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2007.04.15
親って……

晴。昨日に続いてポカポカ陽気の一日。 月齢27 二十八夜 鎮静の月
来週日曜日は統一地方選挙の第二段で、我が市では市長・市議会議員選挙です。どうやら我が市では市長選挙に4名の候補が立候補していて、そのうち一人は女性候補のようです。前回の選挙では現職市長に対して対立候補を立てる事さえ出来ない状態で、信任投票という形になってしまい、その結果、図書館の規模縮小(その代わりに中央図書館を設置したと言っていますが)、公民館の廃止をはじめとした様々な結果を生んでしまいました。現市長は「枚方テーゼ」を嫌っている人で、つまりは市民を自分の考えに従う「考えない人」にしたいんでしょうね。市民運動の盛んな地域性を破壊しようとしているとしか言えませんけど、果たして選挙の結果はどうなる事やら。
産婦人科学会が死後生殖を禁止する事を決定、体外受精用に採取し、保存された生死を本人が死亡したら廃棄する事として学会の指針に盛り込む事になりました。
この決定に先立ち、死後生殖の禁止に対して抗議するという意味で長野県の某クリニックの医院長が当該クリニックが実施した死後生殖の例を2例発表、また、子宮のない女性に代わって実母が「孫」を代理出産する事例(結果は失敗に終わっている)の報告もしたそうです。
数日前にはアメリカで代理出産をした向井亜紀氏の出生届の不受理を最高裁が決定、米国籍の子どもとして育てていくと発表しています(実際はこれに紛れて前述のクリニックが便乗発表したといった感じですけれど)。本筋から外れてしまいますけど、この夫婦、「高田夫妻」と呼ばれず、「向井夫妻」と呼ばれてしまう辺り、高田氏のポジションが窺われると言うか、関係性がはっきりしてますよね。
向井氏は、代理出産を決めた際には「高田の優秀な遺伝子を残す為」なんていう様な事を言っていた訳ですけど、この「向井夫妻」と呼ばれている様子からもその真偽の程が疑われるような気がします。「優秀な遺伝子」。私はこれにも違和感を感じてたんですよね。じゃ、優秀じゃない遺伝子だったらそうしてなかったんでしょうか? わざわざ「遺伝子」という言葉を引き出した理由は何処にあったのでしょうか。
「代理出産」に対して、私は反対の立場です。これには色々な意味があるのですけど、一つには、この「借り腹」行為によって、女性を「子どもを産む機械」(どこやらの厚生労働大臣みたいですけど)にしてしまう怖さ。自分が産めないから、それでも自分の子どもが欲しいからといって、その行為を他人に委託してしまうというのはどうなんでしょうか。また、命の大切さを訴えながら、出産という人命に関わるリスクを負う行為を人に押し付ける(お金を出してして貰うというのは押し付けにも見えます)というのは矛盾していないでしょうか。
次に、生命科学全体に言える大きな課題ですが、「人は生死に何処まで関わって良いのか」という事なんですよね。私は原則的に生死に直接関わる部分には手を触れてはいけないと思っています。例えば、延命治療に関しても、意味のない延命(それが意味のないものかどうかという判断はとても難しいものですが)はするべきではないと思いますし、「尊厳死」を訴える人達の「人としての死」というのもよく理解出来るものです。今回の件はそれとは逆の位置にあるものですが、基本的に同じ事が言えると思うんですよね。つまり、自然に逆らい過ぎていないかという事です。
「何処からが」というボーダーっていうのは難しい問題なんでしょうけれど、運命を受け入れるというのも大切な事なんじゃないかと思うんですよね。
彼女の言い分って、ころころと変わっている気がするんですよね。で、結局のところ、どう思っているのかよく掴めない感じなんですよね。実は彼女自身もよく解っていないのかも知れませんけど。
彼女は、目的とするところの高田氏の遺伝子を持った子どもを手に入れた訳ですけど、それでも戸籍に拘るのはどうしてなんでしょうか。向井氏自身のブログを見ていても、言っている事に統一性が感じられないんですよね。例えば、代理出産をすると決めた時に、「「絶対に、約束違反・ルール違反をせずに真っ向勝負をしよう。将来、事の経緯をすべて子供に話して聞かせなくてはならないのだから」と、約束違反やルール違反をしないといっていますけど、戸籍に関してはルールを無視してごり押しをしようとしていた訳で、これで「ルール違反はしない」と言えるのでしょうか。また、「アメリカで合法なんだからどうして日本ではダメなんだ?」という論法も、あまりにも無茶苦茶ですね。こういう外圧を使ってごり押しをしようというのも自分勝手としか思えません。そもそもそれが通らない事は判っていて代理出産に踏み切った訳ですから。
それと、「民法772条問題」なんて言うのも持ち出してきているようですけど、代理出産の問題には直接関係ない訳で、論旨のすり替えに近いものがありますし、「何が言いたいんだろ? 」って思っちゃいますね。
向井氏は「子の福祉」という言葉をしきりに使っていますけど、こうなる事が予想される中で代理出産という無理やりとも言える方法で生を与えておいて、生まれたら(判っていた結果に対して)理不尽だと言い立てるのはいかがなものでしょうか。親として、子の福祉を考えているのなら、法的問題点を洗い出した上で、問題の無い方法を選ぶのが親としての子どもへの福祉ではないのかと思いますけども。
生命科学が進歩すればするほど、こういう問題は拡大するんでしょうね。SFの世界では工場の培養液の中で育てられる子どもなんて言うのもよく出て来ますね。こういうのも理論的にはそう難しい事ではない訳で、近い将来には技術的にも可能になるんでしょうね。でもね、それは人が踏み込んではいけない「神の領域」なんじゃないかと思うんですよね(と、キリスト教徒では無い私が言うのもヘンかも知れませんけど)。
子ども、私も嫌いじゃないですよ。でもね、子どものいないというのも運命なのかも知れないと、子どものいない私は思っているんですよね(と、これまた運命論者ではない私が言うのもおかしな事かも知れませんが)。
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