川辺のタヌキ
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言葉のプロ?
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 晴れ後曇り。

 落語家の三笑亭夢之助氏が島根県安来市で市主催の敬老会で落後をしていた際に舞台上にいた手話通訳者に対して「落語は話し言葉でするもので、手話に変えられるものではない」と発言。更に「この会場は聞こえる方が大半ですよね。手話の方がおられると気が散りますし、皆さんも散りますよね」と話し、さらに、「どうにかなりませんかね」「皆さんが良いとおっしゃるなら構いませんが。どうなんでしょうね」などと退場を求める発言を続けた結果、通訳の女性は主催者側に促され、舞台の下に降りて通訳を続行するという事態が起きていたそうです。この件はすぐにこの催しに参加していた聴覚障害者から島根県のろうあ連盟に連絡が行き、県ろうあ連盟として夢之助氏や安来市、落語芸術協会に抗議文を送付し、その結果、夢の助氏は文章で謝罪、発言の真意について「気も散漫になって話を間違えることでお客様に迷惑をかけてはいけないので、手話の方に、私の横でなく、後ろに立つか、座ってくれるのか……との思いで声をかけた」と説明。毎日新聞の取材に対し、夢之助氏のマネジャーは「本人は非常に反省している」と話したそうです。
 色々と見方はあるのでしょうが、いまだにこういう事は実際に各地で起きているんですよね。でもね、これは明らかにパワハラ(パワーハラスメント)で、理解不足によるとはいえ、障害者差別です。
 一つ目の視点は、当事者、夢之助氏の言動についてです。落語家として話しにプライドを持っているというのはよく判る事ですが、そもそも手話通訳が横で手を動かしている程度で気が散るようなプロじゃダメじゃないですかね。「話し言葉でするモノだから手話に変えられない」というのは手話に対する認識の不足と、言語に対する非常に狭い理解というのがあるように感じます。落語家さんの中には英語などの外国語で寄席を開いたり、実際にアメリカで英語で落語会を開くという活動をしている人もいます。手話を言語の1つと捉えると、英語で出来る事で手話で出来ないという断定をするのはどういった根拠からでしょうか。また、実際に手話で落語をするプロ(手話落語のプロ)もおられます。手話落語が完成度としてどうかという問題は別の問題として、手話で落語をする事が不可能という言い方は理に適わないという事ではないでしょうか。また、言葉のプロだという自負心があり、「話し言葉でするモノ」だと言い切るのであれば、それで聞こえない人を笑わせるくらいのプロ根性や職人気質を発揮されては如何でしょうか。また、自身の考えは考えとしても、それを「皆さんも(気が)散りますよね」「皆さんが良いとおっしゃるなら構いませんが。どうなんでしょうね」と観客に転嫁するのはプロ意識の欠如ではないでしょうか。卑怯ではないですかね。これ以外にも、「この会場は聞こえる方が大半ですよね。」という切り口は、数の多い方が正義で少数者はそれに従えば良いのだというとても横柄な考え方を象徴しているのではないでしょうか。また、謝罪は文章でされたようですが、直接のコミュニケーション手段を持たない方ですから文章という方法は仕方がない事でしょうが、その後のメディアの取材にはどうして御本人が対応されなかったのでしょうか。ご自身のした事の意味が十分に理解出来ているのか疑問です。
 二つ目は、これを受けて、通訳者を舞台下に促した主催者(市)の対応です。人権学習や障害者・高齢者問題を率先して進めていくべき立場にある市が、聞こえない人にとってとても大切な手話通訳者をいとも簡単に舞台から降りるよう促すというのは言語道断ではないでしょうか。むしろ、舞台から降りるよう促す相手は夢之助氏だったのではないかと思います。市職員も研修の中で人権学習をしているはずで、こういう対応になったのはどうしてでしょうか。おざなりに形だけの人権学習をしても身に付かないという事の見本という事なのかも知れません。また、夢之助氏に当然伝えられるはずの手話通訳が付くという事を伝えていなかったという事も主催者としての配慮不足で、責任を問われるべき事かも知れません。どうしてこういう事になったのでしょうか。当該の市の行事には手話通訳が付く事が当たり前になっていて、だからそれについてことさら説明する事がなかったのだとしても、当該の市としては常識でも、演者にとっては常識とは限らない訳で、その旨伝える事こそが常識的配慮ではないでしょうか。また、もしかすると、伝える事によって相手によりますが、事前の資料提供があるかも知れない訳で(通訳を受けるという事に慣れている人ならこういう配慮があるかも知れませんから)、そういったチャンスをみすみす逃していたという事になるのかも知れません。
 三つ目は、手話通訳者の対応というか、事前準備がどの程度出来ていたのかという事ですね。歌や落語を手話で伝える、特に、演者がいてそれを隣で「通訳する」というのはとても難しい事です。私なら引き受けないかも知れません。よしんば引き受けたとしたら、おそらくその演目を丸暗記するくらい見たり聞いたりした上で、それらの言葉がどう訳されるべきかを考え、組み立て、手話としてみても十分にその雰囲気を伝えられるモノに仕上げた上で挑むだろうと思います。が、それには十分な時間が必要になりますし、それなりの技術や知識も必要になります。さて、この通訳者はそれらの事を準備した上で挑んでいたのでしょうか。もしも、そうしていなかったとすると、それは演者に対して失礼な事をしたという事になるのかも知れません。また、この件が明るみになったのは聴覚障害者自身が県のろうあ連盟に連絡したからですが、この通訳者は何らかのアクションをしたのでしょうか? 例えば、コーディネーターにはどういった報告書を出したのでしょうか。舞台からおろされた時点、あるいは通訳が終わった時点で主催者に対して「これは明らかに人権蹂躙で障害者差別である」という事を指摘したのでしょうか。
 こういう事例を検証し始めると様々な疑問が浮かんできます。なぜこうなったのか、どうしてこうなるような状態を放置していたのか、その後の対処はどうしたのか、手話通訳者はその中でどう関わっていったのか。こう言った事を検証していく事で、これらの事象は事例化され、整理されて教訓とされていく訳で、そのためには本来、多面的な検証が必要で、当該地域の通訳者集団でそれらの検証と教訓化の作業が為される事を期待します。
 こういった事象は実は各地で今もなお起きています。私の住んでいる地域でも、ほんの数年前、同じく落語家の某氏が同じく高齢者を対象とした催しの講演に来られた際にも、打ち合わせの段階で「手話通訳は邪魔だから舞台下でして欲しい」と言い、通訳担当者が「出来ればお話のあらすじだけでも資料があれば教えて頂きたいのですが」と聞くと、「そんなモノはないし、話のスジもその時その時で変わる。プロだからその時その時の様子に合わせて話を変えるのは当たり前。君もプロならそれにあわせるのがあたりまえ。」と言って結局何の打ち合わせにもならないままで講演(落語ではなくトーク)が始まった訳ですが、大きな事を言っていた割に観客のウケもたいして良くなく、言いたい事も何だかはっきりせずの講演で話芸のプロの話だとは到底思えないような惨憺たるものだったって事がありました。結局この時の講師は手話通訳者も含めてろう者をバカにしていたという事なんでしょうけど、笑いを取る力も話を伝える能力もなく、ましてそのことにさえ気が付かない「プロ」が他者を思いやる事なんて出来なかったという事なんでしょうね。
 某氏の事はさておき、今回の一件は「障害者の権利条約」と対極に位置する行為で、現状の社会での障害に対する理解や配慮の足りなさ、思慮の浅さが浮き彫りになったような事件ではないでしょうか。そう、こういう状態の社会で障害者は生きている。それが現実だという事なんでしょうね。


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市交渉への考察2
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晴れのち曇り。日が落ちて雨。 月齢18.9 更待月

