と会って、顔を見ながら、その人の反応を生でつぶさに見ながら会話をする事の大切さというのを感じますね。

テーマ:日々のつれづれ - ジャンル:日記

お月様
DSCF6472.jpg


 曇りのち晴れ。夕方少し小雨が降る。 月齢4.2 五日月 始生魄

 月の表面に100万年前のガスの噴出痕ではないかと思われるものが見つかったんだそうです。一般的な学説によると月は30億年前に地質活動を終えていると言われていたんですよね。また、時々アマチュアの天体観測家達から月の表面で発光現象が観測されている事から、こういったガスの噴出は今も起きている可能性があるとも言われています。だとすると、月に対する評価を変えなければいけないという事になってきますし、将来の月基地での地震対策なんていうのも考えなきゃいけないかも知れませんね。
 月という天体は、私たちにはとても馴染みが深く、極々ありふれた天体という印象が強いのですけど、実は結構特徴のある得意な天体なのかも知れないと見直され始めています。
 今年のIAUの総会では「惑星の定義」というのが大きな話題になった訳で、その結果、冥王星は惑星の地位を追われて「矮惑星」といった種類に分類される事になった訳ですけれど、実は惑星の定義ははっきりしましたけど、衛星はっていうとまだまだ曖昧な所があるんですよね。一般的な定義では「惑星や矮惑星などの周りを回っている天体」となっているだけで、細かい定義っていうのはないんですよね。別に、それで困る事はない訳ですけど、それはいってみれば太陽系ではっていう事なんだと思うんですよね。
 「惑星などの周りを回っている天体」っていうのも、どちらが回っているかっていう問題がある訳ですけれど、太陽系の中では惑星と衛星の大きさが圧倒的に違う場合が殆どなので、それほど問題にはならない訳ですよね。ところが、主惑星と衛星の大きさの比でいうと、月と地球の大きさの比率っていうのはちょっと特殊なんですよね。月と地球の大きさの比は1:4ですが、その次に比率が近いのはトリトンと海王星ですけど、この場合は1:800と圧倒的に海王星の方が大きいんですよね。こういう事から一部の学者は月は衛星ではなく、地球と二重惑星を成しているという意見もあるそうです。ま、でも、質量面でみた場合、1:80という差がある訳で、質量的にはかなり違う訳ですし、地球と月の質量の重心は地球の地表下にある為に二重星とはみなせないとする意見が多いようです。
 昔は、月って、地球の周囲にある塵が集まって出来たっていわれていましたが、最近では地球に大きな天体が衝突してその際にちぎれた部分が固まったのが月だといわれています。これ、とんでもない現象ですよね。
 月の本格的な研究はこれから各国が競走を始める事になるようで、アメリカ、欧州、ロシア、日本に今後は中国とインドが交じって大競争時代に突入する事になりそうです。

テーマ:日々のつれづれ - ジャンル:日記

「オーセンティック(正統的)な日本食」って何だ?
DSCF6480.jpg


 曇りのち晴れ。月齢3.2 眉月 

 パリで今第2次の日本食ブームが巻き起こっていて、沢山の「寿司バー」が開店しているんだそうです。ブームに乗って、日本人以外の外国人が寿司バーを開店したりっていう例が増えているんだそうで、そういう所ではホントの和食ではあり得ないようなものが平然と出されているという事で、ジェトロ(独立行政法人日本貿易振興機構)等の音頭で、「日本食レストラン推奨制度」というのが作られるんだそうです。これは、「オーセンティック(正統的な)な日本食」を提供するレストランを推奨する制度なんだそうです。それにしてもね、「正統的な日本食」って、一体何をしてそう定義しようというのでしょうか。確かに、日本人が食べるとすると、本来の日本食からはかけ離れたような食材や調理法で作られた「日本食」は違和感を感じると思いますけど、食べ物って、大切なのは「食べる人が美味しいと感じるかどうか」なんじゃないかと思うんですよね。そういう意味では、「日本食レストラン推奨制度」って言うのは日本人を対象とした制度なんじゃないかっていう気がしますね。
 その店の経営や調理に日本人が関わっていないからって、それをもって「正統的ではない」なんて言い始めたら、日本のピザ屋の大半が「正統的なピザではない」って事になる訳ですよね。それ以外にも例えば日本にあるフランス料理店にしても大半は日本人の味覚にあうようにアレンジされている訳で、そういう「ローカライズ」とか「フィッティング」っていう工夫があって、初めて受け入れられ認知されていくんじゃないかって思うんですよね。つまり、「正統かどうか」なんていう事が大切なんじゃなくて、(食べた人にとって)「美味しいかどうか」の方が大切だと思うんですよね。つまり、こういう制度を考えている人って、何が大切なのかっていう根本の部分を見ていないんじゃないかって思うんですよね。

 根本を見据えていないという意味では、郵政造反議員の復党問題に関して中川政調会長は「政治には情っていうモノがあるんだと思っている」という言い方で、復党への賛成を暗示しているつもりのようですけど、「政治の情」って、政治家同士の間に存在するものではないと思うんだけど、どうなんだろ?こういう使い方をしているから「身内には甘く国民には厳しい政治だ」なんて言われるんじゃないのかなぁ。むしろ、身内には厳しくして身を律し、国民に対して情を持って処するって言うのが政治家のあり方なんじゃないのかと思うんですけどね。この人も失言の多い人というか、無責任な発言が多いように思いますね。
 核の議論についてはそもそもは、「アメリカが日本をどんな事があっても守るかどうかは判らないから自前の核武装を」というような話の中から出て来たものだったんじゃなかったっけ。だからこそ、核保有ありきなのかどうかであれほどもめた訳で、「どうして核武装をしてはいけないのか」なんていう議論は既に国民の中(特に広島や長崎)では今でもされているんだと思っています。で、バッシングにあった途端にトーンダウンしてしまうから「核議論」に関する議論の中心にあったものが見えにくくなっちゃう訳ですよ。こういう人に政治を任せていて大丈夫なんでしょうか?(って思えるような人は沢山いて、中川氏なんていうのはその中でもまだかなりマシな方だとは思いますけど)
 国民ありきではなく、仲間ありきで政治をしている政治屋さんならではの発想という事なんでしょうか。自民党さん(自民党さんだけじゃないけど)、造反議員がどうのこうのっていう次元の話じゃないんですよ。こういうそもそも「議員の役割は何なのか」という根本的な次元であなた達の姿勢が間違っているんだっていう事に早く気付くべきだと思いますけどね。

