川辺のタヌキ
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  • 大阪で活動している手話通訳者。大学で芸術学部に在籍するもなぜか福祉分野へ。
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オバケもさえずりも好きだったんだよねぇ
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 曇時々晴れ。 月齢14.3 十五夜

 枚方市で清掃工場建設に関しての談合が発覚しました。これには大阪府警の警部補も関わっていたとして平原幸史郎警部補、大林組の前常務で顧問の森井繁夫、浅沼組常務の田島洋ら6名が逮捕枚方市役所にも家宅捜査が入っています。今のところ、市長は関与していないという事ですが、どうなんでしょうね。建屋と設備を分離発注するなどの提案は平原警部補が市長に直接提案したんだとか。と、なると、何らかの市長の関与があったのではないかと考えてしまうのも仕方がない事ではないでしょうか。どうやら副市長は逮捕されるようですけど。
 とにかく、4期目の中司市政に大きな影を落とした事には間違いないでしょうね。
 地方政治だけではなく、国会も大揺れに揺れているようですね。年金問題ですが、「国民を救済する為に…」なんて言ってますけど、何だかおかしくないですか? そもそも、誰が悪いんでしょうか? 「救済」って、こちらに何らかの不手際があった訳ではないのにどうして「救済」なんでしょうか。結局不手際のあった当局側の救済の為の処置っていう事なんじゃないでしょうか。参議院線は荒れる事になるのではないでしょうか。
 それにしてもあまりにも酷い事務処理。この程度の事務処理能力しかない人にあれほどの給料を払う必要ってあるのでしょうか?給料もボーナスもカットして、それで補填してはどうでしょうか。責任感無さ過ぎです。
 何度もいいますけど、これで何処が「美しい国」なんでしょうか?「鬱苦しい国」の間違いですか?

 IWC(「International Whale Confidence」の略で、「International Watch Co,Ltd」の略ではありませんので)の席上で、日本が提案した、「沿岸商業捕鯨の再開」は結局却下されてしまいました。これね、先住民には許可して、日本の沿岸捕鯨に関しては許可されない根拠というのがよく判りません。日本は妥協点として、沿岸商業捕鯨の再開と同時にザトウクジラの調査捕鯨を行わないという案も出したようですが、沿岸商業捕鯨が却下された事からザトウクジラの調査捕鯨は中止せずに続けるという事になったようです。これね、一昨日のエントリーでも書きましたけど、ミンククジラは増えてるんですよ。ザトウクジラは減りつつある訳です。で、論理的にはどうするべきかなんていう事は明白なはずなんですが、どうも感情論的になっているようですね。
 と、こう思っていると、あるサイトである人が面白い仮定を推論していました。アメリカが日本の鯨食を禁止する理由というのは、結局のところ、牛肉や飼料としての穀物の対日輸出を見込んでの事だというモノで、なかなか面白い視点だなと思いましたね。確かに、クジラなら「天然物」ですから、クジラが安定していてそれほど高くない価格で食卓に供されるとなれば、牛肉の消費はその分減るでしょうし、そうなれば、危険なアメリカ産の牛肉は好んで食べるという事も減るでしょうし、国内の飼育量も減るかも知れません。バイオ燃料絡みで、飼料や穀物が値上がりしてますけど、これさ、いわゆる減反した遊休地を利用してさ、そこで飼料も育てちゃうなんていうのはどうですか? 遊休地の殆どは住宅化してしまっているようですけど、寂しい限りですね。

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美しくない政治
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 曇時々晴れ。 月齢12.3 十三夜 

 今年のミスユニバースはなんと日本人が選ばれたそうです。48年ぶりの快挙なんだとか。
 IWCで日本の提案に対して捕鯨禁止国からかなり反対を受けているんだそうです。日本の主張としては、先住民の捕鯨が認められていて日本の沿岸捕鯨がダメな論理的な理由が見当たらないというものなんですけど、どうもそれも取り合ってもらえそうにないようです。
 捕鯨禁止論の大半は感情的なもので、そもそも論理性なんていうのは見当たらないように思うんですよね。反対派の主張としては、「絶滅が危惧されているから」というものがおそらく一番論理的なんでしょうね。
 確かに、大型種の「シロナガスクジラ」や「ナガスクジラ」、「マッコウクジラ」等は数が減っていて絶滅を危惧されていますが、日本が調査捕鯨で捕まえているような「ミンククジラ」等は近年数が増えていて、そのせいで生態系のバランスが崩れ始めているのじゃないかとさえ言われているくらいなんですよね。
 「クジラのように高度な知能を持った生き物を食べるのは如何な物か」という論調で反対している人も沢山いますけど、じゃ、牛はどうなんでしょうか?中国人は猿を食べますけど、猿は? 馬を食べるのも日本人だけではありませんよね。じゃ、その知能はどういう基準で区別されるべきなんでしょうか。
 そもそもクジラを絶滅に追い込んだのはアメリカやヨーロッパなんですよね。それもただ油を取るだけの為に乱獲していた訳で、肉も骨も殆どが使われないままに捨てられていたんだそうで、その結果激減したクジラを今頃になって保護しようと言い出して、そのツケを捕鯨国に押し付けるって言うのはどうなんでしょうね。
 こういう非論理的な主張も、数の論理でごり押しして通してしまうっていうのが欧米的合理性なんでしょうね。それに、「多数決ではなく、あくまでも話し合って解決したい」っていう日本的なロジックは通用しないんだろうなぁ…。でも、それを通すのが日本的精神性なんだよね。

 松岡農水大臣の自殺について、安倍首相は「慚愧に堪えない」とコメントしているようです。「慚愧」とは、辞書によると自分の言動を反省して恥ずかしく思う事、それを外部に対して示す事という意味なんだそうです。つまりは「恥ずかしく思っている」という意味になる訳ですが、具体的には一体何を恥ずかしいと思っているのでしょうか。
 自分が信頼し、あれだけもめる原因になっていても、それでも大臣を続けて欲しいと思っていたほどの人が自殺をして「慚愧に堪えない」というのはどうにも腑に落ちないんですよね。普通なら「残念でならない」ではないのでしょうかね。これは「美しい」日本の言葉の使い方なんでしょうか? それとも、文字通り、彼の死に対して恥じ入るような事があったという事でしょうか。

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少年犯罪に思う
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 晴れ。 月齢11.3 十三夜

 昨日とは違って湿度の低い過ごしやすい一日。とはいえ、暑いのは暑かったけど。空もまるで秋の空っていう感じの雲の様子で、一気に秋になっちゃったような様子でした。

 松岡農水大臣が新しく出来た議員宿舎の自分の部屋で首つり自殺をしていたんだそうです。享年62歳。早いといえば早い最期というところでしょうか。例の「なんとか還元水」の時に「今どき浄水器を使わずに水道水を飲むような人いないでしょ」なんて言っていた人ですけど、東京都の上水(水道水)って、高度処理水なんですよね。それ判って言ってたんでしょうか。
 死人に鞭打つような事は言いたくはありませんけど、結局のところ、死ななきゃいけないような事をしていたという事だと思うんですよね。なんとか還元水の問題は序の口だったという事じゃないでしょうか。もっと穿った見方をすると、「ホントに自殺だったのか」なんて疑問も出てくるかも知れませんけれど…。