 障害者自立支援法は、「公平で公正な負担」という名目で、障害当事者から自己負担を徴収するシステムになっています。「自立」には色々なフェイズがある訳ですが、経済的自立は障害者にとって大きな課題であり、大きな障壁でもあります。自立支援法で求められる自己負担分を支払おうにも、経済的な自立が成立していない状況では「支払いたくても支払えない」状況になる訳なんですよね。自立支援法の成立とともに、実は障害者雇用促進法も改正され、雇用率が改正されています。これはアンファーマティブアクションの強化を目指している訳で、それによって障害者の経済的自立を促そうというのが目的になっている訳ですが、現実にはその程度で障害者の自立なんて図れやしないんですよね。
 読売新聞のサイトによると、教育委員会に対して厚労省が職員の障害者雇用率が法定雇用率2.0%に達していない教育委員会が38都道県に達していると発表、31日にも障害者雇用促進法に基づいて改善を求める適正実施勧告を行う方針だそうです。この法定雇用率、教委2.0%以上のほか、国・地方の公的機関2.1%以上、民間企業1.8%以上。厚労省によると、法定雇用率を達成している機関の割合(2006年6月 時点)は、国の機関が97.4%、都道府県の機関90.8%、市町村の機関77.6%。だが、公立の小中高校の教員や事務職員採用の大部分を担う47都道 府県教委はわずか4.3%に留まっているという事で、今回のようなことになったわけですが、そもそもこの法定雇用率が妥当なのかどうかという点についても検討するべきなんじゃないのかと思っています。この比率って公平性を感じないんですよね。総人口に対する障害者人口の比率を考えると、この数字(法定雇用率)はもっと高くするべきなんじゃないでしょうか。アンファーマティブアクションとしてもこの数字はあまり意味がないような気がします。と言うか、こんなに低い数字でさえ達成できていないという現状を考えると障害者の経済的自立なんていうお題目は全く絵に描いた餅的状態で、経済的自立という裏付けがあってこその自己負担を強いている自立支援法は端から破綻しているという事なんじゃないでしょうか(って、もともと自己負担をして「公平公正」だなんていう発想そのものがおかしい訳ですけれど)。
 それにしても、教育機関での雇用率の低さには教職員の質の低さが伺えるようで教育に関わる領域の古くさい因習というのも感じますね。「だから教育の現場も」とは言いたくはありませんが、こういう状態でこれからのインクルーズがホントに可能なのでしょうかね。ちなみに、大阪府・京都府の教育委員会はこの法定雇用率を達成しているそうです。
 その大阪府はと言うと、全国学力検査の結果が惨憺たるもので、小・中学共に全国47都道府県中46位という成績が発表されていました。全国のランキングを見るとどうも都市部の成績が芳しくないようすですが、それにしても酷いありさま。「家庭環境の格差が現われた結果」「地域差が大きく地域格差が現われた結果」という分析をしているようですが、家庭環境の格差や地域格差が酷いからというのは理由になるのでしょうか? そもそもそういう格差を放置し、教育に影響をあたえるようにしたのは誰なんでしょうか。こういう大阪の教育を指示・指導してきた人が新しくわが街の市長になったわけですが、ホントにこの人でこの街は大丈夫なのでしょうか。
 新市長は最新号の広報の中でも「必要な人に的確なサービスを提供」ということを挙げておられるようですが、聴協・青柿の要望書への回答を見る限り、本当にそう考えているのか疑問です。いや、そう考えていてあの回答なのだとすると、手話通訳の養成に関しては費用対効果やニーズの面から「的確なサービスの提供には該当しない」という判断があったという事になるのでしょうね。また、緊急時の通訳派遣体制に関しても積極的に市がリードするほどに重要な問題ではないという判断なのでしょうし、避難所の担当職員の手話修得に関しても、プライオリティの高いものではないという判断がこれらの回答になっていると考えていいのかもしれません。
 同じく広報にも書かれている事で、選挙の際の公開質問への回答でも書かれていた事ですが、「いろんな場面に出向いて市民の皆さんと対話を深めたい」という事ですが、果たして市交渉の場には対話を深めに出向いてくるのでしょうか。公開質問書で実質的に市交渉への参加を要請している訳ですが、それに対してどう考えどう行動するのか、これらを見る事で、新市長の本意が何処にあるのかも見えてくるのではないでしょうか。で、現実には「御臨席」賜れるのかというとおそらくまずそうはならないでしょうね。万が一、本人が「参加したい」と言ったところで、周囲は反対するでしょうし、担当部署としては来られると「目の上のたんこぶ」ですからね。前市長路線を継承する新市長ですから、お膳立ての出来た、「御用学者」が揃っていたり親派の市民による集会などには参加するでしょうが、何処の馬の骨かも判らないような危ない障害者団体の交渉なんて以ての外という判断が立つんじゃないでしょうか(少々自虐的ですかね?)。ま、そこまで行かなくとも、前市長の政策から見ると、福祉関連事業などは出来れば切ってしまいたい盲腸のようなモノでしょうから。
 以前、ここでも紹介した事がありますが、9月28日に日本政府も署名した「障害者の権利条約」では第11条に以下のように書かれています。

    第十一条 危険な状況及び人道上の緊急事態
     締約国は、国際法(国際人道法及び国際人権法を含む。)に基づく
     自国の義務に従い、危険な状況(武力紛争、人道上の緊急事態及び
     自然災害の発生を含む。)において障害者の保護及び安全を確保す
     るためのすべての必要な措置をとる。

 日本では武力紛争なんていう事はまずあり得ませんから、ここで想定される「危険な状況」や「人道上の緊急事態」とは災害の発生時や命に関わる状況にある時と解釈すれば良いのではないかと思います。この条約によると、それらの際に障害者の保護や安全の確保に必要な措置を取らなければならないとされている訳ですから、聴覚障害者に対する災害時の情報保障体制や命に関わる状況でのコミュニケーション環境を整備する事は「予算がないから」で片付けて良い問題ではないという事になります。さて、この回答を書いた人物はこの「障害者の権利条約」についてどの程度知っていたのでしょうか。回答が書かれた時期がいつなのかという事を私は知りませんが、日本政府が署名する以前から私はこの条約を知っていました。条約が制定された辞典で日本政府は仮訳を公開していましたから、もしも回答作成者がこれを知らなかったとすると、かなり仕事(福祉行政)に対して誠実ではなかったという事にならないでしょうか。そういう不誠実な人が本当に必要としている支援をむげもなく「予算がない」というまことしやかではあっても本当の事とは到底思えないような回答を作り、切り捨てているという事に不快感を感じます。ま、ね、そもそも私がまだ役所で通訳をしていた頃の福祉部長は年末だったか年初だったかの挨拶で「公務員は勝ち組だ」と堂々と、しかも平然と言ってのけた人ですから、そんな人たちに本当に必要な人のための障害福祉が出来るとは思っていませんけどね。はてさて、11月2日はどうなるのでしょうか。

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市交渉への考察
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 何とかかんとかインストールに成功。とはいえ、完全に新規インストールって事になってしまったので色々と困った事も起きています。何といっても、アプリケーションも消えちゃってるし、それぞれの設定も消えてしまっていますからね。それに、メール関係も完全に消えちゃってますから、全て一からという事になってしまいました。
 とはいえ、新しいインターフェイスはとても綺麗で分かり易く、より洗練されたものになっていました。それにしてもこのレスポンスの早さ、気持ちいいですよ。まだまだ環境が完全に整った状態ではありませんが(アプリケーションの設定とかもうめんどくさくて・・・)、とりあえず作業をしようと思えば作業が出来る状態といったところでしょうか。あ、そうそう、Officeが少しレスポンス良くなった感じがするんですよね。これ、Leopardになって、 Intelネイティブじゃないアプリケーションも早くなっているっていう事なのなら凄いですね。