テーマ:日々のつれづれ - ジャンル:日記

勤労感謝の日
DSCF6466.jpg


 曇り。今にも降り出しそうな空模様。 月齢2.2 三日月 若月

 今日は勤労感謝の日なんですけれど、「勤労感謝の日」って、「勤労をたっとび、生産を祝い、国民互いに感謝しあう」事を趣旨として1948年に制定されたものなんだそうで、戦前の新嘗祭(にいなめさい)の日付をそのまま勤労感謝の日にしたんだそうで11月23日という日付にはそれほど意味はないんだそうです。
 「勤労を尊び、生産を祝う」という事について、現在の社会はどう考えているんだろうか。「ホワイトカラー・エグゼンプション」というモノが導入される事になりそうなんだとか。これが導入されると、一定額以上の収入のホワイトカラーは労働時間に関係なく、賃金が一定になるんだそうです。つまりね、残業代がつかなくなるっていう事なんですよね。これの導入は経済界からも要望が出ているそうで、人件費という最も大きなコストを抑制する事で、企業の収益性を上げようっていう事のようです。つまりは、企業側、経営者側の理屈っていう事ですよね。方や、戦後最大といわれたイザナギ景気を抜く勢いの好景気と言われる中で、労働者を犠牲にしなきゃいけない企業というのはいったいどうなっているんでしょうか。これ、国民に犠牲を強いつつ自分達は良い思いをしている官僚とたいして変わらないっていう気がしますね。というか、ホントに好景気な訳?
 ホワイトカラー・エグゼンプション、悪い面ばかりではないのも事実で、残業が関係なくなるのと同時に、基本的に労働時間にはよらないという事になるんですよね。つまり、8時間以下の労働でも、成果さえ上げていれば問題はないという事でもあるんですよね。つまり、成果さえ上げていれば労働時間は考慮しないって言うことで、究極の成果主義って言うことなのかも知れませんね。ただ、成果が数字や形で解るような仕事ならまだしも、間接部門で成果が見えにくい部門なんかだと難しいですよね。それに、ここのところのリストラで部門の統廃合なんかが進んだり、管理職を減らすなんていうのも進んでいる上に、マネジメントをする立場の人間の責任分担も増えている中で、こういう事になってくるとどんどんいわゆるサービス残業が増える事になるんでしょうね。これによって格差はますます大きくなっていくんじゃないでしょうか。
 就労に関わる規定がどんどん変わりそうです。どうやら副業を認めるなんて話も出てきているようで、それはつまり、一つの仕事だけでは生活出来ない状況を容認した上で、「じゃ、もっと働けばいいじゃん」って事ですよね。その上、いくら働いても給料は一緒だって言い出したら、どうやっても生活は良くならないっていう気がするんですけど………。
 まじめに頑張っている人が報われない社会っていうのはどうなんだろ?

テーマ:日々のつれづれ - ジャンル:日記

Convenience
DSCF6450.jpg


 晴れ。 月齢1.2 既朔 

 NTTの固定電話が赤字だっていう事で、その分を通信各社が負担する事になりそうなんだそうです。その結果は当然ですが、各通信端末の利用者に負担が行く訳で、月額7円程度の負担になりそうなんだとか。固定電話は全国一律サービスの維持が法律で義務づけられているんだそうですが、地方では採算が取れない状態になっていて、都市部にその分の負担が回っていたんだそうです。このコスト格差はまだまだ広がっていっているようで、この制度が無くならない限り、赤字の補填はこれからも膨らんでいく事になるんじゃないでしょうか。って、通信のありようがドラスティックに変化しているのに、こういう制度ってどうなんだろ? 不採算地域って、それこそネット回線を利用したIP電話に切り替えちゃった方がいいんじゃないのかな? っていうか、既に固定電話の加入数よりも携帯電話の契約数の方が多い訳で、そういう意味では固定電話のユニバーサルサービスって役割を終えちゃったんじゃないかって思いますね。電話回線を利用してインターネットを利用していた時代から今やその逆でインターネット回線を利用して電話(IP電話)しちゃおうっていう時代なんだから、もっと見方を変えないといけないんじゃないでしょうか。
 と、ここまで書いてふと思ったのは、この次は郵便事業でこれと同じ事が起こるのは火を見るよりも明らかなんじゃないのかって事なんですよね。利用数の少ない所ではコストが高くつくのは当たり前で、それの補填を税金でしようっていうのならそもそも郵政の民営化なんて意味ないんじゃないのかって思うんですけど、どうなんでしょうか。

 全く違う話題ですけども、ゲームのレベルアップを代行する会社があるんだそうです。なんと、レベルアップ、1万円からレベルや内容に応じて値段も違っているんだそうですけど、依頼の殆どがだいたい8万円から50万円(!)のコースなんだそうです。
 それにしても、コンビニエンスというか…………。う〜〜ん、どうなんだろ、こういうのって、苦労してレベルを上げていくっていう所が面白いんじゃないのかなぁ。ま、ガイドブックくらいはね、あった方がいいかなとか思うけど、お金を払ってレベルを上げて貰ってってなるともう「それは誰のゲームなの?」って感じですよね。ヴァーチャルな世界だとはいえ、経験さえもお金で買うっていう風潮は私個人としてはあまり良いように思えませんが、ビジネスとして成立するくらいにそうやってコンビニエンスに楽しみたい人っていうのは多いっていう事なんでしょうね。それ、ホントに楽しいのかなぁ。
 何だかね、何でもかんでもコンビニエンスに済ませてしまおうっていうのはどうにも違和感を感じてしまうのは、歳をとったっていう事なんでしょうかね。