 今朝の産経新聞朝刊の一面に「障害の早期診断と理解必要」と大きなフォントで書かれた見出しに目が留まったんですよ。また最近の医学の事で障害の早期発見と処置をっていう話なんじゃないのかと思ってよくよく読んでみると、酒鬼薔薇事件以降の少年犯罪についての連載記事でした。そこの「障害」というのはつまり、「広汎性発達障害」の事をいっているようで、大阪寝屋川の教師刺殺事件の犯人や昨年6月の奈良県で起きた自宅放火事件(母親と姉弟の計3名が死亡)の犯人の両者共に広汎性発達障害だったんだとか。また、くだんの酒鬼薔薇事件の犯人「酒鬼薔薇聖斗」はアスペルガー障害だったんだとか。
 こう書くと、どうにもやり切れないのが「精神障害者は危ない」という短絡的でステレオタイプな誤解を引き起こすのではないかという事なんですよね。これらの障害はむしろ攻撃(虐め)の対象になる事の方が多く、対人関係が上手く形成出来ない事からあまり周囲と関わらないという事が多いようなんですよね。だからこそ、見出しのようなモノになるんだとようやく納得した次第なんですけれどもね。
 それにしても、少年犯罪の増加に歯止めのかけられない現状と、凶悪化(ホントかな?)に対応する厳罰化ですけれど、これはこれで大切な事だと思うんですけども、増加や凶悪化に対する抑止力にはなっていないという事なんですよね。結局のところ、給食費や保育費を払わない親に育てられるとこうなってしまうのかというのが私の思いなんですが、だからといって、彼らの両親がそうだった訳でもない訳で、社会全体の構造的な歪みや速度っていうのも大きなストレスやトラブルのきっかけのひとつになっているように思います。
 犯罪の原因を社会にあるとしてしまうと、本人への厳罰化は理不尽ではないのかという話にもなってくる訳ですが、それとこれとは別だと思うんですよね。また、障害があって、それによって犯罪責任を問われないというのもなんだか納得のいかない部分が残ります。イギリスなんかだと、精神障害者が犯罪を犯した場合の専用の収容施設があって、そこで十分にケアを受けながら罪についても対峙するんだとか。そういう仕組み作りが必要なのかも知れませんね。
 もうひとつ、少年法によって自分達が保護されているのを十分に理解した上での確信犯的凶悪犯罪というのも増えてきているようで、これについては更なる厳罰化が必要なのではないのかと思うんですよね。弱者が弱者であるためにとられている保護政策を逆手に取った時、それは既に弱者とは言えないと思うんですよね。
 これは凶悪犯罪だけに留まらず、教育現場での教師に対する態度というのにも適応されるべきで、「体罰は厳重処分」という事を逆手に教師に対して暴力的行為に及ぶなんていうのはもう既に弱者ではないと思っています。こういうガキはしばいてやれば良いんだと思うんですけどね。
 叩かれるのは叩かれるような事をしたから。自分がした事に対する責任として叩かれるというのは十分社会教育だと思うんですけれど。

 とはいえ、暴力を抑える(コントロールする)為に暴力を持ってするを是としてしまうのにも完全に納得は出来ない訳なんですよ。これは結局のところ戦争を肯定するという事でもある訳ですから。あ、でも、子どもの頃にそうやって叩かれたり殴られたりする事によって、戦争行為に対しても不快感を持てるように導けるのならそれも良いかもね。
 先生方、どうですか? そういう導きは出来そうですか?

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さあ、検討を始めましょうよ
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 晴れ。 月齢10.3 十日余の月 

 今日も暑い一日だったんですけれど、この時間になると少し寒いくらいの気温になっています。でも、そもそも少し寒いくらいの方が好きなので、過ごしやすくていい感じです。
 それにしても、花粉症ってこんなに苦しいものだったんだ。通訳中にこうなると大変だよね。

 先日紹介した小松達也氏の本を読み進めながらふと思った疑問は、「今までどうして手話通訳の養成や研修などの中で他の音声言語通訳者の現状について触れたり学んだりという事が無かったのだろうかっていう事なんですよ。どうしてなんだろう? そのくせ、「他の音声言語通訳者のように…」という言い方とか、「言語通訳としての確立…」なんていう言い回しを使っていたのはどういう事なんでしょうか。「目指すべき場所」を正確に知ることもなく、目指すべき場所について語るというのは少なくとも論理的な行為とは言えませんね。
 こうやって考えていく中で改めて疑問として浮き上がってくるのが、福祉的側面としての手話通訳と、それ以外の側面の手話通訳のあり方についてなんですよね。福祉的側面は別として、それ以外の面の通訳について、何処まで区別して捉えているのでしょうか。例えば、通訳費用に関しては、どう考えているのでしょうか。自己の必要とする通訳については自己負担で支払う覚悟があるのでしょうか、それとも、その費用に関してさえも論理的に行政やその他が支払う形を造り出せるのでしょうか。
 自立支援法による「受益者負担」という考え方は、私は基本的には賛成なんです。ただ、現状で問題があるとすれば、「受益者とは一体誰なのか」という事を明確にしなければいけないのではないかと思っているという事です。障害者にだけ「受益」を適応し、健常者には適応しないというのはあまりにも差別的なのではないかという事なんですよね。
 これを逆に捉えると、聴覚障害者であっても、明確に受益している状態なら自己負担をするべきだという事なんです。その為にも、「受益」とは何を指しているのかを論理的に明確にしておく必要があるというのが私の基本的な考えです。
 これは当然ですが、「基本的人権」に関わる部分や日本国民として当然の権利にあたる部分に関しては「受益」ではなく、「権利」としての手話通訳であると思っています。その上で、それ以外の部分に関しては受益に応じてそれぞれが負担する必要が出てくるのではないかという事なんです。
 こういった論理性に関する検討、議論というのは実はあまり十分に成されているとは思えません。むしろ、タブー視されているようにさえ感じます。でもね、社会の変化を考えると、こういう部分こそしっかりと研究されるべきではないかとも思う訳です。
 ここを見て下さっている幾人かの先鋭的な考えをお持ちの方々はこの考えに賛同して頂けるのではないでしょうか。さて、では、どうあるべきなのか、だからこそ何が必要なのかの検討を始めましょうよ。

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しっかりしてよね、ジャーナリストさん
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 晴れ。 月齢9.3 十日月 

 昨日に引き続き暑い一日。ホタルの観賞会があったので、参加してきました。「ヒメホタル」という種類なんだそうで、7ミリ程度の小さなホタルが、所々で明るい光を放っていました。このホタル、メスは飛べなくなっているんだそうで、飛行するのはオスだけだとか。なかなか綺麗でした。ホタルというと水辺っていうイメージがあったんですけど、竹薮とか比較的背の高い草の中とかにもいるんですね。

 totoBIGの売り上げが5億7千万円強だったという事から、「売り上げ激減」という安易なタイトルを付けている某新聞社のwebニュースを見て笑っちゃいました。前回の61億円越えっていうのが異常だっただけで、今回の売り上げは順当なものではないかと思うんですけどね。こういう安易な記事書いてるから、「ジャーナリスト宣言」なんていっても相手にしてもらえず、揚げ句の果てにやらせや何だでそれさえ引き下げなきゃいけないなんて目に遭うんじゃないでしょうか。「ジャーナリスト宣言」っていうくらいなら、ここ一年程度の売り上げの変化をみて、その上でどうかっていう分析をしっかりとやるべきなんじゃないでしょうか。こういうキャッチーなコピーだけで人の気を引くなんていうのは本来のジャーナリストのするべき事ではありませんね。それにしても、マスコミ人たちの質って低下していませんかね。福知山線の事故の際の暴言だとか、記事が書けないからって地方紙の記事をそのまま写すように盗作したりとジャーナリストとはいえないような事ばかり。このtotoの評価も、数字自体は間違いないでしょうし、先週と比べると激減である事には違いない訳ですが、それがどうしてか、その前と比べると売り上げはどう変化したのかというような事をきっちり書くのがジャーナリストの仕事だと思うんですけども。
 結局彼らは自分の尻尾に食らいついているのがせいぜいという気がします。
 「言葉」には力がある。だからこそ言葉を大切にするのがジャーナリストの役割だと思います。

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コミュニティ通訳
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 雨。 月齢8.3

 今日は健康診断って事で、朝から病院へ。久々のバリウムは何の味も付いていなかったので少しがっかり。前に検査受けた時はバニラ味だったんだけどね。結果は2・3週間先っていう事でしたけど、診察の際には気にしてた事がやっぱりって感じで指摘されてました。ま、もう少し身体に気をつけますか。

 そもそも、昨日は言葉について書こうと思っていたんですよね。そしたらこの前のエントリーのようなニュースが目に付いてしまったのでちょっと書きました。
 という事で改めて……。