 今日から定例議会開催っていう事で、新市長の所信表明とかもあるんでしょうね。手話通訳が付くという事ですが、どうなる事でしょうか。結構うるさがたが傍聴に行くように聞いているのですけども。今週の金曜日には市交渉という事で、改めて役所の回答にももう一度目を通している訳ですが、この代わり映えのしない紋切り型の回答、これ書いた人相当頭悪いんじゃないかと思いながら読んでいます。こんな言い訳がまだ通用すると思われているのだとしたら、聴覚障害者団体や手話サークルは舐められているという事なんでしょうね。ある意味では舐められても仕方がないような市交渉をここ数年している訳で、それはこちら側としてももっと真剣に反省しなきゃいけないところなんじゃないかとは思っています。
まず、緊急時の手話通訳派遣については契約の見方によれば確かに通訳協会にそれらも含めて依託していると捉える事も可能で、事実、従来の通訳協会はそういう理解の上で緊急時の体制について検討していた時期もあります。ここ数年は夜間の依頼などの実績もあまり無く(というか、おそらく個人依頼で数件の依頼はあったのでしょうが理事会が管理しきれていないために把握出来ていないのだろうと思いますが)、切迫した問題としての意識もないままに放置されていた感があります。また、今年度に関してはコーディネート業務を基本的には障害福祉に返したと捉えているために、閉庁時間のコーディネートも基本的にはあまり重要視されておらず、等閑(なおざり)になったままといったところなんですよね。実はこのコーディネート業務の返還に伴ってこういったグレーゾーンが出てきている訳で、そこは障害福祉室と通訳協会の間での摺り合わせが十分に成されていなかった、つまり、両者のコミュニケーションが十分に為されていなかった(為されていない)という事を露呈している訳です。実際にはこういう事態についての詳細は取り決め事項として双方が確認を取って書面化しておくべき事で、それをしていなかった責任は両者にあるといえるでしょう。
 また、「緊急時の通訳の必要性」については認めつつ、「医師会等を通じて医療機関にお願いしていきたい」と、その責任の所在をあたかも医療機関にあるように問題点をすり替えてしまっている点は大きな問題ではないかと思います。この考え方は、そもそも医療機関における情報保障を含めて公的派遣制度で補ってきている現状を否定している訳で、それなら例えば市民病院における手話通訳の費用に関しては市民病院が計上するべきという事になるでしょうし(これは従来から主張している事ですが)、それぞれの医療機関への是正処置(情報保障体制を整備するための補助等)を検討する必要が障害福祉にはあるという事になります。また、緊急時の派遣となると、例えば消防署との連携がとても大きな比重を占める事になりますが、消防は民間医療機関ではなく、行政の責任という事になります。また、「医療機関にお願いしていきたい」とは具体的に何をどうお願いしていこうとしているのか、こういった事も全く具体性がない訳で、この文章が如何に「お茶濁し」の文章であるかが判るのではないでしょうか。
 手話通訳者の養成に関しても、「養成に時間がかかる事などは理解している」と、理解しているかのような事を言いつつ、「上級手話講習会に登録者も参加出来るように・・・」と講習会がどのレベルの何を養成しているモノなのかについての理解が全く出来ていない事を露呈していて、従来から「手話が出来る事と手話通訳が出来る事は全く違うモノ」という説明を理解出来ていないという事の証明でしかないでしょう。また、委託事業であっても、現状の手話通訳派遣制度は最終的には行政の責任において実施されている事業で、事業実施責任としての質の確保や養成の責任というモノが全く考慮されていないという事を示しています。障害者自立支援法の実施により、事業主体が都道府県から市町村に委譲されている訳で、その意味でも事業の質を確保する責任は市にあるのではないでしょうか。
 携帯メールによる通訳依頼についても、「研究・検討していきたい」と具体性に欠ける回答で、研究しなければいけない課題がどんなモノなのか、研究しなければいけないほどに大層な問題があるのかよく判りません。方や、現実に市のコーディネーターは通訳者への依頼をメールでしている訳で、研究しなければいけないほどの課題があるのならこれも大きな問題ではないのかと思います。利用者へは「メールでは受け付けない」と言っておきながら、通訳者への依頼はメールでされているというダブルスタンダードはどういう意味で、どういう正当性があるのでしょうか。
 避難所の担当者が手話を覚えてコミュニケーションが十分出来るようにと言う要望に対しても、理由にならないようか理由で不可能であるとし、その上で、職員対象の手話学習会をこれからも開いていくというような内容の回答でしたけど、避難所も含めて役所の職員が手話を覚えるという事はある種、公務員としての義務なんじゃないかと思うんですよね。これは、市民への情報提供という事を根拠にしている訳で、彼らの仕事とは、市民に対して情報を提供し、市民生活を円滑にする事なんだと思うんですよね。市民サービスが公平公正であるためにはすべからく市民に対して情報を提供出来る状態でなければいけない訳で、つまり、聞こえる市民と聞こえない市民に情報格差が生じるような状態は行政としての業務を履行していないという事になるのではないでしょうか。公平公正に市民サービスが出来る状態になる事は公務員の義務で、その意味からも、公務員として手話を覚える事は業務上必要な義務という事になると私は考えています。避難所の担当職員が手話が出来るようにというのは尤もな要求で、それを覆すに値する理由というのは見あたらないと思いますし、そもそも、公務員であるという時点でこれらを出来ないとする理由はないのではないでしょうか。というのは建前なんですけどね。それが出来ない現実があるからこそ、そこを補填する意味で手話通訳派遣制度などが存在している訳ですから、手話通訳派遣制度などを有効に活用する事で、この問題の糸口は掴めると思うのですけれども。しないに避難所は一体いくつあるのでしょうか?第一次避難所が52ヶ所、第二次避難所が19ヶ所、広域避難所が4ヶ所で合計75ヶ所の避難所があります。枚方市の登録通訳者は40数人ですから、1人1ヶ所を担当したとしても足らない事になります。ところが、避難所の担当職員はそれぞれの場所に複数存在しているはずですから、これらの人に手話を覚えてもらう方が効率的ではないでしょうか。また、避難所に1人で避難している状態が長いと、どうしても情報阻害が進んでしまう傾向にあるので、出来れば避難場所をある程度集中させるような手段も考えた方が良いかも知れません。それには避難所の職員が誘導するなどの方法が必要になるでしょうが、その職員が手話を知らないでは意味がない訳です。避難を要する場合の障害者に対する対応については障害者の人権条約でも謳われている事ですから、これを否定する事は出来ないはずです。
 と、まぁ、私1人が考えるだけでもこれだけ突っ込みどころ満載の回答な訳で、よくもまぁ、これだけ見事な回答が作れたモノだと感心しています。この回答を受けての学習会を今週の水曜日にするのかな?しといた方が良いと思うんだけどな。