テーマ:日々のつれづれ - ジャンル:日記

揺れる
DSCF6427.jpg


 晴れ時々曇り。 月齢0.2 朔 新月

 国会が教育基本法で揺れています。というか、結果的には自民党による与党の強行採決という事になった訳ですけれど、この責任、私は民主党にあると思っています。というかね、昔から思っていたんですけど、思う通りにいかなさそうだからって採決拒否して議会を欠席するっていうのはつまりは職場放棄っていう事でしょ。それで給料を貰えるサラリーマンなんていませんし、サラリーマンがこんな事すれば、場合によっては解雇もありうると思うんですけどね。国会議員はそうはならないって、それもなんだかね。せめて、働く事を拒否した訳だから、その分の歳費は返還するとかしなきゃダメなんじゃないのかなぁ。思う通りにならないから参加しないって、これ、幼稚園児や小学生と同じレベルじゃないですか?こういう事してるから民主党の人気がどんどん下がるんじゃないのかな?
 とはいえ、自民党の方も揺れているようです。
 来年の参議院選挙を睨んで、昨年の選挙の際に除名処分にしたいわゆる「郵政造反組」を復党させようとする動きですけど、多くの国民は「それはおかしいんじゃないの?」って思ってると思うんですよね。ただし、小泉チルドレンがこれに反対して動きを見せているっていう部分に関しては違う思惑が見えている訳で、その部分に関しては小泉氏のいってる通り「議員は使い捨てを覚悟するべき。甘えるんじゃない」って意見に賛成です。ま、去年の選挙は小泉人気という大波に乗りまくって大躍進した訳で、次回の選挙は必ずといっていいくらい自民党は議席を落とすだろうと思っていますし、その多くは小泉チルドレンなんだろうなって思っています。あのお気楽太蔵クンとかピンク色の人とかはほぼ確実にいなくなるんでしょうね。ピンク色の人はその辺の事がよく判っているから小泉さんがあれほどダメだって言っていた派閥に入ったりして保身に務めているんでしょうけど。
 ともかく、どうやら郵政造反議員を復党させるという方向が固まりつつあるようですが、これ、つまりは自民党が元の体質に戻りつつある事の証明なんでしょうね。そして、それでは(体質を変えないと)ダメなんだっていう事が身に染みていなかったって言うことなんでしょう。国民感情や意識との乖離がこれからどんどん大きくなっていくのでしょうし、自民党は造反議員の表を見込んでいるんでしょうけれど、結果としてそれは小泉さんの言うとおり自民党の為にはならないんでしょうね。かといって、造反議員の復党をやめにしたとしても、小泉チルドレン達の再選っていうのはなかなか難しいんじゃないかって思うんですけども。
 それにしても、野田聖子って、太ったと思わない?

 asahi.comに「レーザー光で『にせの星』」っていう記事が出ていたのでよく見てみると、マウナケアのすばる望遠鏡に関する記事でした。このblogでも書いた事がありますけど、すばる望遠鏡は世界最先端の光学制御技術を使っています。この最先端技術の一つに「補償光学」というモノがあります。これは、星の揺らぎの状態を測定し、それに合わせて鏡面を「アクチュエーター」という指で押して鏡面を変形させ、揺らぎを無くすというものです。いってみれば車のアクティブサスペンションみたいなものなんですけれど、これによりほぼ理論値に近い性能をひき出す事が出来ます。従来の補償光学技術には観測対象の星の近くに基準星が必要だったんですけど、基準星がない場合にはこの技術が使えなかったんですよね。ところが、すばる望遠鏡の補償光学系にはレーザー光線によって基準星を疑似的に作り出す「レーザー補償光学」という装置が付けられてるんですよね。この技術は新しい技術で、これにより基準星がない対象の星でも観測精度が飛躍的に上がるようになります。
 マウナケアには世界中の多くのとても大きな最先端の天文台があります。すばる望遠鏡はその中でも最大クラスの望遠鏡で多くの観測成果が期待されている望遠鏡なんですよね。ほぼ理論値に近い観測精度をひき出せるっていう事はハッブル宇宙望遠鏡以上の成果が期待される訳で、最も遠い銀河の世界記録の更新など現実に新しい事実が確認されてきています。
 揺れといえば、こないだの地震(10月15日のハワイ島北勢沖地震)の影響で駆動系の精度に関わる影響が出ていましたけど、点検と整備が済み、見学も観測も再開されたようです。
 いつか見学に行ってみたいものです。

テーマ:日々のつれづれ - ジャンル:日記

繋がり
DSCF6458.jpg


 雨のち曇り。 月齢28.9 三十日の月

 エアバス社のエアバスA380が成田空港へ試験飛行の為に立ち寄ったそうです。
 この「空飛ぶ豪華客船」とも呼ばれるA380は最大で850人(全てエコノミークラス仕様)を載せる事が出来るんだとか。豪華仕様には降るフラットのベッドだとか個室だとかバーラウンジもあるんだそうですけど、総二階建ての機体、凄いですね。何だか幼い頃に見た「サンダーバード」の世界みたい。
 現代の旅客機って、実は結構燃費が良くて、一人当たりの燃料消費で比べると3リッタークラスの自動車とたいして変わらないんだとか。燃料効率という面でも大量輸送出来るこの機体は性能が良いんでしょうね。
 残念ながら日本の航空会社は近年では中型機への転換を進めている(空席率を減らす事で運用効率を上げる為)関係でこの機体の導入予定が無いそうですが、シンガポールエアラインが日本への乗り入れを計画しているそうですから、運用開始後、日本でも見る事が出来るようです。
 それにしても、飛行機っていうのはある意味で完成の域に達しているというか、画期的な変革っていうのはなかなかないですね。いやいや、実際は試験運用段階では色々と革新的な技術の開発というのがされていて、例えば、「前進翼」なんていうのもNASAのXシリーズやアメリカの軽戦闘機「F-20」等では実用化されていて、機体をアクティブにコントロールし、より自由度の高い運動性能を発揮出来るとされていますが、コスト的な問題などから一般的にはなっていませんし、エンジンに関しても、現在のジェットエンジンを凌ぐ革新的なエンジンっていうのはなかなか出て来ませんよね。私が子どもの頃、21世紀にはヨーロッパやニューヨークまで2時間で行けるような旅客機が開発されるとか、垂直離着陸が可能なパーソナルジェットがもっと普及しているだろうとかって言われていましたけど、まだまだ総言うモノは出て来ていませんし、飛行機のデザインもそれほど変わっていませんよね。尤も、私が子どもの頃って、21世紀には人類は月にも沢山住んでいて、地球と月はシャトル瓶で結ばれている(当然ラグランジュ点には宇宙ステーションが建造されていてそこにも沢山の人が暮らしているはず)だったんですけども、月へはこれから再チャレンジをしようという段階で、当時の未来予測からはかなりかけ離れた(立ち遅れた)状態ですよね。ただね、その頃もっと予想出来なかったのは、実は、携帯電話の普及なんですよね。

 携帯電話の普及は、つまりはコミュニケーション環境の濃密化であったり人との繋がりの強化といった面でもあろうと思うんですけども、実際にはコミュニケーションって濃密になっているんでしょうか?私は全く逆で、人間関係のコンビニエンス化の方が目立つような気がするんですけどね。