 言葉というか、通訳についてなんですけれど、先日のエントリーにもあるように、他の音声言語通訳者の様子を知ろうという事で、「通訳の英語 日本語」-小松達也著- という本を読んでいます。この本、いわゆる通訳(音声言語通訳)について色々と紹介している本で、手話通訳との比較や通訳全体を見るのにとても参考になっています。これによると音声言語通訳の主な業態分類として会議通訳、ビジネス通訳、コミュニティ通訳、法廷通訳、放送通訳、といったモノが存在していて、重要かつ難しくて、「花形」とされるのが、会議通訳なんだそうです。日本ではまだまだ法廷通訳というのは確立されていないんだそうですが、海外では免許制になっていたり、登録制になっていたりして、通訳の重要な業務の一つなんだとか。これから日本でも重要な分野として確立していくだろうという事です。
 と、このカテゴライズをみていて思ったのは、それぞれのカテゴリーで要求される事がかなり違う事と、手話通訳を当てはめて考えた場合、「コミュニティ通訳」というカテゴリーがその殆どなんだという事を改めて感じました。音声言語通訳の世界でもこのコミュニティ通訳というのは結構ニーズがあるようで、特にヨーロッパでは移民が多いので、福祉分野での通訳というのも結構あるんだそうです。
 これらの事を考えると、「言語通訳としての手話通訳」というのを考えるには、どういうニーズがあるのか、どういう視点で評価されているのか、何を求められているのかという事を整理して、それぞれのシーン事にどんな通訳が必要とされているのかをまとめていく必要があるんじゃないかと思っています。
 ちなみに、日本の音声言語通訳の世界ではコミュニティ通訳という分野は職業として確立されていないという事です。

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因縁
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 晴れ。 月齢7.3 八日月 破鏡

 真夏並のとても暑い一日でした。気象庁の3ヶ月予報によると、今年の夏は猛暑で小雨なんだとか……。琵琶湖は大丈夫なんでしょうかね。

 山口県の母子殺害の差し戻し審が開始、なんと21人の弁護団による「事実誤認」「傷害致死」という主張にははたはた呆れ果てるものです。後ろから抱きついたのは「戯れる為」で、殺意はなく、誤って殺してしまったもので、死後の姦淫については「精子を注ぎ込む事によって死者を生き返らせる事が出来ると信じてした行為でいわば呪術的行為」と、オカルトチックな理由付けをしていますけれど、これをして死者を侮辱する行為ではないとすれば一体何だったんでしょうか。その後、母親が死んでいる事に気付かずにハイハイで近づいた幼児を床に叩きつけて殺している訳で、よしんば死者を生き返らせようとしたとしても、その後の行為との明らかな矛盾をどう捉えているのでしょうか。この21人の弁護団が意図する事は何でしょう。どう見てもそれは売名行為としか見えないのですけれど。
 奇しくも神戸の酒鬼薔薇聖斗事件からちょうど10年の日に差し戻し審となったのは何か因縁めいたものを感じます。

 未成年の犯罪が大きな問題になっています。これらの事件がきっかけとなって少年法が改正され、厳罰化が進んでいます。ある意味でこの厳罰化はやむなしと思っていますが、それと同時に、そこに大人たちの責任はなかったのかという事について、もっと考えるべきではないかとも思うんですよね。両親を始め、家族はどうしていたのでしょうか。子どもがすくすくと育っていけない環境にしてしまった大人はどう責任を取るつもりなんでしょうか。

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ビジョンを持つ
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 晴れ。 月齢6.3 弓張月 上弦

 暑くて暑くてまるで夏みたいな陽気でした。今(22:20)も結構暑いですよ。

 通訳協会から緊急動議その他についての回答が出ました。とても簡単な文章で、ま、回答には違いない訳なんですけどね。「公開質問」についても回答を一応貰ったようですので、その辺りもまた後日に。

 昨日の続きにもなる訳ですけれど、通訳の今後、通訳制度の今後をどう捉えるのか、どんなビジョンを持って、どうしていきたいと思っているのかという事を明確に捉えるという事がとても大切な事だと思うんですよね。
 どんな制度が利用者にとっても通訳者にとっても望ましいものなのか、そもそも「望ましい」モノとは具体的に何を評価しているのか、それがどれ程現状からかけ離れていようが、まずはその着陸すべき場所を明確に理解しておく事が、問題解決への道しるべになると思うんですよね。シャーロックホームズは、推理の段階について、「全ての不可能を消去して、最後に残ったものが如何に奇妙なことであっても、それが真実となる」と言っています。推理ではありませんが、どれ程現状からかけ離れていて実現不可能と思える事でも、まずはそこが何処に存在しているのか、現状からどれだけ離れていて、どういう方向にあるのかを理解しなければ、そこに向かって進む事さえ出来ない訳で、だからこそ、対処療法的な「やっつけ」になってしまうんじゃないかと思うんですよね。と、ま、この辺りの事も、今日の話し合いの中で説明し、その為の苦言である事を重ねて説明してきた訳ですが、どれくらい理解して貰えたかはよく判りません。でもね、「10年後の通訳協会の姿」、「10年後のこの地域の情報保障の在りよう」を考え、イメージとして持っておかなければそこに向かっての積み上げというのは出来ない訳で、ま、それは仕事にせよ活動にせよ同じという事ですね。
 で、一体どんなビジョンを持つのか、と言うのが今年考え、まとめていくべき課題だと思うんですけど、どうなんでしょうか。
 その意味では、私自身も手話通訳のあるべき姿についてもっと具体的で詳細な部分を考えていきたいと思っています。

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通訳とは何だろう
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 晴れ。 月齢5.3 六日月 磨鑛(まこう)

 今日は暑い一日。今もちょっと暑いくらいです。眠れるのかなぁ?

 上方お笑い大賞が35年の歴史に幕を下ろすんだそうです。これ、どういう事でしょうか。これほどお笑いの中で伝統と格式のある賞が無くなるなんていうのはとんでもない事ですよ。いってみれば、レコード大賞が無くなるようなものなんですよね。文化を何だと思ってるんでしょうね。

 掲示板の方で、桃象さんからの問い掛けに答えつつ、そもそも「通訳文化」とか、「手話通訳の特異性」という事についてもう少し整理していくべきなのかも知れないなと思い始めています。それには他の音声言語通訳の例をもっと調べてみて比較していくというのが良いのかも知れませんね。それにしても、今更ながら残念でならないのが米原万理さんの後援会。実現直前でご本人のご都合で流れてしまったんですけど、お亡くなりになった現在ではもう企画する事すら出来ない事ですね。では、一体誰にお願いするのが良いのか、この辺りも考えてみたいなぁ。って、こういう企画をしたところでどうしようって言うんでしょうか。でもね、音声言語通訳者に聞いてみたい事って沢山あるんですよね。例えば、「これは通訳しなくていいですからね」って言われたりするケースってたまにあるんですけれど、こういう場合、音声言語通訳者はどうしてるんでしょうね。
 手話通訳に対するニーズが近年益々多様化していると感じています。これは、通訳シーンだけではなく、通訳に求められる質や性格(個人の性格という意味ではなく、通訳のスタイル等)に関してもどんどん多様化していっているんじゃないでしょうか。これはつまりはろう者の生活スタイルの広がりと、もう一つはいまだに未就学で何の支援も受けてなかったろう者が突然見つかったりっていう事があるという事なのかも知れません。情報保障とろう教育は相互作用を果たします。ろう教育が充実すれば当然ながら通訳の利用者の受容量も大きく広くなる訳で、それらに対応する為に手話通訳の変化をしていきます。そしてそれは社会参加の広がりにも関わります。また、情報保障が充実すれば、ろう者の学習環境も変化し、高等教育のシーンも充実する事でしょう。その結果、社会参加が広がります。つまりね、どちらが欠けてもダメだっていう事なんだと思ってるんですよね。
 ろう教育の現場では私はどちらかというと、日本語対応手話の方が良いように思っているんですよね。いや、日本手話で通訳して欲しいと言われれば、それはそれで対応出来るつもりではいますし、私自身はその方が楽なんですけれど、そういう意味ではなく、日本語対応手話と、書記日本語の併用で進める方がいいだろうと思っています。これも色々な考え方があるんでしょうけれど。
 で、その結果、手話通訳に求められるのが、桃象さんもおっしゃっているように「言葉(日本語)のままの伝達を」というモノになっていくんじゃないかと思うんですよ。で、そうなった時に通訳者がする通訳は、「音声日本語-手指日本語」という事になっていくんじゃないかと思うんですよね。そうなった時に、単純に他の音声言語通訳と比較する事が出来るのかって言うと、違ってくるんじゃないかと思うんですよ。
 この辺り、まだまだ漠然とした思いなので、もう少し整理してみて検証してみたいと思っています(で、その為にも、音声言語通訳者ともっと色々意見交換したいと思っている訳ですよ)。