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ただ今インストール中
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 この前のエントリーでも書いたように、ただ今「Mac OS X 10.5 Leopard」のインストール中です。インストール画面のバックが、宇宙空間をイメージした映像なんですよね。パッケージもそうだったし、コンセプトにそういうイメージがあるのでしょうか。実はWindows Vistaのディスクを持って帰ってきているので、Boot Campを試してみようかと思っているんですよね。それ以外に、「タイムマシーン」っていう機能があるんですけど、バックアップはどうするんだろって思っていたら、バックアップに使うディスクを用意しなきゃいけないらしいです。ま、そりゃそうですよね。映像のデータだとか、写真のデータ、それから iTunesのデータなんかを整理するためにHDDを増設しなきゃいけないだろうなって思っていたんですけど、タイムマシーンを使うためにもこれは必要事項になりそうです。ウォール・ストリート・ジャーナル紙は「レパードはウィンドウズ・ビスタより情報処理が速く、より使いやすい」と絶賛しているようで、 Macintosh(つまり、Mac OS X)のシェアが大きく伸びるかも知れません。と、こうやって書いている間に着々とインストールは進んでいて、どうやらもうすぐ終わりそうです。お? インストールが終わって再起動処理が始まりました。
 という事で、インストールの済んだLeopardを使いながら、Windowsのノートでこのテキストを打っている訳ですが、まず、Safariの新バージョンの早い事。あっという間に表示してしまうあたり、Safari2でも十分早いと思っていましたけど、それ以上に早いのでビックリです。ファインダーの表示も、とても良く出来ていて、開かなくても内容が解るような仕組みや、アクセスのしやすさはさすがに凄いと思いますね。それにしても、きびきびと動く様子はとっても良いですね。バージョンが上がって動きが遅くなるっていうのがWindowsなんかでは常識ですけど、ここのところのMacのバージョンアップって、レスポンスが早くなる一方でビックリです。でもって、今、Boot Campを起動してWindowsのインストール準備をしています。
 あ、たいへんな事になっちゃいました。Boot Campを使ってWindowsをインストールし、起動しようとすると、全く動かなくなっちゃいました。という事で、色々試してようやく何とか Leopardのインストールディスクで立ち上がるようになったので、HDDのMac OSを起動システムに振り当てようとしたら、何故だかシステムがなくなっちゃっていました。大ショック!
 で、仕方がないので、新規インストールをしようとしている訳ですが、どうにも上手くいかないんですよね。HDDのパーテーションを切り直して、フォーマットし直しても上手くいかないので、もしかしたら中途半端にインストールされたWindowsが悪さをしているのかななんて思ったので、物理フォーマットをし直しているところです。あぁ、「ER」が始まっちゃったよぉ。寝たいんだけど・・・・・・。

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一件落着?
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 雨のち晴れ。 月齢15.9 立待月

 お昼過ぎまで降り続いていた雨も、3時頃にはだいたい止んで、うっすらとそれでも大きな虹が出ていました。それでも雨雲が立ちこめてはいましたが、夕方には西の空から晴れ間が広がり、低くたれ込めた雨雲がレンブラントの絵のように鮮やかに色づいてとても綺麗な夕焼けでした。

 亀田次男の酷い試合についての謝罪会見を亀田兄が改めて記者会見を開いたそうです。オンタイムで見てはいませんが、ニュースやネット上で流れている映像などで見る限り、さすがお兄ちゃんというか、謝罪会見としての体をきちんと成したものになっていたのでは無いでしょうか。ま、少し遅れて会見に来たのはいただけないところですが、それでも、身形はさすがにきちんとした格好で(金平会長の指示があったようですが)で現れ、頭も下げていたので、全体としては好意的に受け止めて良いのではないでしょうか。記者の質問がきついとか、くどいといった批判もあるようですが、明確にすべき点を明確にするという事は必要な手続きですから、これは仕方がないと思いますし、ただ単に「ご迷惑をおかけしました」と頭を下げたところで何についてなのか、どう考えているのか、どうしてそうなったのかという事を明確にする事は責任として残っている事だと思います。自らが口にした言葉に責任を持つというのが大人の責任ですから、それは仕方がない事なんじゃないでしょうかね。そういう意味では結局きちんと謝罪をすることなくボクシング界を去る決心をした亀田父は大人としては相応しくない最後の括り方だったと思います。せめて出てきて最後にきちんと説明して謝罪しなきゃ。ね。
 全く違う人がセコンドになるという事は全く違ったボクシングスタイルを学ぶという事になる訳で、それは色々な意味で選手としての幅を広げる事になるでしょうし、今まで知らなかった世界に足を踏み入れるという事になるでしょうから、学ぶ事も多いのではないでしょうかね。あとは彼ら自身が作り出すモノだと思いますよ。
 この謝罪会見が亀田一家による謝罪偽装に終わらない事を願う次第です。

 中国の月探査機を乗せたロケットが打ち上げに成功したという話題を先日ご紹介しましたけど、そのロケット、不要になった部分は切り離されるというのは皆さんよくご存知の事と思いますが、その切り離した残骸が民家を直撃していたそうです。中国当局によると、これも「想定内」のことで、周囲約400キロの範囲の住民を避難させていたんだとか。民家は全壊していますが、死傷者は出ていないそうです。中国のやる事って、スケールが大きいんだか、アバウトなのか・・・・。中国の戦略的な問題でもある訳ですが、あれだけ海に面していながら現実には台湾や日本などがその先にある訳で、そのまま海に向かって打ち上げる事が出来ないんですよね。ですから、ロケット等に関しては内陸に向かって打ち上げることになってしまう訳で、ま、それは逆に言うと、だからこそ同じ内陸部を利用して打ち上げたり帰還したりというスタイルを取っているロシアの宇宙技術がそのまま応用出来る訳なんですけどね。先日のエントリーのとおり、今後、中国の宇宙開発は有人月飛行を目指す事になるようですが、とりあえずは無人探査機による月面調査で、この両者共に多段階ロケットによる打ち上げが必要で、今後もこういう事故は起きるという事を意味するんですよね。今だからこれで済んでいるのでしょうが、今後どうなるでしょうか。それとも、結局のところ共産党の圧力で済ませてしまうのでしょうか。民主化とはほど遠いという事ですね。それでも、よくこういう事件が表に出てきたモノだと中国の開放政策に感心してしまいました。従来の中国共産党ならこんな事も偽装して「なかった事」にしてしまっていたでしょうからね。

 
 ここのところ食品の偽装事件が多数発覚しています。ミートホープによる牛ミンチの偽装、不二家の製造日偽装、「白い恋人」の製造日偽装、そして、赤福の製造日等の偽装や比内地鶏の薫製と銘打っていながら比内地鶏を使っていないなどと完全に消費者をバカにし、食い物にしているような事件ばかりが起きています。中でも、赤福は約90%を再使用していながら、社長は「知らなかった。現場が勝手にやっていた事。」と苦しい言い訳をしていますけど、名古屋工場へは毎日本社から指示が行っていたという事も判ってきていて、企業全体でのこういった偽装体質が明るみになりつつあります。それにしても、「知らなかった」って、この社長は経営者として何をしていたのでしょうか。90%ものものが再利用されていたとしたら、当然原材料の仕入れ状況にも影響が出ているはずで、売り上げや仕入れ、商品の流通状況や廃棄処分状況などの報告は全くされていなかったとでも言うのでしょうか。もしも、ホントにこれらの報告が為されていなかったとすると、この社長は完全に「お飾り」だったという事になりませんかね。
 食品偽装以外の偽装だと、産経新聞によると、偽装請負件数が平成17年度の947事業所から昨年度には2,633事業所と大幅(2.7倍)に増えているんだそうです(是正指導件数)。これ、大阪ではなんと平成 17年度28事業所だったものが昨年度には205事業所となんと7.3倍以上の増加なんですが、おそらくこれでも氷山の一角なんですよね。この数字だけを見ていると、最近の傾向として増えているように感じるかも知れませんが、実は以前から偽装請負は蔓延していて、最近になってそれが偽装であるとして指摘されはじめたという事なんですよね。労働者派遣法では衛生管理や健康管理、勤務や生産の管理、支持命令系統に関して厳密に規定され、請負の場合は親会社の社員から直接指示命令をする事は出来ないようになっています。ところが、現実には親会社の社員が指示や命令を出し、技術指導もし、生産の管理もしているという事が多く、これは明らかに偽装請負なんですよね。でも、帳簿上や契約書上は一応請負契約の体を成しているので労基(労働基準監督署)が調査に入っても書類のチェック程度ではなかなか発覚しない事が多い訳です(というか、発覚しないように誤魔化している訳ですけれど)。これは派遣・請負会社側が悪いのは間違いないのですけど、依頼側の親会社にも責任はあるんですよね。とはいえ、請負・派遣会社の方も営業に回る際には甘い事ばかり吹き込んで仕事を取ってくる訳で、実際に固定人件費が削減出来、生産の具合や売れ行きの状況に合わせて労働力のバランスを変えられるのなら企業側にとっては経費の大幅削減になるのは間違いない事で、そこに旨味を感じる経営者がいる事は仕方がない事ではありますけど、それって、表面的な旨味でしかない事に気付かなきゃダメなんですよね。そのまま請け負い率や派遣率を増やしていくと結果として企業の本当に大切な財産であるはずのモノ(ノウハウやコネクション、人の力等の社員力等々)を失っていくばかりなんですよ。そうなると、企業はもはや抜け殻だと思うんですけどね。
 派遣や請負を利用するのは悪い事ではないですけど、今や派遣や請負が無いと企業として成り立たない状況というのはホントに正しいあり方なんでしょうか。企業の文化や風土というものを捨て去って、何処に行こうとしているのでしょうか。
 民間企業の偽装だけでは無く、政府による偽装がどんどん出てきていますね。インド洋上での無料ガソリンスタンド活動でアメリカの補給艦に給油した量について海上幕僚監部防衛課長らが誤りに気付いていながら上司に報告しなかったという事もいわば偽装ですし、厚労省の年金問題も今まで隠し通してきた事が一気に吹き出しているという事からも偽装ですし、薬害肝炎の問題も、資料があったというのにそれを放置し、「無い」と言い続けてきたという事では偽装と言っても良いのではないでしょうか。こういう偽装体質って、官も民も関係なく蔓延している訳で、時代を表しているという事なのかも知れません。が、こういう体質を改善しない事にはモラルハザードなんて無くならないんでしょうね。