テーマ:日々のつれづれ - ジャンル:日記

子ども貴族
DSCF6462.jpg


 雨。冷たい雨。 月齢27.9 二十九夜 晦

 子どもの問題というか、子どもをとりまく環境などが問題になっている訳ですけど、考えてみると、子どもって、現代の日本では貴族なんだなぁってふと思ったんですよね。
 子どもの人権や権利を擁護するっていう動きはとても大切なのかも知れませんけど、それと共に子どもには何の責任も無いとか判断する力が無いなんて言って擁護されているのも事実なんですよね。その結果、責任を何ら伴わない権利や理不尽で傍若無人なおこないというのも増えているように思います。封建社会の貴族階級にも責任というのは伴っていた訳で、その意味ではもしかしたら現代の子どもっていうのはそれ以上の立場にあるのかも知れませんね。
 これは日本に限った事なのかも知れませんが、例えば学校で教師が生徒を叱るという行為に関しても様々な制限が課されているようで、子どもが悪い事をしてもなかなか叱れないという構造があるようですし、子どもたちはそういう状況を十分に判った上で教師や大人たちに対して権利の主張や無理を主張し、それを通してしまっている感じがするんですよね。「無理が通れば通りが引っ込む」といいますけど、現在の子どもたちの周囲はそういう事が多層的に起きているんじゃないでしょうか。
 子どもは守られるべき対象であると思いますけど、同時に、躾けられるべき対象でもあると思うんですよね。躾けには様々な方法や段階があるでしょうが、初期の段階が十分になされていない(つまり訓練されていない)状態だと、その先を望むのは難しいでしょう。「殴ってはいけない」「叩いてはいけない」「体罰はいけない」というのは基本的には正しいでしょうが、画一的にどんな状況でもそうなのかというとそれは違うように思います。それは少年法の改正によって場合によっては未成年でも成人と同じように罪に問われるという事と同じだと思うんですよね。
 権利と義務(責任)については子どもであろうと大人であろうと同じだと思うんですよね。それは北朝鮮にしても同じですけれど。というと、まるで子どもが北朝鮮化しているみたいですけど(そうだとすると恐ろしい)。
 現代では子どもという貴族に大人という奴隷が仕えているという状態なのかも知れません。

テーマ:日々のつれづれ - ジャンル:日記

悲劇は悲劇を呼ぶのでしょう
DSCF6434.jpg


 晴れのち雨。 月齢26.9 下弦後の三日月

 昼過ぎから突然雨が降り始める。確か天気予報では明日が雨っていってたような気がするんだけど………。

 昨日がロダンの命日だった事からロダンについて少し書いた訳ですけど、私自身はロダンよりも彼の最愛にして最高の弟子で愛人だったカミーユの作品の方が好きなんですよね(といっても、実は写真だけで現物をつぶさに見た事はありませんけど)。カミーユ・クローデルという悲劇の女流彫刻家の作品はあまり現存していません。それは彼女自身が彼女の苦悩の末の作品を壊してしまったからです。「ロダンが私の作品を奪いに来る」彼女はそう言いながら自らの作品を壊し続けたとか。
 カミーユの精神をそこまで追い込んだのがいったい何だったのかという事については研究者達によって少しずつ見方が違うようですが、おおよそロダンの優柔不断さも一因だとする意見が多いようです。カミーユはロダンに「奥さんをとるのか私をとるのか」と何度となく問い詰めたようですがその度にロダンは言葉を濁し、有耶無耶にしていたようです。
 どうしてそんなに優柔不断だったのか。作品については妥協を嫌い、徹底して突き詰めて制作するというスタイルだったようですが、事、女性関係については多くの女性と関係を持ち、それでいていつも優柔不断で妻のローズの尻に敷かれ、それでいてローズの庇護下にいる事を望んでいたようでもあります(とはいえ、実はこのローズとの結婚は最晩年で、亡くなる9ヶ月前に正式に婚姻手続きをしたようですが)。ロダンの女性に対する優柔不断さの背景に何があったのか、その一つがもしかすると、姉の自殺にあったのかも知れません。彼の姉、マリアはロダンの友人の画家との恋に破れ修道院に入ったものの心の傷が癒しきれず自殺という道を選んでいたんですよね。彼は姉の死を自らの責任だと思っていたようです。この事が、もしかしたらカミーユを始めとする女性への優柔不断な態度の根底にあったのかも知れません。でも、それが結果としてカミーユの精神の崩壊を招いたとすると、とても悲しい事ですね。
 ロダンはローズの死後、つまり、最晩年、「パリに残した若い方の妻に逢いたい」と言っていたそうです。彼もまた、もしかするとカミーユの呪縛から逃れられなかったのかも知れませんね。
 お互いに愛し合いながら、それを現実のものとする事が出来ず、それゆえにカミーユは自己の作家としてのあり方にさえ悩み、苦しみ、やがて自らを破壊していったのでしょうか。

テーマ:日々のつれづれ - ジャンル:日記

哲人の死
DSCF6436.jpg


 晴れ。 月齢25.9 下弦後の三日月 

 美術界を革新的に前に推し進めた人というのは沢山いる訳で、例えば「ダ・ヴィンチ・コード」で一躍有名になった(それでなくても有名でしたけれど)レオナルド・ダ・ヴィンチは人体の構造を科学的に理解する事で表現をより緻密で正確にし、肉体の上にある衣服などの表情を繊細に表現する事に成功しています。また、身体の構造を理解する事は彼の様々な発明などにも影響を及ぼしていたようです。
 人の身体を理解するという事では近代彫刻の父といわれるオーギュスト・ロダン(フランソワ・オーギュスト・ルネ・ロダン(1840年-1917年))も筋肉がどうついているのか、骨格がどうなっていて人の身体はどう動くのかを理解し、それらを表現していた訳で、それこそがロダンの彫刻と彼以外の作家による彫刻の大きな違いだったのではないでしょうか。彼が表現するポーズは身体の形や筋肉の動きをより奇麗に見せる為にとられたものが多く、それ故に複雑で難しい身体の形が沢山あったようです。
 彼に影響を受けた芸術家はそれこそ星の数ほどいる訳ですが、彼の最愛の弟子であり愛人であったカミーユ・クローデルもその一人で、そしてそれこそが彼女の人生を狂わせてしまう事になる訳です。彼女以外にも、高村光太郎もその一人です。高村光太郎は彫刻家、詩人として有名ですが、ロダンの研究家としても活躍した人で、ロダンから多大な影響を受けています。
 不思議な一致ですが、高村光太郎の愛した妻・智恵子は実家の破産などにより心身を害し、統合失調症を発病しています。そして、おそらくロダンがこの世で一番愛したであろうカミーユもロダンとの愛と自らの芸術へのひた向きさとの狭間で発狂し精神病院でその生涯を閉じています。
 実は、今日、11月17日はオーギュスト・ロダンの亡くなった日です。1917年11月17日にロダンはその77年の生涯を閉じています。カミーユはこの年、既に精神病院の強制入院させられていて、ロダンの死を知らないままでした。