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心の奥底
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 晴れ。 月齢4.3 五日月 繊月

 綺麗な三日月が夜半の空に輝いていました。今日は少し空が高くて澄んだ青い空でしたね。何だか秋の空っぽかった気がするな。

 大注目を浴びたtotoBIG、1等が7本出たそうで、一人当たり5億6千万円だったそうです。という事で、キャリーオーバーはなくなってしまったので、今週分からはまた3億円からスタートという事なんだそうです。今回の売り上げはなんと61億円を超えたんだそうで、toto全体では65億円を超えて過去最高の売り上げになったようです。スポーツ振興という事を考えると、これからも人気が続くといいですね。でもね、販売形態やシステムの脆弱性、それと、販売元の組織の持つ問題など解決しなきゃいけない事は山のようにあると思いますね。

 福島の母親殺人事件の少年、犯行後にインターネットカフェに行く前にカラオケに自転車で行き、歌を歌っていたんだとか。この少年については各メディアが「○○の音楽を聴いていたようだから彼女から悪魔信仰的な影響を受けていたんじゃないか」とか、「インターネットカフェで見ていたヒップホップのDVDが彼の指向を表している」とか、いろんな憶測をしていますけど、こういうのって、つまりは全て後付けで、なんだかとってつけた感が強いんですよね。実はもっとシンプルで、時間を潰したかったんじゃないかと思うんですよね。で、最初はカラオケ店に行って時間を潰そうとしたけど、歌を歌い続ける気分じゃなかったので予定変更してネットカフェに行ったんじゃないかというのが私の後付け分析です。精神分析なんていうのは分析した心理学者が持っている情報の量によって大きく変わりますし、その心理学者のスタンスによって同じ情報でも評価が変わってきますからね。ま、どちらにしても何でもかんでも理由付けしたがるのが精神分析で、ホントはどうかなんていうのは実は本人にも判らない(本人にも判らないからこそ分析して理解しようというのが心理学のスタンスですけど)訳で、なかなか難しいですね。
 人の心の中を正確に把握しようと思うと、そこに影響しただろう全ての事を把握しておかなければいけないでしょうし、それらのファクターが作用した時の精神状態を把握しておかないとそれがどういうベクトルで、どれくらいの影響を与えたのかも理解する事は出来ないでしょうから、その精神状態になった原因になるファクターと思われるもの全てを把握しておかなければいけない訳で……と延々とこれが続く事になる訳ですよね。
 アシモフの長編SF「ファウンデーション」シリーズの中に「心理歴史学」という分野が登場します。これはSF界ではとても有名なもので、スタートレックにさえ「心理歴史学」という言葉は出てくるほどです。
 これは膨大な数の人間の集団がどういう行動をするのか、どういう選択をしていくのかを数学的に予測する手法だそうで、未来を予測する方法とされています。
 この「心理歴史学」そのものは個人の行動を予測するものではないとされていますが、これって、個々の人間をファクターとして扱い、全体集団の行動を予測するという事で、人に置き換えると、心に作用するファクターを正確に把握する事でその人の行動を捉えようという心理学の手法と同じという事なんですよね。実はね、こういうのって、流体力学と同じなんだそうですよ。面白いですね。
 ともあれ、一人の人を正確に理解するなんていうのは私は不可能だと思っています。それはどれ程近しい人で、どれ程の信頼関係にある人であっても、完全にその人を知りえる方法がない限りは正確な理解なんてあり得ないという事だと思うんですよね。これは男女の問題にしても同じだと思っています。また、カウンセリングなんかの際にもこの点には注意しておかなければいけない事なんだと思っています。
 「他人がどう考え、どういう行動をしようとしているかなんてそもそも判るはずがない」。だからこそ、その人の話をなるべく正確に、出来るだけ多く聞き取る事が大切なんじゃないでしょうか。

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「個性」でいいの?
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 曇後晴れ。 月齢3.3 四日月 朏魄

 少し涼しい一日。沖縄は既に梅雨入りしているそうで、南から順に梅雨が近づいてきているという事ですね。そうそう、もう紫陽花の蕾がつき始めてましたよ。

 kazさん、コメントありがとうございました。手話通訳の本質を問うような問題提起、考える事沢山ありそうですね。とりあえず、私の考えを掲示板の方に書きましたので、ごらん下さい。

 ネットでニュースをざっと眺めていたら、「『車いすは個性だ』障害者と健常者、バスケで交流」という見出しが目に付きました。で、読んでみると、身障者のスポーツ促進の行事での合言葉で、健常児も車いすに乗って車いすバスケットを体験したんだそうです。これ自体は全く持っていい事で、こういう活動が障害者の理解に繋がればとても良い事だと思うんですけれど、「障害は個性だ」っていう考え方、現時点では私は諸手を挙げて賛成とは言い難いんですよね。というか、「障害は個性ではない」と現時点では思っています。
 車いすも眼鏡も同じようなもの。背が低いとか眼鏡をかけているというのが個性として認められているのなら障害や補装具を使っている事も個性として認められるべきだという理屈はよく解ります。それでもね、現実問題として、現在の社会ではそれらの障害が社会生活をする上で厳然たる障壁として存在している限り、それをして「個性」というのは、障害そのものから目をそらしてしまう恐れもある訳で、むしろ社会へ障害に対する間違った認識を持たせてしまうのではないかと思うんですよね。
 障害が個性だと言い切れる社会環境が整っていればそれは個性で良いでしょうが、現段階の社会環境は到底そういう状態ではないというのはみなさんもよくお判りの事だと思います。だからこそ、全く足りないとはいえ、社会福祉施策として優遇措置や支援制度等々が存在している訳です。で、「個性だ」と言い切るのなら、これらの施策を受けるというのはどうなんだろうという事にもなる訳なんですよね。
 目指すべきは「障害は個性だ」と言い切れて、社会生活上でその事によって特に不利な面がなく、障害の無い人と遜色のない状態で生活を営む事が出来る状態(つまりはそれによる社会福祉施策としての優遇や支援を必要としない状態)だとは思う訳ですが、現実はそこからかなり隔たりのある状態でしかない訳で、その差が埋まらない限りは社会的に障害なんだと思うんですよね。
 こういう事の理解をすっ飛ばして、「障害は個性だ」という言い方で包み込んでしまうというのは少し乱暴なんじゃないかなと思う訳です。

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一番古いかも知れない星
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 晴れ一時雨。 月齢2.3 三日月 若月

 totoBIGが大変な事になっているそうで、なんと今回発売分の売り上げは50億円を超えたんだとか。これ、「6億円の当選券が出るかも知れない」という事から人気が殺到したんだそうです。その影響でシステムがダウンしてしまって発売出来なくなったり、コンビニでの取り扱いが停止したりとお粗末さも露呈してしまったようですけど、始まって以来の売り上げで今度こそ6億円が出るかも知れません。1等の当選確率が1/480万なんだそうで、理論上は14億4千万円売り上げると、1枚1等当選券が出る事になる訳で、50億円の売り上げという事は1等の該当者が3名出てもおかしくないという事になる訳ですけど、はてさて、どうなる事でしょうか。