 実は、昨日がアップルの新しいOS、「Mac OS X 10.5 Leopard(レパード)」の世界同時発売だった訳ですが、日本では昨日の午後6時に発売開始になったんですよね。で、昨日は買えなかったので、今日、買ってきました。という事で、これからインストールをしてみたいと思っています。使った感触などについてはまた後日ご報告いたします。

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要望書の回答
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 いよいよ市交渉まで1週間と迫ってきましたが、事前に提出していた要望書に対する市側の回答が届きました。回答は実は私個人としては想定内の回答で、しかも、私が市側の責任者ならこう答えるだろうなと思っていた解答例とほぼ同じだったので笑っちゃいました。
 今回の要望は簡単に言うと、「緊急時の手話通訳派遣(夜間や閉庁時を含む)の依頼窓口を明確にして欲しい」「通訳養成講座を開いて欲しい」「携帯のメールで通訳依頼が出来るようにして欲しい」「災害情報をメールで知らせて欲しい」「避難所の担当職員は手話が解るようにして欲しい」というモノですが、市側の回答は、「緊急時の手話通訳派遣については通訳協会が窓口になっている」「緊急時の手話通訳派遣の必要性は高く、医師会等を通じて医療機関にお願いしていきたい」「養成に時間がかかる事などは理解しているが、財政状況などから実施は不可能。昨年度から上級講習会の時間数を増やし、通訳登録者の参加も認めている。」「携帯メールによる依頼については具体的な検討をしたい」というようなものでした。
 以前のエントリーでも書きましたが、こうなると通訳協会がそれらを明らかにして具体的に実施するしかない訳で、のほほんとして入られない訳ですけど、ホントにこれ等に答えていく事が出来るのでしょうか。今の協会では対応出来ないんだろうなと想像がつくだけに同返事をするのかとても興味深い所です。

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2007年月への旅
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 曇時々小雨。曇時々晴れ。 月齢13.9 十五夜

 学校からの帰り道、ふと東の空を見上げると、まだ夕焼けにさえ染まらずにいる空にぼんやりとかげろうのような大きな十五夜の月が浮かんでいました。儚げな月がとても魅力的で引き込まれそうな、それでいて物悲しそうで少しの間見とれてしまいました。
 一昨日の十三夜の月はご覧になられたでしょうか? 中秋の名月(芋名月)をご覧になった方、栗名月もちゃんと見なきゃダメですよ。私は夜中にベランダで眩い十三夜の月を見上げていました。十三夜の月は最盛期の月(十五夜)の手前のこれから最も豊かになる直前の状態で豊饒を表す月です。月は信仰の対象にもなっていますが、神秘的で魅力的な天体の一つですね。十五夜を過ぎると、月はまた痩せていき、新月を迎えますが、また再生し、大きくなっていきます。月自体が再生の象徴でもありますね。

 その月を目指した月探査機「嫦娥(じょうが)1号」を載せたロケット「調整3号A」の打ち上げに成功しました。この嫦娥1号はこれから約1年の期間をかけて月面の立体撮影をおこない、ウランをはじめとする鉱物資源の探査をする予定なんだそうです。その後、予定では2012年頃には月面に探査車を送り込み、2020〜2025年には有人月飛行をする計画なんだとか。
 月探査はこれからインドも参加しますし、アメリカも有人月飛行を見越した月探査を再始動します。おそらくヨーロッパも月探査計画を立ててくるでしょう。これらは色々な利権が絡んでいて、月の資源開発や商業利用を有利にするための探査というもの具体的に始まるでしょう。今のところ、月の衛星軌道上には日本のかぐやが一足先に周回中で、リレー衛星を使った月の裏側の探査なども始まっています。が、今のところまだ黒い大きな板が見つかったという話はきいていませんけどね。

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議会の手話通訳
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 今月29日から始まる市の定例議会に手話通訳が付く事になったそうです。とはいえ、現状ではまだまだ問題が山のようにある筈なんですよね。
 議会の通訳などの専門的でありながら多岐に亙る知識を必要とする通訳に対応出来る通訳者は残念ながら枚方市には殆どいないのが現状です。手話通訳の技術的な問題だけでは無く、通訳者の知識の問題の方が要因としては大きなものなんですよね。という事で、本来なら議会通訳対策として準備委員会なり学習会なりを立ち上げて対処するべきなのでしょうが、おそらく通訳依頼は手話通訳協会に行くのでしょうが、理事会はどう判断するのでしょうか。
 お隣の市は以前から市主催の行事にはろう者が参加するしないにかかわらず手話通訳を付けるというスタイル出来ています。申し込みをした上でという事になると、気軽に時間が空いたからといって参加する事は出来ませんし、申し込んだ後でやっぱりやめたいなんて思ってもなかなかそう行かなくなってしまいます。「公平公正に」というのであれば、こういった事も公平で公正な状況を作るべきなんじゃないかと思います。気軽にふらっと参加した場に手話通訳が付いている。急遽予定を変更したくなったら、気兼ねなく予定を変更出来るというのは当たり前で、健常者と同じ権利だと思うんですけどね。
 手話通訳者の養成には時間と手間とがかかります。各種行事に手話通訳が付くという状況になればそれだけ現場経験を多く積む機会が増える訳ですから、必然的に多くの通訳者が育つ土壌にもなるでしょうし、情報保障と通訳者の育成が両輪になって動く良い機会だと思います。果たして現実はそうなるのやら・・・・。
 議会や議会に関わる委員会などは平日の昼間、定例で開かれる訳ですから、その時間に動く事の出来る人が通訳をするという事になります。ところが、平日の昼間となると、仕事に就いている人だと対応出来ません。また、技術的にも高度なモノが要求され、知識的にも非常に高く、広範囲にわたるモノが求められます。こういう通訳は専任従者が対応するべきだと私は思いますし、専従もしくは専任通訳が忙しくて手が回らないというのであれば複数配置が必要という意味になるのではないかと思っています。当市の専従通訳や専任通訳の問題は以前も紹介したようにもうグズグズの状態で、はっきり言って障害福祉室の通訳だからといって議会の内容を正確に通訳出来るとは思えません。また、それなら通訳協会の通訳はどうかというと、本当の意味で満足のいくレベルで通訳の出来る通訳者はほんの一握りしかいません。他の通訳者はというと、正直なところ、手話は出来ても議会の内容を正確に伝えるというレベルには達していないと言って良いのではないでしょうか。果たして、来週からの通訳は誰が対応するのでしょう。