テーマ:日々のつれづれ - ジャンル:日記

予測の難しさ
DSCF6432.jpg


 晴れ。寒い一日。 月齢24.9 二十六夜 鎮静の月

 昨夜の津波警報は私の住んでいる地域には影響なかったのですけれど、それでもビックリでしたね。日本ではたいした被害も無かった(アメリカでは1メートルを越える高さの津波があったそうですが)ようですが、それでも警報の解除後にも津波が来たり、警報の出ていなかった地域にも明らかに津波(という課すいいの急激な変化)による影響と思われるものが観測されたり、時間もかなり遅れて達していたりと複雑で難しい予測の様子が見えてきたようです。
 それにしても、おそらく津波の研究は世界でも日本がかなり進んでいるはずなんですが、それでもこういう事になる辺りがやはり自然は恐ろしいっていう感じですけど、津波の怖さについてももっと我々も考えるべきなんでしょうね。
 避難勧告の出ていた地域でも避難せずに家にいた住民も多く、「たいした事ないと思ったから」等と津波に対する認識の甘さというのも浮き彫りになったように思います。現実にはたいした事なかった訳ですけど、もしも、これで人命に関わるような被害が出ていた場合、被害を受けた住民は行政を責めるのでしょうか?それもなんだかねぇ。「たかが50センチ程度の津波」とみる向きもあったようですが、現実問題として50センチの深さの水が流れる中でそれに逆らって立っていたり動いたりなんていう事は不可能なんですよね。だからこそ、警報や避難勧告を出している訳で、それに従わなかった結果として何らかの被害を受けたとしたら、それはもう自己責任だと思うんですけどね。

 北朝鮮が、「これ以上不当な制裁を続けるのなら追加の核実験もありうる」というようなコメントを発しているようです。また、「アメリカによる不当な経済処置への対応として核保有国として(上記のような事は)妥当なもの」とも言っているそうですけど、そもそもアメリカの経済制裁は北朝鮮による偽ドル発行が原因で、それさえなければそういう事にはなっていないという点を抜きにして自国の都合だけを説いている訳で、全くもって子どもの言い訳にさえ達していないもの。こんな幼稚なレトリックが世界に通用する訳は無いという事ぐらいはおそらく北朝鮮当局も解っているんでしょうから、これらの一連の発言は国内向けのパフォーマンスっていう所じゃないのかと考えています。国内向けの虚勢を張れば張るほど国際的な立場がなくなっていくんだけども、そんなことはお構いなしっていう事なんでしょうね。
 それにしても、アメリカは国内事情が変わってきた事もあって、イラク政策をどうする気なんでしょうか。ラムズフェルド氏の退場は表面的にはブッシュ氏のイラク政策の失敗を認める形になっていますが、だからといってそれがイラクからの撤退を意味している事にはならない訳で、新任の国防長官はパパブッシュ氏との繋がりも強い人のようですから、もしかしたら更に強硬策に出る可能性もあるかも知れません。そうなると、国内的にもっともっともめるでしょうから、北朝鮮どころではなくなるかも知れませんね。
 安倍氏は北朝鮮の核武装化によって一番危機感を感じているのは日本であるかのように言っていますが、北朝鮮が核武装する事で一番脅威を感じているのは韓国なんですよね。韓国も実際はもっと強行姿勢に出たいのかも知れませんけど、同じ民族だけに、どういう行動に出るのかの予測がつくのかも知れませんね。だからこそ、慎重に構えているのではないでしょうか。日本としても態度というのも大切ですけど、韓国の事情を汲みながらという視点も大切なんじゃないでしょうか。

テーマ:日々のつれづれ - ジャンル:日記

体裁作りって事でしょうね
DSCF6411.jpg


 曇り一時雨。 月齢22.9 鎮静の月 有明の月

 タウンミーティングの「やらせ問題」が大きく取りあげられていますけど、こういう事言うとあれかも知れませんが、「ああ、ヤッパリなぁ」って感じです。私はタウンミーティングに行った事ありませんけど、地元の公聴会などを観ていても同じような感じというか、「匂い」ってありますよね。結局こういうのは「手続き」として利用され、「皆さんのご意見はこういう方法で何度もお伺いした上で検討した結果がこうです」っていう体裁作りなんだと思うんですよね。小泉さんの胡散臭さはもとより、安倍さんに関しても興醒めっていう感じですね。尤も、この1件は小泉さんの政権下での事が大半ですが、それでも、安倍さんは官房長官だった訳ですしね。

 私の地元では来年(今年度ね)の成人の集いの開催方法に関して従来は近くの遊園地で開催していたものが、今年はイベント会場が他の行事で使えない事から急遽、遊園地での開催を取りやめて、市側は突然「各地域の中学校で地域毎に開催します」なんて言い出したモノだからもう大変。珍しい事に今回の事では当該の新成人も結構怒っているようで「中学校にはいやな思い出しか無いから行きたくない」とか「引っ越ししてきて中学校には知り合いがいない。行っても楽しくない。」とか、様々な反対意見が出て、急遽二回の意見交換会が開催され、市長や副市長も参加したそうですが、果たしてどうなる事やら。従来の成人の集いがどれくらいのコストで開かれていたのか判らないけど、中学校区毎の開催にしてコストダウンになるとはどうしても思えないんですよね。それでも、校区毎開催に拘るのは建前上は「家族や地域で新成人を祝う場にしていこうと、市内の19の市立中学校ごとに開催」だとか、「地域における青年の力が高まり、地方分権にふさわしい枚方のまちづくりにつながる成人式」とかっていっていますけど、額面通りに受けとっていいのか、疑問が残る所です。
 「地域に参加」という事を謳っている訳ですけど、それにはそれに見合った「仕組み」や「しかけ」が必要な訳で、そういうものを用意しないままに人を集めてみた所で何も動かないと思うんですよね。その辺りに何のビジョンもないのが現行政の(そして現市長の)問題点なんだと思うんですよね。来年は統一地方選挙がある訳ですけど、市長は再選するのでしょうか?そろそろ新しい人になってもいいと思うんですけれど。