 天の川銀河(私たちの住む銀河系)の中に存在する星で誕生から132億年を経ているというとても古い星が存在している事が判ったそうです。これ、とんでもなく古い星で、宇宙の形成や銀河の形成に関する新しい発見になるかも知れません。
 天文学は近年とても色々な事が解ってきて(という事は新しい疑問がどんどん出てきたという事でもあるんですけどね)、どうやらこの宇宙の年齢はおおよそ137億年だと判ってきました。という事は、この推定年齢132億歳の星は宇宙が誕生して5億年後には生まれたという事になる訳なんですよね。
 現在判っている(推定されている)宇宙の進化の過程でも、ビッグバンから約1〜8億年の段階で銀河が形成され始めただろうとされていますから、この星はおそらく天の川銀河が出来た時から存在する第1世代の恒星だという事になるようです。この星の年齢は私たちの太陽の倍以上(太陽は誕生から約46億年とされています)という高齢の星で、銀河の公転周期が約2億年ですから、既に銀河の中心を66回も回っているという事になります。この星は天の川銀河の歴史のほぼ全てを知っているんでしょうね。
 この宇宙がこれからどうなるのか、昨今の有力とされる学説では、この宇宙の質量の総量はどうもビッグクランチに向かうには小さ過ぎるとされています。つまり、宇宙はこれから先も膨張し続けて、熱的死を迎えるという事になるとされています。熱的死。つまり無限に広がった宇宙に対して、エネルギーは一定量しかない訳ですから、x/∞となって、限りなくゼロに近い状態になるんですよね。
 ただし、宇宙の総質量が完全に把握出来ているのかというと、そうではありません。ダークマターやダークエナジーがどれ程あって、どうなっているのかはまだまだ判っていません。もしかしたら、総質量は現在考えられているものよりも大きく、ビッグクランチに向かう事になるかも知れません。この宇宙はこれから何処に向かうのでしょうね。

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今日は「ことばの日」
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 曇後一時雨。 月齢1.3 既朔

 今日の夕暮れ、晴れていれば薄い月の横に水星が並んでいるのが見えたんですけどね、ダメですね。

 施設職員が裏金について施設の責任者に相談したところ、「3月に退職だから私は聞かなかった事に…」と言ったんだとか…。この施設長の退職金ってどうなってるんでしょうね。

 今日は「ことばの日」なんだそうです。
 機能も言葉について少し書いた訳ですけど、言葉には力というものが存在していると思うんですよね。それは、朝日新聞の「ジャーナリスト宣言」にある「ことばの力」なんていうキャッチフレーズにかかわらず、昔から日本人は言葉に力が存在している事を自覚していたんですよね。それを「言霊(ことだま)」といい、口にした言葉は現実に影響を及ぼすとされていました。だからこそ、尊いものを指す場合には直接それを示す言葉や名前を使わず、遠回しに表現する事で尊い人や物に悪影響が及ばないようにしたり、改まって(畏(かしこ)まって)話したりという文化が生まれてきたんだそうです。
 通訳者として言葉を扱う仕事をしていると、一つの言葉が大きな誤解の元になったり、反対に膠着していた人間関係を一気に解きほぐすきっかけになったりという事に出会ったり、経験したりという事がたくさんあります。だからこそ、自らの通訳の際に使う言葉(あるいは選ぶ言葉)というのを慎重にしなければいけないと思う訳なんですよね。
 「ことば」は「言の葉」とも表されていたようで、実は「こと」は「事」と同義とされていたらしいので、これはつまり「事の葉」で「葉」は「枝葉」と言われるように端っこを表していて、つまりは「事の端」と言う意味にもなるんだそうです。これは、「真実(実体)とは不可知なもので、知る事ができず、また、知ろうとしてもいけない」とされていたそうで、言葉が実体や真実をすべて表している訳ではないという事を意味しているんだそうです。
 我々現代人は情報に操られ、振り回されている訳で、それはつまり言葉の持つ力に振り回されているという事なんでしょうね。でも、前述のように、「言葉がすべてを表すものではない」と考えると、少し気が楽になるかも知れません。
 ところで、「言葉」というものに関して、西洋文化圏と日本との感覚には少し違いがあるようです。とはいえ、キリスト教文化圏でも「悪魔に名前を知られると思うままに操られてしまう」といった事をまことしやかに言っていたりと言葉や名前の持つ力というのは認められているようです。
 ま、どんな力をもっていようが、正しい意味を正確に伝えるという事は私たち通訳者の尤も大切な事なんだと私は理解しているんですけれど、「何が正しいのか」という事についてはケースによって変わってくるという要素もある訳で、難しいところですね。「正確に伝える」という事と、「忠実に伝える」という事も、厳密にいえば違う訳で、こういった事についてのディスカッションも通訳者の研修の中では必要なんじゃないかと思う訳ですが、どうなんでしょうね。

 通訳協会から郵便が届いていたので開けてみると、「登録者名簿提出への承諾書提出のお願い」というモノが入っていました。これ、通訳協会の会員名簿(つまり通訳者の名簿)を市に提出するにあたって通訳者個々に承諾を得ていなかったんですよね。で、総会の際に「個人情報保護法違反じゃないのか?」という指摘をした結果、事後承諾にはなるが承諾を得る事になったようです。ま、ね、不手際であった事を認めて謝った上でのお願いですし、書かない事には始まらないものなので、書いて出すつもりではありますけれど、これ以外の問題はどうなったんだろ? これ以外にもっと大切な問題が山積しているので、そっちも早々に片づけて欲しいモノです。で、去年の12月に出した公開質問の解答はまだなんですけど、どうなってるんでしょうか。「回答します」という約束はきちんとした言葉になっていた訳ですから、約束は守ってもらわないとね。

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言葉の力
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 曇時々晴れ。 月齢0.3 朔

 日本人(特に若い人達)の国語力が戦後最悪の状態になっているんだそうです。日本人の日本語力の低下は今に始まったものではないという気もしている訳で、ここ20年くらい、顕著になってきたという事なんじゃないかと思っていますけど、確かにね、大学の学生のレポートなんて酷いものだったりしますね。と、これ、他人事ではありません。日本語力の低下の一因は確実にパソコンの普及と、依存によるものでしょうね。実際、私も読めても書けない漢字が増えた気がします。
 昨日テレビで紹介していたのは慣用句が理解出来ないという問題だったんですけど、確かにね、こういうのって理解出来なくなって来ているんじゃないかという気がします。この傾向、実は通訳者の中にもある訳で、これが一番怖いですよね。
 言葉を知らない通訳者って結構いるんですよね。こういう通訳者の大半は日本語力の研鑽はそっちのけで、手話単語に固執していたり手話表現ばかり気にかけていたりでもう片方の日本語に気を使っていない人って気がします。こういう人ってだいたいは「私、聴き取り通訳は自信あるけど、読み取り通訳には自信ないのよね。」なんて言ってたり、読み取り通訳をさせると普段は使わないような小難しい四文字熟語を多用して固い固い文語調の通訳をしたりって言うケースが多いように思います。
 手話と日本語を一対一対応で覚えてはいけないなんて言うのはもう既に常識と化していますけど、それでもまだ通訳者の中には手話表現の慣用句を日本語の四文字熟語に一対一対応させて覚えていたりする事が多いように思います。手話表現の慣用句に四文字熟語を充てること自体は間違いではない訳ですが、それは訳の一例でしかない訳で、「そういう訳になる場合もある」と言う事にしか過ぎない訳なんですけど、どうもこれを一対一対応で覚えちゃう人が多いんですよね。で、その四文字熟語を平準な日本語に直さないっていうのはどういう理屈なのか判りませんけれど。
 訳せない理由っていうのも、もしかすると日本語力の低下が一因なのかも知れません。例えば、「気の置けない」を正確な意味で使えている通訳者がどれくらいかっていうと、怪しいものなんですよね。とはいえ、通訳を聞いている人達もこれを正しく理解していない訳で、正しく訳しても正しく伝わっていないなんていう悲しい出来事も起きているかも知れませんね。
 国語力の低下はそのままコミニュケーション能力の低下と見て間違いないと思うんですよね。これは、コミニュケーションシステムがどんどん増えている現在のインフラと逆の現象で、何だか不思議な気もしますけど、現実にはコミニュケーション能力の低下から来るトラブルが増えているように思いますね。対人関係のトラブルもそうですし、自分自身の問題でも、話し相手がいなかったり、相談相手がいなかったり、相談する方法が解らなかったりで結局行き詰まっちゃって、それが奇行や凶行に及んでしまっているという気がするんですよね。
 福島の母親殺害事件も、「誰でも良かった」と言いながら、首を切ったり、右腕を切断して植木鉢に刺したり、わざわざ切断した首を持参して自首したりとどうも理解し難い奇行が多いですけど、おそらく、母親にはとても愛情を感じつつ、反発心から来る憎しみのような感情を抱いていたのではないでしょうか。首を切ったり、切断した腕を象徴的に飾るなんていうのはそこに何らかの感情が存在しているのは間違いないでしょうね。こういうの、もしもそこに存在する感情を何らかの手段で本人や若しくは周囲の人に伝える事が出来ていれば、ここまでの惨劇にはなっていなかったんじゃないかと思います。
 それにしても、切断し、白く着色して手のひらを上にして植木鉢に刺していたのは何を表していたんでしょうか。右手、それも、母親の右手。自分を愛し、慈しんでくれた手。私の勝手な想像でしかありませんが、白く着色したのは、それによって「汚れたものを綺麗にする」という意味があったのではないでしょうか。では、一体どうして「汚れている」と感じたのか、一体この親子に何があったのでしょうか。これも、お互いが話し、聞く事によって解決出来た事ではなかったのかと思います。
痛ましい事件
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 晴れ。 月齢27.6 二十九夜 提月