 今年度の対市交渉もいよいよ来週に迫ってきました。今年度は要望内容を緊急時や災害時の情報保障に絞り、深い議論が出来るようにという事を狙っているようです。聴協側はそれなりの覚悟を持って挑むようですが、通訳協会はただ通訳をするだけ。「要望内容がどうなるのかは当事者達がどうするのか次第。」というスタンスのようで、要望書が提出された時点で同じ文章が通訳協会にも渡されていたのですが、内容についての学習会等は開かれないままでした。でもね、現実問題として緊急時や災害時の情報保障をになう事になるのは通訳者、つまり通訳協会だと思うんですよね。そういう意味では十分当事者という事になる訳ですが、まるで他人事というような対応は如何なモノでしょうか。他の地域の緊急時の通訳派遣や災害時の支援体制などを見てみると、ボトルネックになるのは通訳者の対応だという事も多い訳で、通訳者としてそれらをどう考えるのか、どういう体制が良いのかといった事を考えておく必要はあるのではないかと思うのですけどね。
 いざ、行政側が「確かに大切な問題ですから、早急に通訳協会に依頼する体制を整えましょう」と返事したらどうするつもりなのでしょうか。そういうことになってから検討を始めていたのでは結果として通訳者や通訳協会の対応が遅いために体制整備がはかどらないという事になり、行政側は責任を転嫁してしまえるんですよね。これは大きな問題ですよ。
 また、広域災害時の情報保障は1つの市が単独で体制整備が出来る問題ではなく、周辺の市との協調や共同が必要になります。こういう事態には共同するためのセンター機能をどう維持するのかという内部の情報保障体制というモノが重要になってきます。この場合も地元の状況をよく判っている通訳者の集団がそれらの役割を担うことになるでしょうから、通訳協会がどういう体制を想定するのかという事になってきます。この辺りの事をノホホンと構えていると、たいへんな事になるんですけどね。通訳協会に本気でこういう問題に立ち向かう意志があるのなら、要望書を入手した時点で対策委員会を作り、そこが中心になってどういう事が想定出来るのか、どういう体制を検討しなければいけないのかといった事を考え早急に対処出来るように準備をするべきです。
 私の住んでいる市は消防を隣の市との協同組合という形式で持っていますので、消防に関わる事を単独で決めるのは難しいそうです。が、こういう必要な事に関してはこちら側でまず試験的に実施し、うまくいくようであればとなりのしにも利用してもらうというように広めてみても良いのではないでしょうか。また、広域災害に関しては共同だからこそのネットワークを組む事も可能じゃないのだろうかとも思います。ともあれ、こういう事も含めて検討する場が必要なんですよね。

 11月2日に新市長体制になって初めての対市交渉を開きます。今回の交渉は緊急時や災害時の情報保障に絞って要望を出しています。選挙の際に行った公開質問の回答ではもしかすると新市長も出席されるかも知れません(そうあって欲しいモノですが)。興味のある方は是非ご参加ください(当市にお住まいの方は発言が可能です。また、当市にお住まいでない方でも傍聴する事が出来ます)。
日時 2007年11月2日(金) 19:00〜21:00
場所 ラポールひらかた 4F 大研修室

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業績順調なApple



 ウォールストリートジャーナルの発表によると、2007年の7-9月期のアップルの業績はMacintosh部門の業界平均を大幅に上回り、前年同期比34%増の216万4000台と世界のパソコン販売台数の伸び率15.5%の2倍以上の伸びに達したんだそうです。全体の純利益は9億0400万ドル(前年同期は5億4200万ドル)で、売上高は62億2000万ドルと、前年同期の48億4000万ドルから29%増加したそうです(Macの売上高は31億ドルと、前年同期の22億1000万ドルから増加し、アップルの総売上高の約半分)。
 iPodやiPhoneの売れ行きばかりが取り上げられていますが、これらが売れた結果、iPodやiPhoneのユーザーインターフェイスやデザインのできの良さを知った人達がMacにスイッチしているようです。実際に、iPodやiPhoneを買った人達の大半はWindowsユーザーで、Macを買った人達の過半数がMacを初めて買った人達だったそうですから、iPodやiPhoneでユーザーインターフェイスの出来の良さを実感したWindowsユーザーが乗り換えているという事なんでしょうね。
 とこのニュースとは対照的に、日立がパソコン生産から撤退する事が発表されました。06年度のパソコン出荷は約50万台(うち個人向けは約 13万台)にとどまり、調査会社MM総研によると国内シェアも4.5%で8位と低迷していたそうです。最近時々聞くのが、Windows Vistaへのアップグレードをやめて、Macintoshに切り替えたという話なんですよね。これも、「そういう人もいるんだ」程度に聞いていたんですけど、この数字を見ると、どうやら結構な数の人がスイッチしているという事なのでしょうか。ま、Macのユーザーインターフェイスの良さというか、アップルのユーザーインターフェイスの出来の良さというのは体感すればすぐに判る事で、そういう意味ではこのスイッチ、よく判る事なんですけどね。それに、「使えるアプリケーションの数が………」なんてよく言いますけど、現実問題として、OfficeとPhotoshopとIllustratorとホームページ作成系のソフトと、レスポンスの良いブラウザが使えれば他にそんなに必要なソフトって無いんじゃないでしょうか。そう考えると、Macに切り替えたからって困る事は殆どないんですよね。
 私がパソコンを本格的に使い始めたのが今から約12年前の事。その頃使っていたのが、PowerMac7100 とPowerBook150だったかな?当時、まだまだMacは高かったのですけど、その頃のMac OS7.1ですら当時のWindows3.1と比べると比較にならないほど使いやすく、分かり易いOSでした。まだまだパソコンのOSといえばBASIC が主流だった頃ですから、それと比べると格段の差のあるWindows3.1に沢山の人が飛びついていた時に、高いとはいえもっと良いOSを市場に出していたのがAppleでした。でも、「悪貨は良貨を駆逐する」と言われるように、セールスで完全に負けたMac OSは市場を支配出来なかったんですよね。その後、MicrosoftはWindows95を出し、かなり良くなったOSで市場を完全に支配し、独占していった訳ですが、それでも、Macのインターフェイスには到底及ばないモノでしたね。Mac OS Xになって、Windowsユーザーからは「Windowsに近くなった」と揶揄されたりしましたが、実際には細かなユーザーインターフェイスの部分では全く使い心地が違いますし、Mac OS X 10.4辺りからのインターフェイスの進化は新しい領域という感じがします。Windows Vistaで笑ったのは、「エアロ」なんて言うインターフェイスですが、これ、明らかにMac OS Xの「Aqua」を意識したモノですよね。つまり、結局のところWindowsはいまだにMac OSを追いかけているって事なんでしょうね。
 Windowsユーザーはよく、「シェアが違う」っていう話をしますけど、確かに、OSのシェアで比べると格段の差ですが、各社のパソコンの出荷台数で比べると、アップルはかなりいい線いくんですよね。これから何処までMac OSのユーザーが増えるのか、楽しみです。

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大国のエゴ
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 晴れ。 月齢10.9 十二夜