テーマ:日々のつれづれ - ジャンル:日記

企業は誰のもの?
DSCF6426.jpg


 11月っていう感じの肌寒い一日。今週はこんな感じの寒い1週間なんだとか。

 自殺に関してはここでも何度か取りあげているんですよね。どんどん深刻化する自殺問題は、今回の学校の苛めの中でも大きな問題になっています。苛めの問題では苛められた当事者の「イジメに対する逃避行動としての自殺」と、現場責任者としての校長の自殺のような「管理責任者としての呵責(苛めは無かったとする誤魔化しと現実問題としての苛めに対応出来なかったという事などへの)としての自殺という二つの面を表わしています。これね、社会の縮図そのものっていう気がするんですよね。
 自殺者は年間3万人を超えています。これ、「交通戦争」といわれて交通事故犠牲者を無くそうというキャンペーンが始った頃の交通事故死者数を越えてしまったんですよね。これはとんでもない事なんですよね。こうなると国の政策として自殺者の問題に取り組むべき時なんじゃないかって思うんですけどね。ただ、交通事故死と比べて難しいのは、方や「交通事故」という具体的な死の原因が特定されているのに対して、自殺はその死に至る原因(いわゆる「死因」ではなく)が多岐に亙っている訳で、それぞれの死に対応するには個別の対応が丁寧に為される事が大切になると思うんですよね。ところが、おそらく今の行政はそんなに手の込んだ市民サービスをしようなんて気持ちは更々無いでしょうし………。
 自殺者の年齢構成を見てみると、現在自殺者で一番多いのは50〜54歳のいわゆる壮年期の男性で、この世代の男性の生きにくさを象徴している数字かも知れませんね。
 これらの生きにくさの原因は何なんでしょう。その一因に上げる事が出来るだろうと思うのが就業環境や経済的状況の厳しさなんじゃないでしょうか。
 イザナギ景気を越える好景気だなんていわれている反面、年収300万円時代なんて事もいわれていますし、現実問題としてリストラや非正規雇用という就業スタイルが増えている中で、この年代の男性は厳しいんでしょうね。消費者(生活者)や労働者に好景気が現実として実感されないのは資本の再集約が進んでいる結果でしょうし、企業が一人登美を独占している構造なんですけど、果たしてそれで健全な社会なんでしょうかね。
 「企業は誰のものか?」という議論の中で「株主のもの」という答えが多い昨今ですけど、ホントにそうなんでしょうかね。株主のものではないとは言わないけど、それ以上にそこに務め、そこを良くしている従業員のものなんじゃ無いかって思うんですよね。
 いずれこういう不当とも言える安い金額で雇用され、厳しい条件で就労を余儀なくされている従業員(労働力)はやる気そのものを無くしてしまうでしょうし、そうなるとその企業はどうなるんでしょう。そう、もう潰れるしかないと思うんですよね。

テーマ:日々のつれづれ - ジャンル:日記

権利と義務
DSCF6381.jpg


 晴れ。 月齢21.9 下弦の月 二十三夜月

 パソコンがここのところあまり調子よくなくて、最近はネットワーク環境のトラブルが続いています。どうしたんでしょうね。

 中間選挙で上・下院共に大敗したブッシュ大統領はラムズフェルド国防長官を更迭した訳ですけれど、どう見ても中間選挙で負けたブッシュ氏によるスケープゴードっていう気がしますよね。自らへの責任の言及をこれにより断って、新長官下によるイラク政策の路線変更を打ち出す事で延命しようっていう事なんでしょうけれど、どれだけ効果が上がるのかはとっても疑問ですね。

 教育の現場での問題がずっと続いています。昨夜も小学生と中学生が自殺し、小学校の校長が自殺するという悲しい出来事が起きています。自殺した中学生の通っていた学校の校長は「イジメがある事を知りつつ『金銭トラブル』と報告していた」という。これほどまでにイジメの問題が取り沙汰されている中、「イジメを顕在化させて正面から対応する事が大切」とあらゆる場所で言われている中で、それでもまだこうやって隠そうとする体質があるというのが教育の現場なんだと改めて教育現場の体質の酷さを感じます。それにしても、「恐喝・カツアゲ」を「金銭トラブル」と言い換えるその感覚はいったい何だろう? そうやって子どもを守っている気なんだろうか? そうやって子どもを甘やかす事が結果として子どもをダメにしているんじゃないのだろうか? 犯罪は犯罪として処罰する事って実は大切なんじゃないだろうか。
 そういうと、きっと「子どもにはまだ善悪の判断をするだけの能力がないのだから」とか、「子どもの将来を考えると……」なんていう意見が出てくる訳ですけれど、善悪の判断がつかないのなら、一人前に扱う事は危険なんじゃないだろうか。だとすれば、子どもの権利だけを擁護するのではなく、十分な判断力が無い者として大人が権限を持って指導する事が必要なんじゃないだろうか。
 恐喝するのが権利なんだろうか?苛める事が権利なんだろうか?こういう事への正しい判断が出来ないのであれば教師を始めとした大人が介入し、場合によっては強制的な指導や処罰というのも必要なんじゃないかと思います。
 自分達が未成年で犯罪を問われないという事を知った上で犯罪を犯すというのは「善悪の判断がつかない」という範疇なんでしょうか。私には善悪の判断が出来ていて、自分がやっている(やろうとしている)事が悪である事を承知の上で自分が保護されている事にあぐらをかいて犯罪を犯している確信犯だとしか思えませんけど。
 「手出ししたら教育委員会に行ってクビにしてやる」と言いながら教師を殴ったり蹴ったりするっていうのは完全に暴行犯で、こういうのは例え小学生だといっても処罰するべきでしょう。そうする事で社会の厳しさを教えるという事も愛情じゃないのでしょうか。
 社会に出れば、権利の裏にはそれに伴う義務がある訳で、子どものうちにそういった構造を理解しておく事が大切だと思うんですよね。それが出来ていないままに(身体だけ)大人になった精神的に未成熟な大人たちが子供をもうけても、その子どもたちを正しく教育出来ないのは当然かも知れません。例え子どもであっても、「権利にはそれに伴う義務がある」という事を知る事は重要な事だと思いますけどね。