 日中は少し暑いくらいだったけど、日が落ちて夜になると少し寒いくらいの気温まで下がる。日本海側から張り出してきた高気圧の影響出来た風が吹いたせいみたいです。

 今日は5月15日だったり、昨夜の「ニュース23」で筑紫哲也氏が自分が肺ガンである事を公表したり、「こうのとりのゆりかご」に3歳の男児が預けられたりと、触れようと思った事は色々とあるんですけど、そんな中での福島での高校生による母親殺害事件です。
 母親を殺害したあと警察に自首する際に、殺害した母親の頭部を切断し、それをバッグに詰めて持参していたそうですが、取り調べの際に「誰でも良かった」ともいっている辺り、なんとも猟奇的で不気味さをましています。殺害対象が誰でも良かったというわりには首をはねるなんていう憎しみさえ感じるような行為をしている辺り、どうにも精神的に普通ではないものを感じます。首を落とすにはかなりの力が必要です。頚椎を切断しないといけない訳で、これ、かなり大変なんだそうです。と言うのは、江戸時代の「首切り」刑の執行の際、首をはねるにはかなりの居合の達人でなければ綺麗に一度ではねる事が出来なかったんだそうです。彼は一体どんな心境で母親の(それもとても仲の良い親子だったとか)首を切断したのでしょうか。
 この事件について、あるニュース番組のキャスターは、「インターネット時代の犯罪云々…」と言った事をコメントしていたんですけど、これは少年が切り落とした母の首をカバンに入れて、自首する際にまっすぐに出頭せず、途中でインターネットカフェによって、その後、自首したという事に起因しているように思うのですけど、この犯罪とインターネットの関わりが他にあって、犯行のきっかけにインターネットが関わっていた訳ではないと見られる中で、この発言はあまりにも安易過ぎるというか、最近の「型」にハマった発言というか、どうにもこのキャスターの事象を捉える力というのが疑われますね。ま、だからこの人のこの番組を見る事は殆どない訳なんですけども。
 精神的に不安定であった事は、少年が通っていた高校の先生が証言しているようですし、3年生になって学校も休みがちだったんだそうです。彼の精神を破綻に貶めたのは何だったのでしょうか。

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馬鹿にされてるのかな?
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 晴れ。 月齢25.6 下弦後の三日月 鎮静の月 有明の月

 どうやら花粉症になっちゃったようで、クシャミと鼻水と目のショボショボ感に襲われています。それにしてもこの時期になっての花粉症って、アレルゲンは何だろ? それにしても花粉症の人って、こんな思いしてたんだ。大変なんだね。このジュルジュルの鼻だけでもなんとかならないのかねぇ。でもね、ずっとじゃなくて、突然始まって突然終わるんだよね。どうなってるんだろ?

 昨日は通訳協会の学習会があったはずなんですよね。私は仕事の都合ででてませんけど、案内では「ガイドブック等でオリエンテーリングをします」という事でした。問題はね、ガイドブックの内容に問題があるという事なんですよ。それも、組織の根幹に関わる部分で大きな問題があるんですけど、それをどうしたんでしょうね。そういう事に対するレスポンスがあまりにも遅いのが一番の気掛かりです。「情報」という鮮度が重要な意味を持つものを扱う団体がこんなにもレスポンスが悪いなんていうのは一体何考えているんでしょうかね。
 くどいようですが、昨年(12月)提出した公開質問状への回答もまだ貰っていません。答える気がないのかどうかさえ答えてもらっていませんし、答えられない場合はその理由を教えて欲しいとも言っている訳ですけど、それも無回答のままです。これは一体どういう事なんでしょうね。馬鹿にされているって事かな?

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福祉関連ニュースから
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 晴れ後曇。 月齢24.6 二十六夜 鎮静の月

 夜半から雨って言ってたけど、今のところまだ降り出していません。でもね、おかげで暑いんだよね。むしろ降ってくれた方がいいんだけど…。

 福祉関連ニュースから二つほどご紹介したいと思います。
 一つ目は、ボランティアをすれば介護保険料を軽減するという案が出ているんだそうです。対象者は65才以上の高齢者で、活動の十世紀に応じたポイントを積み立てて保険料の支払いなどに充てる事が出来るんだとか。ボランティアの内容は、介護が必要な高齢者の話し相手や家事手伝いなどの活動なんだそうですけど、活動する事で自らを要介護状態になるのを防ごうという事なんだそうです。ま、家事の手伝いなどをさせる事で実質的な介護保健利用の抑制効果も期待出来る訳で、これ、どうなんだろって言う気もするし、反面、上手い方法だなとも思うんですけども、でも、65才以上で元気でボランティア活動出来る人はいいでしょうけど、そうじゃない人はどうなんでしょうね。これまた格差が広まる一方って言う気もしますけど。結局は支払う側の都合という気もしますけど。これはこれで、ま、言いニュースといえるかも知れませんけど、もう一つはどうしたモノかと思うようなニュースなんですよね。
 こちらの方は問題ありだと思うんですけど、作業所や授産施設で働く障害者の残業についてなんですけど、残業や休日出勤の強制などがあり、企業並の作業実態がある場合は労働基準法の適応がされて残業代などが支払われる事になっていたんですけど、新基準では訓練計画にも離婚で障害当事者の了解を得れば「訓練生」とみなして適応外となるんだそうです。これ、どうなんでしょうか。
 障害者の自立が大きく採り上げられている中で、自立を支える労働の問題が大きな課題となっているというのに、これでは逆行でしかないと思うんですけども。結局は最初のニュースと同じで、支払う側の懐事情が優先されるという事なんでしょうか。

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情報を何だと思っているんだろう
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 晴れ。 月齢23.6 二十五夜 鎮静の月