 岩国でアメリカ兵によるレイプ事件が発覚、犯人とおぼしき兵隊は現在岩国のアメリカ軍基地で身柄を拘束しているという事ですが、日本側は日米地位協定に則って身柄の引き渡しを要求しています。この事件が大きな話題になった1つの要因はこれが本州で起きた事だという事でしょう。従来、沖縄ではこういう事件が頻繁に起き、その都度、本土の人間には知らされる事なく握りつぶされてきた事が多いと聞いています。これは沖縄に本土の人間が押しつけてきた大きな犠牲で、岩国のアメリカ軍基地の機能が大きくなった事によってそれらの事件が沖縄から溢れ出し始めたという事なんでしょうね。
 日米地位協定は明らかに不平等条約だと私は考えています。ところが、「アメリカには日本を守って貰っているのだからその程度の不平等は仕方がない」と考えている人もいるようです。でも、それとこれとは意味が違います。日本を守って貰っているからといって自国で好きにされて、何も悪くない国民を好きなように犯されても文句が言えないなんていう理由は何処にもないと思いますけどね。こんな事されてホントに国を守っている事になるのでしょうか?
 1952年から2004年の52年の間に、米軍の事件・事故は201,481件(1972年の施政権返還前の沖縄分を除く)、日本人死者は1,076人(2005年の発表)に上っています。そのうち、実際に軍事裁判にかけられたのはたったの1件でそれ以外は有耶無耶にされてしまっています。人の国にやってきて、家の中に勝手に入り込んで人を殺しておいて罰せられることなく、その上「思いやり予算」などといういわば「所場代」を取っておいてのうのうとしているというのは何なんでしょうか。これが「世界の警察」の実体なんですよね。これじゃヤクザが「自分のシマだから」って好き勝手にしているのと変わりないんじゃないでしょうかね。アメリカとヤクザと大して変わりないっていう証拠の一つってところでしょうかね。
 地位協定によると、日本側が引き渡しを要求し、日本の法律で裁く事も可能という事になっているようですが、実際にはそれをするという事が今まで殆ど無かった訳で、政府の姿勢も問題ですね。でも、この不平等協定は早く改善するべきだと思います。
 折しも、政府は今年度の思いやり予算を約100億円削減するという案を出しているようですが、これ、米軍基地に勤めている日本人人件費の諸手当の部分で、直接的にはアメリカ兵の暮らしに影響のない部分なんだとか。これもまた変な話ですよね。ま、でも、これ、基地内での勤務という特殊性を考慮した「格差給」が中心だそうで、これにより国家公務員の平均給与よりも10%くらい多くなっているんだとか。それ以外や語学手当や退職手当上乗せ分等が削減対象だという事で、この「格差給」って、どうなんでしょうね。そもそもの設定に問題があったとも考えられますよね。基地内で働く日本人はここのところ増加傾向にあるらしいですが、米兵の数は減っているのに、どうしてなのでしょうか。

 アメリカ議会がチベットのダライ・ラマ14世に最高勲章を授与するためにアメリカに招き、議会において授与式を開いた件でどうやら中国が本気で怒っているようで、中駐米大使を呼びつけ「内政干渉にあたる」と避難しています。それに関わる問題で、ダライ・ラマの受賞をチベットでも祝おうとした僧侶約900人とこれを制止しようとした警官隊約400人が衝突、中国当局は僧侶が街へ出ないように幹線道路を閉鎖、緊張状態は高まっているようです。これらの出来事に抗議するために、インド、デリー市内の中国大使館にチベット人約 30人が侵入。これはすぐに退去させられたようですが、抗議活動が起きているようです。チベットは北京オリンピックの聖火リレーがチベット内を通過する事に対しても抗議していて、中国政府と緊張関係にあります。といってもチベットの緊張関係って、中国によるチベット侵攻以来あるにはあったんですよね。今回の事件はいわばきっかけでしかなった訳で、今後の動向を注視したいと思っています。ま、中国は例によって「歴史的にここは中国の領土だ」と主張し続けていますども、チベットは中国が占領し略奪した所であるというのは明白な事実ですよ。そのチベットの指導的立場の宗教家をアメリカが讃えた事を批難するなんて言うのこそ、これ以上無い内政干渉じゃないでしょうかね。あ、そうそう、この程度で内政干渉だなんて言うのなら、日本の首相が靖国神社に行く事に文句を言うのはどうなんでしょうか? これは内政干渉じゃないの?
 中国にしろアメリカにしろ大国のエゴで自分の思うようにしようと思っているだけで、これ、つまりは中国がよく他国を批難する時に言う「帝国主義」以外の何ものでも無いんじゃないかと思うんですけど、どうなんでしょうかね。

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サービス窓口の事
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 晴れ。 月齢8.9 十日月

 携帯電話も出て来た訳ですが、修理依頼をしていたPSXの見積もり連絡がSONYからありました。依頼した時におおよそで聞いていた金額のとおりだったのと、予想通り故障箇所はHDDでした。ま、確かに、HDDは消耗品と考えた方が良い訳で、故障も致し方無しとは思っていますけど、ネットで調べると、PSXの故障の大半がこのHDDの故障なんですよね。サービスからかかってきた電話では「故障理由は分かりません」の一点張り。物理的な故障ですか?と聞くと、「中までは開けていないので判りかねます」という返事。「あ、じゃ、パリティエラーって事ですね。」という問いかけに、「そういう事だと思います」という頼りない返事。「HDDは交換する事になりますので、データは消えてしまいますけど………」という説明に「バックアップは出来ないのですか?」と聞くと「出来ません」という事。ま、それも仕方がないかと思っていたんですよね。ところが、もう一度、念を押すように「データは消えますけど………」と繰り返すので、「外したHDDはどうするのですか?」と聞くと、「返却させてもらいます」とのこと。で、どうして消えてしまうのかよく判らなかった(HDDは外して取り替えるだけで、外したHDDを初期化する訳でも何でもないのに消える訳無いですから)ので、「HDDは返してもらえるんですよね?」と聞くと、「ええ」との答え。「外したHDDのデータも初期化するのですか?初期化出来るっていう事はアクセス可能って事ですよね。」と聞くと、「いえ、外したHDDはそのままお返しします」と、なんだか禅問答みたいになってきて、とりあえず、そのまま帰ってくるという事なので、こちらで何とか HDDをPCででも読み出せたらデータは何とかなるかなと思って、「HDDのフォーマットは何ですか?」と聞くと、「は?」だって。「ですから、HDDはどういうフォーマットですか?専用の特殊なフォーマットが切ってあるのですか?それとも、普通にFAT32とか、NTFSとか、HFS とかでフォーマットされてるんですか?」と聞くと、なんと「判りません。技術に聞かないとここでは判りません。」だって。修理に出している訳だから、場合によってはそういう技術的な質問がある事くらい想定出来るでしょうし、フォーマットがどうなっているのかなんていうのはそれ程難しい技術の質問じゃないと思うんだけど………。で、実は用事をしているところであまり長話してられる状態でもなかったので、「あ、じゃ、判らないのならもう結構です。修理を続けてください。」って事で、電話を切ったのですけど、天下の「技術のSONY」さん、いくらサービスの対応だからって、いや、サービスの対応だからこそ、技術系のよく判っている人を窓口にするべきなんじゃないですかね。それでなくてもよく壊れるっていわれてたり、壊れるタイミングを「ソニータイマー」で設定しているとかって言われているくらいですから、その辺り、もっと強化するべきだと思いますけれど。私はソニー製品の品質にはあまり良い印象を持っていないんですよね。ソニーの製品が革新的なモノが結構あるという事は認めていますし、だからこそ、ソニー製品の品質を信頼していないのに使っているモノもいくつもあります。また、欲しいと思っているものもあります。でも、「技術のSONY」というのなら、もっと技術者を前面に出すべきなんじゃないでしょうかね。
 その昔、マツダが販売不振に陥った時に、本社工場の技術者や製造ラインの技術者を全国の販売店へ飛ばしたそうです。これは人員整理による合理化のためではなく、ユーザーの声を直接技術者や製造ラインに反映させるためだったそうです。その後、これらの技術者が本社工場に戻った後、各地のユーザーの意見を取り入れて車の開発製造ラインの整理をした結果生まれた車が大ヒットしたそうです。
 パソコンや電気製品などがトラブった際にサービスセンターに電話していつも思うのは、「どうして技術者をこういう場に配置しないのだろうか」という事なんですよね。SONYにしてもそうでしたけど、電話での問い合わせの対応はオートガイドで、電話のボタンを押してこちらがどういう事を求めているのかをまどろっこしく入力した果てにようやく人が出てきてマニュアルやガイドに従った対応をされてそれ以外は判らないままという例が良くあります。これ、とても勿体ないと思うんですよね。おそらく、電話の先ではオペレーターが色々なフォームに交わされた会話の情報を打ち込み、整理しているのでしょうが、技術者だからこそ判る情報というのも沢山あるはずなんですよね。それに、入力フォームなんて想定している情報を収集する機能しかない訳でそこに記載出来ないような細やかな情報は技術者の視点で整理するべきだと思うんですよね。
 今からもう20年以上前に、今も使っている一眼レフ、「OM-4」を修理するためにオリンパスのサービスセンターに愛機を持って行った事があります。この時、窓口で対応してくれたのは女性でしたが、技術面でも非常に詳しい説明をしてくれました。窓口で顔を合わせて説明してくれる担当者が技術に関して詳しいと安心感も多いですし、どうしてこうなっているのか、どうしてこういうトラブルになったのかを分かり易く説明してくれるので納得しやすいですよね。こういう事はとても大切な事なんじゃないかと思います。
 こういう安心出来る対応というのは、結局相手が何を聞きたいと思っているのかを的確に、そして明確につかむ事が出来、それに対する答えを分かり易く返す事が出来るという一種の「技術」が求められる訳ですけど、こういうのって、実は通訳にも求められているものではないでしょうか。相手が伝えたい事がどんな事か、相手に伝えなければいけない事はどういう事で、それが対象者に理解しやすいように提示するにはどういう表現が良いのか、これらは上で挙げたサービス窓口に求められている事と共通するように思います。
 通訳者は常にその道のプロフェッショナルとしての視点でそこにある情報を整理し、整理された情報がどういう意味を持っているのかを理解し、その上で利用者がより理解し易い情報の提示をする事が求められます。これは手話通訳であれ音声言語通訳であれ同じ事で、自分自信が理解し得ない情報は正確に伝える事が出来ないのです。そのためにはプロフェッショナルとしての通訳者がどういう知識と技術を持っていなければいけないのか、それを正確に理解し、必要とされる知識と技術を養う事が必要になります。問題は果たして、ホントにこの部分が通訳者に理解出来ているのかという事です。手話から日本語、日本語から手話への変換技術にばかり目がいって、肝心の情報をどう処理するのかという部分に気が付いていないのではないか、情報の扱い方について考えが及んでいないのではないかと自戒も含めて改めて考えさせられている今日この頃です。

