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2007.08.15
日本が負けた日

晴れ。 月齢2.2 三日月
青空を背景に入道雲が大きく育った空が広がっています。今年はセミが大量発生しているんだとかでセミの声がとてもうるさく響いていますけど、日本列島のセミの分布状況が変わってきているんだとか。温暖化の影響なのでしょうか。亡くなった母によると、62年前の今日も晴れ渡ってとても暑くセミの鳴く日だったんだそうです。
群馬県では40.2℃を記録したんだそうです。東京電力では柏崎原発の停止の影響を受けて、この夏電力不足に陥る可能性があるんだとか。原発のリスクを地方に押し付けた事による自業自得といった面は免れ得ないとも思うんですけども、それでも深刻な問題ではあるでしょうね。とはいえ、62年前と比べれば、平和そのものといったところですね。
62年前の今日、昭和天皇による「玉音放送」があり、国民が戦争の終結の発表を受けました。「前の日からね、『明日は大変重要な放送があるから正午になったらみんなラジオの前に集まってちゃんと放送を聞くように』と知らせがあって、家族みんながラジオの前に集まって『何があるんだろう』って言いながら聞いていると『今から天皇陛下による重大な発表があるので聞くように』と放送があり、玉音放送が始まった。」と母は言っていました。「聞いた時にどう思った?」と聞くと、「難しい言葉だったので何をいっているのかよく判らなかったけど、『どうやら日本が負けたらしい』というのは周りの様子からも解った」と言ってました。母は終戦の時に17歳。「やっと終わった」というのが正直な気持ちだったんだそうです。
8月15日を「終戦記念日」と称している訳ですが、8月15日は玉音放送があり、国民が戦争の終結を知った日であって、法的な意味ではこの日に戦争が終わったという訳ではないんですよね。第二次大戦(太平洋戦争)が終結し、戦争が終わった日、つまり「終戦日」がいつなのかというと、諸説あるそうで、ポツダム宣言の受諾を決め、受諾通告と終戦の勅書の公布はこの前日、8月14日に為されていますし、軍への正式な停戦命令は翌日、つまり8月16日でした。手続き上の事を含めて言うと、ポツダム宣言受諾の休戦文書に調印したのは翌月9月2日で、この日、海軍は正式に降伏しています。また、国際法上はサンフランシスコ講和条約が発効した1952年4月28日をもって戦争が終結したとされるそうです。が、この一連の戦争終結の流れの中でも8月15日の玉音放送は国民にとって一番印象的な終戦の日という事になるんでしょうね。因みに、内務省の発表によると、戦死者は212万人。空襲による死者は約24万人とされています。当時の日本の人口は約7,000万人です。
国によってこの終戦日が違っているようで、アメリカでは時差の関係もあり8月14日が「対日戦勝記念日」になっているようですし、ポツダム宣言の調印日9月2日を「VJ-DAY」、つまりは日本に勝った日として宣言されているんだとか。
ポツダム宣言の受諾の意向についてはもっと早い時点で各国に伝えられていて、8月10日には各国に打電されていたんだそうです。その関係で、アメリカの終戦を祝う人たちの映像は8月11日のものだとか8月10日以降も爆撃は続けられ(最終爆撃は8月14日大阪、熊谷、岩国、山口県光市、小田原、秋田・土崎)ていた訳で、これらの意味する事はどうなるのでしょうか。
また、ソ連・中国戦は8月15日以降も継続されていたんだそうで、正式にポツダム宣言に調印した日の翌日、9月3日を中ソは「対日戦勝記念日」としています(が、ソ連はその後も北方四島への展開を進め9月4日に占領を完了、戦闘が終了しています)。
私自身はこの日を「敗戦記念日」と言っています。「終戦」した事には間違いない事ですが、「終戦」という言葉でごまかすのではなく、「日本が敗戦する事で戦争が終わったのだ」という事を明確にする事って大切なんじゃないかと思うんですよね。聞くところによると、最近の子どもの中には日本が勝って戦争が終わったんだと思っている子もいるとか。「こんなに発展したのは勝ったからに違いない。負けていればこんなに発展している筈が無い」というのがこの子ども達の考えなんだそうです。
先日のエントリーでも取り上げましたが、アメリカでは広島と長崎の惨状を綴ったドキュメンタリー映画が全米最大のケーブルテレビで流れています。これを見たアメリカ人の中には「(学校の)授業では多くの人を救う為に必要なものとして学んだが、これほどまでに悲惨な事が本当に必要だったのだろうか?」と疑問を感じる人もいるようです。
日本の学校で第二次大戦についてどれ程の事を教えているのでしょうか。私が学生だった時には実は第二次大戦について学校でまともに学んだ事がありません。非常に短い時間で御座なりに学んだという印象しか残っていません。今もそれと大して変わらないとすれば、上記のようにアメリカと日本が戦争をしたという事を信じないなんて事も尤もかも知れませんね。
東京裁判(極東軍事裁判)で、被告人全員の無罪を主張したインド代表のパール判事は無罪を主張した理由として、戦勝国による敗戦国虐めの状況を挙げ、公平公正な裁判であれば、アメリカによる原爆の投下などの戦勝国側の犯した罪も裁かれなければならない筈が、裁かれていないという事を挙げて、法の不備により裁く事が出来ないとしています。
後に、パール判事は「武力を捨て政治を考えるべき時だと私は思います。なぜなら、武力はもはや何の役にも立たなくなったからです。武力は全く無意味になったのです」と述べています。これは、「平和に対する罪」や「人道に対する罪」が具体的に国際法で裁かれるものとなったならばという意味ですが、残念ながら現実はそうなっていない訳ですよね。つまり、現在でも武力は国際紛争を解決する有効な手段として意味を持ったままであるという事です。これは非常に悲しい現実です。
「武力を捨てて政治を考える」これは政治家が本来の能力を発揮して国際貢献や日本の安全を担保するという事です。つまり、武力を必要とし、海外派兵を是とする政治家は、本来の自らの仕事を放棄し、安易な手段で事を済ませてしまおうという発想ではないでしょうか。
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