 先月開かれた通訳協会の総会の記録が手元に届いたので見てみたんですけど、これがビックリというか、あんぐりというか、これがホントに情報保障集団の記録なんだろうかと思うほどにお粗末な記録でした。
 何がお粗末って、書かれていない書かれていない。肝心な事(だけど都合の悪そうな事)は何にも書かれていない訳ですよ。私の提出した緊急動議については一切触れられていませんし、協会と通訳者の「請負契約」についても、「請負契約であるのなら契約書が必要だがどうするのか?」との問いに対して「必要であれば用意する」というような答えが合ったはずなのに、「確認の文章の必要性は来年の課題とする」となっていて、「契約書」については触れられていないんですよね。請負契約といいつつ、肝心の契約内容等について記された契約書を締結していないなんて言うのは商取引上どうなんでしょうか。こういう契約って、建築現場などで言う「一人親方」という状態になる訳で、契約書がないなんていうのは言語道断なんですけどね。「契約書」が意味する事とうのをホントに理解しているのか疑問が湧いてきます。それ以外にも通訳者の住所を通訳者の承諾を得ずに市役所とはいえが慰撫の組織に提供したというのは個人情報保護法に触れる行為で、これについても、「事業の性格上必要な処置」としているだけで、事後であろうと承諾を得ようという姿勢が見られないというのはどうなっているのでしょうか。
 これら以外にもまだある訳ですが、「情報保障」を担う集団としては情報の取り扱いがあまりにもお粗末で、自分達の責務というのがどういった性格のものなのか、何を担っているのかが全く理解出来ていないように見えてしまいます。また、この記録では総会出席者と欠席者の間に情報格差があまりにも大きく開いてしまう訳で、欠席者に誤解を与える元となりかねません。こういった問題に思いが及ばないなんていうのはどういう理由からなんでしょうか。私にはさっぱり理解出来ません。
 それとね、気になるのは、これを私に渡してくれた理事(事務局長)が「また怒るかも知れないけど」と言いながら渡してくれたんですよね。つまりね、この記録じゃまずいという事に気が付いているのにそのままだという事だと思うんですよね。これ、ダメじゃないですか。もう情けないったらありゃしない訳ですよ。まずいと思う情報を訂正もせずに配布するという精神構造は一体どうなっているんでしょうか。
 と言う事で、てにした夜に読み込んだあと、またもや質問状を作って代表・副代表・事務局長にFaxで送り付けるという事をしなきゃいけないハメになってしまいました。総会の際の緊急動議も入れると、今年度になってこれで既に3つ目の意見書という事になっちゃうんですよね。あまり怒らせないでよね。
フランスは何処に行くのでしょうか?
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 晴れ時々雨。 月齢22.6 二十四夜 鎮静の月

 今日は風が強くて少し寒いくらいの一日。明日もあまり暑くはならないんだとか。それは嬉しいっちゃ嬉しいんだけどもね。

 中国の某遊園地ではディズニーや日本のアニメのキャラクターを許可なく使っていて、各国のメディアが採り上げて問題にしているんですけども、当の中国国民は約30%が単にキャラクターを使っただけで問題はないと考えているそうです。
 ま、これがつまりは中国人の発想だって言う事ですよ。この発想はキャラクターのみならず、自動車や文房具のデザインもそうですし、DVDの違法コピーはその殆どが中国で行われていますし、自動車部品やブランド製品等々世界中のコピー商品のなんと8割が中国製なんですよね。中国の景気を底支えしているのは実はこういったコピー商品に寄るのじゃないでしょうか。こういうの、どんどん指摘して国際的な制裁を加えるべきだと思うんですけどね。中国政府は北京オリンピックに向けて知的財産権の反故を推し進めようとしていますけど、政府のそんな思惑とは別に、中国国民の思いは「儲けた者勝ち」っていう処にあるように感じますね。

 フランスの次期大統領がサルコジ氏に決まったようですけど、その結果、フランス国内では反サルコジの暴動が各地で起きているんだそうです。それにしても、彼の移民排除や移民弾圧、今後も続くのでしょうか。彼自身が移民の子だというのにどうしてこういう政策になるんでしょうね。サルコジ氏は日本の相撲も「ちょんまげを結い、とてつもなく太った男たちの戦いのどこに魅力があるのか。知的なスポーツとはとても言えない」と日本という国の文化を全く理解出来ないという面を表した事がありますが、どうやらシラク大統領が設けた「フランス共和国大統領杯」も今年の夏場所からは廃止になるようです。当選後に安倍首相が祝福の電話をした際には「日本に親近感を持っている。日仏関係をより発展させたい」といったそうですけど、薄っぺらに感じますね。だいたいさ、日本に親近感を感じているような人が相撲をして「と鉄もなく太った男たちの戦いの何処に魅力があるのか。知的なスポーツとはとても言えない」なんて事言う訳ないでしょうよ。このお調子者加減はブッシュ大統領と通じるモノを感じて「とても知的とは思えない」と思いますね。
 フランスというとどうも私は女性を大切にする国という印象があるんですけれど、初の女性大統領となるかもといわれたロワイヤル氏を差し置いてサルコジ氏が選ばれたというのはフランスが右傾化している事の現れかも知れません。
 当選が決まった途端にサルコジ氏は地中海にバカンスに出掛けたそうで、しかもそのバカンスがどうやら彼と繋がりのある経済界のトップからクルーザーや自家用ジェットを借りて行われたという事で集中批判を浴びているそうです。慌ててバカンスを切り上げてパリに戻ったようですが、「どうして批判されているのか理由が判らない」と言っているんだとか。ま、おそらく彼にとっては(地位にふさわしい事をしているのだから)当たり前の事をしているのにどうして文句を言われなきゃいけないのかっていう事なんでしょうね。この態度がつまりは彼の目指しているところを示しているといっても良いんじゃないでしょうか。ロワイヤル氏は彼の経済政策に対して「格差を拡げて結果的に治安を悪くしていくだけ」とサルコジ氏の「治安が最優先」との言い分に対して批判していましたけど、その心配はおそらく現実のものとなるんじゃないでしょうか。
 ま、ネ、フランスって実は嫌いなんで構わないっちゃ構わないんですけどネ。フランスの生んだ分化は認めますけれど。

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不必要なカテゴライズは誤解の元だと思うんだけど
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 晴れ。暑い暑い一日。 月齢21.6 二十三夜待ち 下の弓張り

 どうも風邪をひいたみたいでグシュグシュいってます。この時期の風邪って何だろうね。暑い暑いって思っていたら気温だけじゃなくて実際に熱もあったんだよね…。

 私の地元の通訳者の2人が手話通訳士試験に合格しました。ようやく通訳士が増えたという事でとても嬉しい事です。一人はまだ20代の通訳者で大学時代から手話を始めて今は手話通訳を仕事にしています。もう一人は手話を始めて約10年くらいの主婦で、私と同じくらいの年齢の登録通訳者です。
 彼女の合格した事についてのコメントの中に、「日本手話通訳士という資格が出来ると良いと思います」というモノがあって、私はちょっと違和感を感じたんですよね。「日本手話通訳士」という資格が必要だと彼女が言うという事は、つまり、日本手話を正確に通訳出来ている通訳者がいない(或いは少ない)という事を指しているのだと思うんですけれど、では、彼女は「日本手話」をどういうモノと捉えているんでしょうか。実は私には「日本手話」を完全にカテゴライズ出来ませんし、何処から何処までがその「日本手話」の範疇に入るのかという線引きがよく解らないんですよね。
 とはいえ、「日本手話」の存在を否定する気は更々ありませんし、日本手話は確かに存在しているとも思っています。また、明らかに日本手話とは異なる表現の存在も理解していますが、この両者が完全にどちらかに区別されるものではなく、その間に非常に緩やかなグラデーションで様々な表現のタイプが存在していると思っています。で、「日本手話通訳士」と、わざわざ「日本手話」というからには「日本手話」の通訳の出来る通訳者という事なんでしょうけれど、それは逆に捉えると、「日本手話しか通訳出来ない通訳者」という事になってしまうんですよね。私は「『手話通訳者』はあらゆるタイプの表現に適応出来る能力を身に付けなければいけない」とかねがね言っている訳で、その意味では「日本手話通訳士」なんて存在よりも多岐にわたって通訳出来る存在だという事になる訳です。つまりね、「日本手話通訳士」なる存在の意義を私は理解出来ないし、必要性もないと思っている訳です。緩やかなグラデーションで存在するあらゆるパターンに対応出来、それに沿った表現や理解をする事が出来る人こそが本当の意味での手話通訳者であり、そうであれば表現パターンによるカテゴライズをする必要は何ら必要ないという事なんですよね。
 日本手話を正確に理解出来る通訳者が少ないというのは地域の通訳者の様子を見ていると確かに思い当たる事で、そこに非常に恐怖を感じる事もありますが、だからこそ、それらの人も含めて全体のレベルアップこそが必要なのであって、こういう専門特化した通訳者は不要だと思いますね。それ以上に専門特化すべきは通訳する分野ごとの通訳者の専門特化だと思うんですよね。
 聴こえない人達の暮らしの幅が広がり、社会的にも活躍の場が増え、高等教育を受けたろう者達がそれぞれの分野でスペシャリストとして活躍する際に大きな問題となるのは自分が要求するレベルをクリア出来る通訳者があまりにも不足している(或いは存在しない)という問題なんですよね。この問題の方がよほど大きな問題で、各種の専門領域の知識を持った通訳者を養成して行く事の方が急がれると思うんですよね。
 ここでも見えてくるのが手話通訳者達の意識の低さで、いわゆる音声言語通訳者達のそれらの取り組みと雲泥の差があるという事を理解していないのはある意味でろう者を馬鹿にしているのではないかとさえ思えるんですけれど、どうなんでしょうか。
 この辺りに思いが至らないというのは、昨日のエントリーと同じでそれぞれの想像力の欠如から来る事なのかも知れませんね。
 想像力というのは通訳能力としても重要なもので、相手が一体何を言いたいのか、訴えの主訴は何処にあるのか、今言っている事はそこに至る道筋のどの辺りにあるのか、相手が引き出したいと思っている答えはどの辺りにあるのか、どんな理解を得たいと思っているのか、等々に思いを至らせる事は通訳の精度を上げるためにも必要な事だと思うんですけどね。
 こういった想像力や共感力は言語を担っている脳の領域と重なっているそうです。という事は、想像力の貧困な通訳者はそれだけでもしかしたら言語能力が低いのかも知れません。なんて、果たして真偽の程はいかがなものなんでしょうか、ネ。