テーマ:日々のつれづれ - ジャンル:日記

品格だそうです
DSCF6383.jpg


 雨のち曇り。 月齢19.9 下弦 下つ弓張り 二十日余の月

 「苛められている。このまま11日までに改善されなければ自殺する」との文科大臣宛の手紙の期限をもうすぐ越える訳ですが、今のところ該当すると思われる生徒による自殺は無いようです。
 学校が問題だと言われている訳ですけれど、全てを学校や教師の責任にしてしまう事が果たして正しいのでしょうか。学校教育の出来る事なんていうのは実は高が知れているんじゃないかって思うんですよね。学校に問題がないなんて事は全く思いませんけれど、学校以上に実は家庭教育に問題があるんじゃないのかって思うんですよね。
 給食費を払わないで平気で「義務教育なんだから」なんていっている親、「学校でもっと躾けをしてくれないと困る」なんて本末転倒した事を平気でいう親、昔話のストーリをねじ曲げてでも自分の子どもに主人公をさせようとする親。こういう親って、自分がするべき家庭教育を放棄して学校に責任を転嫁してしまっているんですよね。ちなみに、「義務教育」は「教育を受ける義務」を子どもに課しているものではなく、「教育を受けさせる義務」を保護者や行政に課しているものなんですよね。だから、「義務教育だから食費を払う必要はない」なんていうのは全くもって根拠無きデタラメで、むしろ保護者としての責任を問われる事になるんですよね。
 躾けなんていうのは基本的には家庭で、自分の子どもを親としての責任でするべきなんだと思うんですよね。確かに、集団としての躾けも大切ですけど、それにはまず、個人としての根本的なものが必要なんじゃないだろうかって思うんですけどね。
 と、こんな事を書いているのは、実は横目で教育についての長い長い特番を見ているからなんですけれど、これも何だかなぁ…………。
 給食費の問題だとか、学校の問題を「おかしい」という人がアンケートでは多いという結果になっているようですが、じゃ、どうしてそれが良くならないんでしょうね。大半の人が「おかしい」と思っているのなら、良くなってもよさそうなものだと思うんですけどね。つまり、答えている「自分」と、実際にしている「自分」とが別なんでしょうね。そういう事を恥ずかしいと思わないっていうのが既にとてもおかしい事なんですけどね。
 給食費を払わないのなら出さなければいいと思うんですよ。授業中に授業を無視して遊んでいるのなら放り出せばいいと思うんですよね。授業中の教室は勉強をする空間であって、それをしようとしないとか、しようとしている他者の邪魔をするのならそこにいる資格はないと思うんですよね。外に出されて思い直して勉強しようと思ったのなら戻って参加すればいいと思うんですけれど、それで勉強が解らないとかついていけないなんていうのは自己責任なんだと思うんですよね。自分が悪いんだからそれを教師や学校の責任にするなんていうのは本末転倒だと思いますね。
 「品格とは?」なんて事を大上段に掲げてやってますけど、品格って自主的に高めていくべきもので、人に言われて高めていくものではないと思うんですけども。ま、ただし、それにはそれを育てる土壌というものが必要だとは思いますけど。何だかね、「品格」なんて大きな声で言う事自体が既に品が無いんじゃないかっていう気もするんですよね。あのベストセラーになった「国家の品格」なんていうのもつまりはその国家を引っ張っている国会議員にあまりにも品が無いからああいう本が出てくるんじゃないのかなぁ。
 子どもの給食費を払わないで平気で文句を言っていたり、自分の子どもの為には昔話をねじ曲げてしまったり、無責任に教育現場に嘴を突っ込んだり、自分の個人的な利益の為に平気でルールをねじ曲げるっていう事を、社会的にそれなりの立場にいる人が平気でしている現実を子どもに見せておいて子どもにだけ「きちんとしなさい」なんて言っても通らないと思うんですよね。
 大人がだらしなく、品格を無くしてしまっているのに、どうして子どもにそんなものを求められるんでしょうか。まずは大人が子どもに見せられる背中を身に付けなきゃ行けないって言う気がしますね。
 それはそのまま国会議員や公的な立場にいる人にも言えると思うんですよね。こういう立場にいる人が手本とならないでどうして社会全体が良くなるんでしょうか。
 と、ここまで書いて、こないだ新聞で見た記事を思い出したんですけども、公務員に労働3権を認めようっていう動きがあるんだとか。つまり、「公僕」ではなく、単なる労働者なんだって言うことなんでしょうけれど、それならそれで、各種の特権を放棄するべきだと思うんですよね。今だと公務員は基本的に解雇される事は無いという事になっていますけど、こういうのも一般企業と同じにするべきでしょうし、人事院勧告をやめて給料も一般的な経済状況に合わせて普通の企業の水準にするべきでしょうね。赤字の企業や経営不振に陥った企業だと給料は減らされたり役員だと報酬は出なかったりする訳ですけど、これも同じように自治体の職員や議員、市長や助役は財政危機に陥っている所は給料を減らすとか議員や市長や助役は報酬をストップするとかするべきでしょうね。いやいや、いっその事自治体を企業化してしまう方が良いんじゃないでしょうかね。

テーマ:日々のつれづれ - ジャンル:日記

そういう季節になったんだね
DSCF6378.jpg


 晴れ時々曇り。 月齢18.9 更待月 亥中の月

 ボージョレーヌボーの初荷が日本に入ってきたんだそうです。来週木曜日が解禁日なんだそうで、その準備なんだそうですよ。今年のボージョレーは出来が良いとかって言ってますけど、ボージョレーヌーボーなんて言ってみれば科学的に熟成を速めて無理矢理ワインにしたようなもので、それをありがたがる感覚が今一つよく判らないんですよね。という事で、昔からテレビで「ボージョレーヌーボー解禁」ってニュースをテレビで見るたびに、「このうち何人がホントに美味しいって思って飲んでるんだろ?」って対岸から見てるんですけどね。
 毎年輸入量が伸びていたんだそうですけど、どうやら今年は輸入量が減ったんだそうです。その理由として去年膨大な量が売れ残った事や飲酒運転に対する厳しい世論などがあるようですけど、そもそもボージョレーに興味の無い私には全く関係ないって感じなんですよね。
 ちなみに、ボージョレーって言うと「赤」って言うイメージが強いですよね。私は赤ワインって基本的に飲まないって言うこともボージョレーに興味がないって言うことの原因の一つでもあるんですけど(フランスワインであるっていう事も大きな原因ですけど)、どうやら白もあるにはあるんだそうですが、全体の1%しかないんだとか。レア物好きの方、どうせならボージョレーの白をお探しになってみてはいかがですか?

