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2007.06.04
子どもなのはどっちさ

晴れ。 月齢18.3 寝待月
今朝、ベランダのテーブルの上にツバメが二匹遊びに来ていました。リラックスして話でもしているようでとても和やかな風景でした。
IWCに関してはもう書かないようにしようと思っていたんですけども、ある記事を目にして、少し反論したいと思います(と、ここで私が反論したところでどうって事はない訳ですけど)。
記事によると、IWCでの日本の商業捕鯨をめぐる対応(脱退や新機関の設立の示唆)は「子どもじみた癇癪」だとオーストラリアの環境大臣がコメントしたんだとか。また、日本政府のこの対応は最終的には日本政府に良い結果をもたらさないとし、「日本政府は落ち着いてIWCでの失敗を振り返り、自身に対して「国際社会の意見を無視出来るか」と問いかけるべきだとも言っているそうです。
子どもじみた対応をしたのは一体どっちなんでしょうか。科学的調査を裏付けとした論理的見地から商業捕鯨の再開が可能である事を述べ、それにより資源の効率的利用と保護を訴えている日本の主張に対して、十分に科学的反論をせず、感情的に「鯨は知的動物であり、食べるのは可哀想」という情でしか反論出来ず、数の理論を頼りにごり押しをして、それを「国際社会の意見」と嘯いているオーストラリアの何処に大人としての対応があるのでしょうか。また、「IWCでの失敗」というのも何を指しているのでしょうか。私の考えでは日本の失敗はひとえに票取り合戦に負けた事、十分な根回しとどっちでも良いと思っている国を自国側に付ける事をしなかった事にあると思いますがどうでしょうか(反捕鯨は海の無い国まで引きずり出してIWCに加盟させたりなんて力技をしていますから)。
オーストラリアが反捕鯨に固執する理由を考えてみると、二つの事が考えられるのではないかと思うんですよね。それは、「ホエールウォッチングとしての資源利用」と「牛肉の売りつけ」ですよ。
オーストラリアはアメリカに次ぐ牛肉生産国で、日本もご多分に漏れず、アメリカの次ぎに多くの量の輸入をしている国です。日本が鯨食を本格的に再開してしまうと、当然の事ですが、牛肉の消費量が減ってしまいます。おそらく、日本の輸入量調整はアメリカではなく、オーストラリアから始めるのじゃないでしょうか。そうなればオーストラリアは経済的にも産業的にも大損害を被るという事になる訳です。現在、日本の鯨食料は極端に減っていて、日本人一人当たりの年間平均にすると、僅か30グラムで、お刺し身一切れ程度なんだとか。これをして「鯨食は日本の固有文化だとする根拠はない」と安直な結論を導き出す人達もいるようですけど、これは鯨肉があまりに高価で少量しか出回っていないからこその結果ではないのかと思うんですけどね。これは商業捕鯨の一時停止前(1980年)の年間平均消費量が2.5キログラムだった事からも明らかだと思うんですけどね。こういうレトリックを持ち出す人に限って、現実を正確に理解しようという姿勢が足りなかったりするんじゃないでしょうか。
牛肉一キロの生産に必要なトウモロコシなどの飼料の量がいくらかご存知でしょうか? 約8キロが必要なんだそうです。2002年の輸入実績ではオーストラリアは26万トンでアメリカを押さえて堂々の一位(アメリカは24万トン)。つまり、彼らは208万トンもの穀物を使って26万トンの牛肉に換え、それを売りつけてきている訳で、この背景には穀物市場も絡んできているのではないかと思う訳です(それでなくてもバイオエネルギーとかで穀物は値上がりしていますし)。方や、クジラは天然資源です。クジラに置き換えられた牛肉分の穀物は他に使える訳で資源の有効利用を考えるとこの方が断然理にかなっているのではないでしょうか。
日本が商業捕鯨を再開したとしても、乱獲するなんて事はない訳で、現在主張しているのは沿岸での伝統的な小型捕鯨の再開についてで、それによってミンククジラ(近年増加の一途を辿っている)の生態系に影響を与えるほどではないもので、むしろミンククジラ等の増加によりミンククジラが餌としているサンマやイワシといった海洋資源が枯渇する事の方が大きな問題ではないかと思っています。
また、ホエールウォッチングに関しても、実はクジラの生態系に影響を与える危険があるとされていますし、昨今ではホエールウォッチングの船とクジラの衝突事故でクジラが傷つくなんていう事も結構頻繁に起きているようです。オーストラリアにとっては観光資源として重要な位置を占めているようで、こういう事故はこれからも減らないのじゃないかと思いますが、それによって傷ついたクジラは生命の危機に晒されないのでしょうか?
また、これらとは別に、反対派の人達に論理的に説明して欲しいと思うのは、「どうしてクジラを食べてはいけなくて、牛や豚、羊なら良いのか?」という事の論理的な答えです。彼らはクジラを「知的な動物だから」という事をいっていますけど、では、カラスや犬(朝鮮半島には犬食の文化がある!)はどうなのか、「知的」は何処でボーダーが引かれるのか、という事です。
知的であるかどうかなんていうのはあまり意味のない事ではないかと思うんですよね。生きとし生けるものであれば、それはすべて等価で、それを食べる事で生きていくという事をしっかり捉えておく事こそが必要なのではないかと思うんですよね。
こういう問題は思春期に行き当たる問題で、彼らはいまだにその部分を引きずっているんだろうっていうところを見ても、「大人になり切れていない理屈っぽい子ども」っていう構図が見て取れますね。早く大人になってちゃんとみんなに判るような理屈を前に出て説明しようね。
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