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技術立国の影や今は何処に?
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 晴れ。穏やかだけど暑い一日。 月齢20.6 二十二夜 真夜中の月

 大阪の歴史のある遊園地で国内で初のジェットコースターの事故による死亡者が出てしまいました。これは由々しき事態なんですけど、驚いたのはこういう遊具って、「建築基準法」の範疇だったんですね。しかも、保守管理、検査については独自の基準設定というのがされておらず、建築基準法通りに検査していれば良いとか。今回の件ではその基準さえ守られていなかったという事も発覚していますが、最近のジェットコースターのような過激な乗り物、従来では考えられないような部分への考えられないような力のかかり方がしてるんじゃないかと思うんですけど、そんな基準で良いのですかねぇ。
 直径7センチものシャフトが折れるっていうのはかなりの力がかかっていた証拠でしょうし、そういう重要部品が設置後一度も交換された事が無く、検査も目視検査のみで、超音波などによる非破壊検査もされていなかったというのは完全に管理上の問題ではあると思いますけど、そもそも、設計などの段階で問題はなかったのでしょうか。
 失敗学の権威、畑村教授は「設計の段階でどういう事が起きるかという点についての想像や思索が足りなかったのではないか」といった趣旨の発言をしています。これはつまり、デザイナーや設計担当者の思考力が足りなくなっているんじゃないかという事だと思うんですよね。
 この事故とは直接関係ありませんけど、最近の車作りは殆どがCADを使ってされている訳ですが、そのCADってどのメーカーが使っているものも殆どが実は同じシステムなんだそうです。空力特性や構造耐力に関しても基本となる部分は同じものを使っている訳で、同じニーズ、同じようとのものを作ろうとすると結果的に同じようなデザインの同じようなパッケージのものが出来上がってしまうんだそうです。しかも、部品はそれぞれが部品メーカーに発注している訳で、場合によっては同じ部品メーカーに発注しているものも結構あるんだそうです。確かに、クラッチやミッション、ブレーキやダンパーなどはそれぞれの部品専門メーカーが存在していますし、そういうところで大量に開発、生産した方が効率も良く、コストも抑える事が出来ます。が、結果として、メーカーのやる事って、そういった部品をコーディネートしてアッセンブリーするだけ(極端な言い方ですけど)と言う事になってしまう訳なんですよね。枠にはまった設計や発想しか出来ないデザイナーの大量生産とそこから要求されるスペックを満たす事だけに力を注ぐ設計なんていうのは、ユニークなものや従来似なかったものを生み出す力なんていうのは育てる事は出来ない訳ですよね。その結果、小さくまとまった「80点」のものが出来上がる訳なんですけど、消費者もそういうメーカーサイドに教育(或いは洗脳)されてしまっているので不満が出ないなんていうとても歪な構造が出来上がっているのじゃないでしょうか。
 と、これは設計やデザインに関してだけの事じゃないと思うんですよ。マニュアル通りに作業すれば誰でも同じ品質のものが安定して作り出せる。そうすれば職人気質の高度な技術を持った作業者を費用をかけて育てなくてもバイトや派遣社員、請負に出してコストを抑える事が出来るというのが企業側の思想ですし、対して働く側も、マニュアル通りにしていれば問題は起きない。万が一問題が起きてもマニュアルの不備であって自分には責任はない。という長いものには巻かれろ的な思いの中で、実は企業の技術力というのは総合的には落ちているんじゃないでしょうか。高度経済発展の頃の日本は技術立国を目指していたんじゃなかったでしょうか。それは一応成功した訳ですが、それを維持し続ける事には果たして成功しているのでしょうか。どうにもそうは思えないと私は感じています。
 マニュアル至上主義や「コンプライアンスさえしっかりしていればあとは何やっても構わない」といった発想って、モラルハザードや思考の停止状態なんですよね。自分で考え、何が重要で、どうすれば良くなるのかを見つける事が大切で、それをしない思考停止状態というのは大きな問題なんじゃないでしょうか。
 これね、政治の世界でも同じですよね。「なんとか還元水が……」なんて言って事務所経費の詳細を公表しない某大臣、「法律に則って処理しているのでああだこうだと言われる筋合いはない」なんて事を言っていますけど、法律的には問題ないとしても、政治家として、大臣としての姿勢としてそれで良いのでしょうか。政治家は或いは大臣は何を目指し、どうあるべきかという事を考えているのでしょうか。こういった事に基づいて法律で決められている事以上の倫理観や指標を持って行動出来る事が「民意を託された政治家」として必要な資質なんじゃないかと思うんですけどね。「いちいち領収書を出して報告していたら仕事が進まない」なんて理屈は何処で通用すると思ってるんでしょうか。一般国民や企業にはそれを求めておいて自分達はそれをしないなんて言うのはどういう理屈なんでしょうか。これをエゴと言わずして何と言うのでしょう。

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連休ボケは大丈夫?
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 晴れ。爽やかな一日。 月齢19.6 二十一夜 二十日余の月

 昨日と打って変わってとても爽やかな一日。いい天気だけど、少し冷たいくらいの涼しい風が吹いていて過ごしやすい一日でした。

 ゴールデンウィークも終わって、通常進行に世間もなった訳ですけど、みなさん、休みボケはどうですか? 大丈夫?
 先月の21日に地元の通訳協会の総会が開かれ、新しい体制が決まって動き出している訳ですけれど、総会の中で色々な問題点が指摘されていると私は理解しています。総会時に提出した「緊急動議」とは別に、協会と各通訳者との関係が「業務請負」であるという事が総会の際に確認された訳ですが、これ、大問題なんですよね。これについて私は、「業務請負という形で契約している事になっているが契約締結した覚えがない事、契約書を交わしていない事」を指摘しています。また、業務請負という形態だと、通訳協会から外注として通訳者個々がいわゆる「一人親方」という形で存在する事になる訳で、請負の対価については時給だてでは支払えない事(「出来高払い若しくは完了払い」であるべき事(時給払いだと業務請負として成立しません)、「寄付」についても、外注先から集める事になる訳で、「寄付」の証明がないと確定申告出来ないという事、それによって不当に所得税を課される可能性がある事、そもそも、通訳者に対して業務請負という形で委託契約をする事は協会が市と交わしている委託契約書に反する事になる事等々、契約の形式だけをとっても問題が山積されている訳ですが、総会から2週間が過ぎた現在でも改めて何らの動きも感じられません。どうなんでしょうか、この辺りの問題を正確に認識出来ているのでしょうか。
 と、こんな事をここに書いちゃうから疎ましがられちゃうんでしょうけれどね。

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