テーマ:日々のつれづれ - ジャンル:日記

矛盾
DSCF6386.jpg


 晴れ。 月齢17.9 臥待月 種蒔き月

 安倍さんは非核三原則の堅持を唱えながらも、核議論を容認するそうです。この矛盾、安倍さん自体は「核をめぐる議論と、核武装をすることについての議論は別だ。」なんて苦しい言い訳をしていますけど、じゃ、核についての何を議論すると想定しているのでしょうか。この点についても安倍さんは「(核保有が)政治的、軍事的に意味がないということ自体も議論といえば議論になる。その議論すらいけないというのは行き過ぎだ」というように反論し、つまりは「核がどうしていけないのかなどの議論の事を言っているのだ」というようなニュアンスで煙に巻こうとしていますが、全く説得力を持たないものですね。このての「核議論」は従来からもされていた事であって、殊更わざわざとこの手の事を言い直す必要なんていうのは無いんですよね。
 核がどうしていけないのはなんていうのは火を見るよりも明らかな事。非核三原則の遵守はもとより、核兵器の根絶を訴える立場あにある日本が核武装をして、いったい「核を根絶しよう」なんていう言葉の何処に説得力が保てるのでしょうか。核非拡散、核兵器根絶という事を目指す意味でも日本が核を保有するなんていうのは論外だと思いますけど。
 朝鮮総連が制裁措置の撤回を求める中で、「核実験には賛成も反対もしないが、状況は理解できる。わが国は核実験をしても、世界の核廃絶を目標に掲げている」とコメントしていますが、核の拡散を自ら進めておいて核の廃絶をどうやって進めるというのでしょうか。こういう人達と同じ土俵に立って議論しようとしているのが今の自民党なんですよね。同じ土俵に上がる必要なんて何処にもありません。むしろ、同じ土俵に上がらない事を選択するべきなんですよ。
 今年の広島・長崎の慰霊祭の席で、小泉首相は
    「私は、ここ広島(長崎)において、本日の式典に臨み、
    犠牲者の御霊と広島(長崎)市民の皆様の前で、今後と
    も、憲法の平和条項を遵守し、非核三原則を堅持し、
    核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向けて、国際社会の
    先頭に立ち続けることを改めてお誓い申し上げます。」
 と発言しています。「私は」という言葉が、退陣を目の前にした小泉氏個人を示しているのか、それとも、「内閣総理大臣」という公人を示しているのかという事はあるでしょうが、少なくとも、公人として参加し、公人としての発言である限り、政府を代表した意見であるのでしょう。そうであれば、現総理大臣の安倍氏も、この意見に立って核について考え、取り組むべきなのじゃないでしょうか。

 小泉氏の「政治家は使い捨て」発言でいわゆる小泉チルドレンが揺れているんだとか。太蔵クンはショックを隠しきれなさそうですし、井脇氏は冷たいと感じたとかって言ってるようですけど、どうなんでしょ。議員を使い捨てとは言わないけれど、この2人は就職感覚で議員やってるのかな?って考えてしまいますね。議員を職業ではないとは言わないけれど、ずっと議員でいられるなんて考えでいられちゃ困りますね。ま、ご両人ともどっちかって言うと小泉人気に便乗して当選したような人で、次の選挙では危ない人の代表みたいなポジションだから仕方ないかも知れないけど、だからこそ、業績で示さなきゃいけないんじゃないのでしょうかね。太蔵クンはここのところめっきり目立たなくなってるし、井脇氏はてんでちぐはぐで支離滅裂な事言ったりしたりしてるみたいですから、ダメでしょうけど。こういう人が既得権に固辞していくんじゃないかって思ってしまいます。
 一昨日の市交渉の席でも「資質の向上」なんて事を言っていた担当者がいましたけど、「資質」なんて言うのは元来から持って生まれたものな訳で、それが向上するって事はあり得ないんですよね。「質」の向上っていう事はあるでしょうけれど、その当たり、もうちょっとよく考えるべきでしょう。持って生まれた資質と言うてんでいうと、上記のご両人には政治家の資質っていうのは無さそうに思いますね。

テーマ:日々のつれづれ - ジャンル:日記

格差
90320031.jpg


 晴れ。 月齢16.9 居待月

 既に阿蘇や大山では初雪が観測されたんだそうです。季節はあっという間に秋を通り越して冬の入り口に達しているって感じなんでしょうか。ま、でも、考えてみればサ、もう11月も半ばに達しつつあるんだよね。

 トヨタ自動車の経常利益がなんと2兆円を突破。日本では初めての2兆円越えなんだそうです。企業はもうかっているんですよね。とは言っても、企業も企業間格差が大きくなっているそうで、儲かっている所とそうでない所はどんどん差が広がっているんだとか。富の集中構造がどんどん進んでいるという事なんでしょうか。
 それにしても、年収300万円以下という人が全体の約半数なんだとかで、政府の言っている「好景気」っていうのがいったい何処にあるのかよく判りません。就業者の1/3が非正規社員で、将来に不安を感じつつ働いているんだそうです。こういう構造では労働者と雇用者の力関係が明確で、仕事を失う事を恐れる労働者は雇用者側のムリをきかざるを得ない状態がそこにあるんですよね。
 裁判中の某IT企業の有名人のように巨万の富を獲る人がいる一方で、一生懸命働いても生活は楽にならないなんて人も沢山いる訳です。企業の高収益も実はこういった非正規社員や不当(とも言えるほど)に安い労働力を利用する事で得られているという面もあるんですよね。これは健全な経済成長って言って良いのだろうか?
 経済格差の広がりは当然ながら障害者にも波及していく訳です。財政健全化のしわ寄せの多くは「企業の負担を増やすと景気回復に悪影響を及ぼすから」なんていう言い訳のもとに個人へ「公平に」負担をという事で、消費税の引き上げを検討しているとかいないとか。この当たりもなんだかよく判らない言い方で、取りあえず、来年の参議院選挙後まで有耶無耶にしたまま持ち越して、選挙が終わったらはっきりと上げてしまおうっていう魂胆なんでしょうね。これまた結局個人に負担を強いる訳ですけど、「公平に」って言っている訳ですけど、それってホントに公平なんでしょうかね。
 生活に最低限必要なコストというのは持っているお金に関わらず必要になる訳ですよね。つまり、例えば、15万円の収入しかないうちの最低限必要な費用としての10万円と、50万円の収入のうちの10万円というコストは占める比率が全く違う訳ですよね。「いやいや、50万円の収入の人にとっての最低限必要なコストはもっと大きいから結果手に比率としては同じようなものになるんだ」っていう意見もあるんでしょうけれど、それな「ホントに必要な最低限のコスト」とは言えないと思うんですよね。
 よしんば、それが同じ比率だったとしても、15万円のうちの10万円を使った残りと、50万円のうち(同比率として)34万円を使った残りとだと、現実に3倍の開きがある訳ですよね。それを同じと言って良いのでしょうか。と、何だかね、年金だけで生活をしている高齢者や障害者の実情を見るたびに政府や行政の言う事が如何にそういう人達の生活からかけ離れているのかを感じるんですよね。
 「公務員の給与は民間よりも少ないから………」なんて事をよく言っていましたけど、「年収300万円時代」の現在、公務員の年収は破格と言っていい状態なんですよね。そんな状態で(それでなくてもどちらかと言うと鈍感な感性の彼らが)一体何がどうなっているかをどう感じているんだろうって思うんですよね。
 公務員の就労環境を保障するなとは言いませんけど、そんなに恵まれた環境で、そんなに恵まれた職場で奈良県の某氏のような5年間で数日しか出勤していなくても給料が出るなんて状況で、一体何が判るのか、とっても疑問です。

テーマ:日々のつれづれ - ジャンル:日記