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誠意の示し方
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 雨のち晴れ。月齢7.9 上弦の月 九夜月

 朝からずっと降り続いていた雨が上がり、空には綺麗な上弦の月が輝いていました。昔から月にはウサギがモチをついているなんて教えられてきましたけど、現実には月の表面のクレーターや海などといった所の陰影が模様に見えている訳ですけど、カナダインディアンはこの模様を「バケツを運ぶ少女」としていますし、北ヨーロッパでは「本を読むおばあさん」なんだとか。同じヨーロッパでも、南の方だと「大きなはさみのカニ」、東の方だと「横向きの女性」、バイキングは「水をかつぐ男女」と見ていたんだそうですし、アラビアでは「吠えているライオン」と見ていたそうです。面白いですね。

 亀田長男が謝罪のコメントを文章で出しているようですが、どうなんでしょ。ゴーストライターがいるんでしょ。いつもの発言とは全く違った言葉の選び方からそれが彼自身の言葉とは到底考えられない訳で、誰か違う人間が書いたのか、それとも誰かからこう書けと言われてしぶしぶ書いたかのどちらかでしかないでしょう。そんなもの、全く価値なんてないでしょ。と、私は思う訳です。文章による謝罪は多くの人に対するモノとしては有効な手段で、必要な手続きだと思います。でもね、個人に対して本当に誠意を示そうとするのなら、直接あって自らの声で、自らの言葉で伝えるべきなんじゃないでしょうか。これは謝罪に限らず、色んな事でも言える事だと思います。真実を、本当の気持ちを伝えたいとか判って欲しいと思うのなら、直接あって顔を見ながら話すべきだし、どんなに言い辛い事でも訊かれた事には答える事が誠意の1つの形ではないかと思います。とはいえ、そんな事すら出来ない情けない人が多って事は私も経験上よく知っていますし、そういう人はその程度として諦めてつき合わないようにしていますけどね。亀田次男が内藤選手に直接謝罪に出かけて和解したという話、父親の方は電話での謝罪だったという話、人としてマシなのは次男の方だったっていう事なんでしょうね。結局この一件で株を上げたのは内藤選手だって事でした。

 ま、ね、亀田家の事を書いていて思い出した訳ですが、通訳協会の質問に対する対応はもっと酷いですよ。文章では伝えきれない諸々の事があるのは事実ですが、文章さえ出せない団体って言うのはもっと情けないのじゃないでしょうか。「文章じゃ真意が伝わらないと困るので直接会って・・・」と言うような事を言ってましたけど団体が団体としての声明を求められてそれが出来ないというのはどういう事なんでしょうか。総会以降一体どれだけの質問状を出したのか判りません。質問を文章という形で出しているのには、正確に伝える事が大切だからです。「気持ち」を伝えるのではなく、伝える内容の正確性を求められている場合は、客観性の高い文章という形の方がより適切な形だと思っています。正確に回答をして欲しい訳で、回答に対する気持ちなんて求めていないんですよね。何故ならその回答自身がその気持ちの表れですから。そう考えると今までの回答の全てが中途半端な等閑の回答で、そこに何ら誠意なんていうモノは見受けられない訳です。これを「会って話をした方が」なんて言われても、そもそも回答そのものに誠意が無いのに、会って誠意を表す事なんて出来るのかっていうと、それは誠意のない回答を「誠意のようなもの」で誤魔化してしまおうというものでしかないと思うんですよね。大切なものは何かという事をはき違えてしまっているからこそ、誠意の示し方が間違ってしまっていて、ホントにしなければいけない事が出来ていないという事になってしまうんじゃないでしょうか。
 心配なのは昨日のエントリーでも書いたように、通訳協会が自身の役割をホントに理解しているのかという事なんですよね。今年度に入って、制度外派遣の通訳謝金は利用先から払われた金額そのままを通訳者に渡し、協会としての手数料や事務費といったものを取らなくなっているそうです。これね、貰う側はそれでも良いですけど、現実にはそこでコーディネート業務や利用者との打ち合わせ、請求など事務処理といった事を協会がしている訳で、そのコストをどう考えているのか、組織としてこういう業務をしているという事に対してどういう考えを持っているのかという事が問われる事態なんですが、どうやら理事会では「手数料が入ってくると税務処理上ややこしくなるから」というような理由で手数料を取らない事にしたようです。これ、結果的には自らの首を自らで絞めているようなもので、将来的にこれがどういう結果をもたらすのかなんていう事を考えていないからこういう事が出来るのでしょうね。手話通訳派遣は通訳者の自己実現のために存在している訳ではありません。聴覚障害者と聴覚障害者に関わる人の情報保障をする事で聴覚障害者の社会参加を実現する事が主たる目的です。それを支えるためにどうあるべきなのかという事に主眼を置いて業務や体制を整備し、時には改善していく事が我々が為すべき事であって、自らの立場を守るためであったり「主婦は忙しいから」なんて言う事を理由に後退させるなんて事は絶対にあってはならない事です。そう、あってはならない事なんですけどね。

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通訳者集団の覚悟や如何に
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 晴れ。 月齢6.9 弓張月

 先日何処かでなくしたと思っていた携帯電話がなんと車の後部座席から転がり出てきました。携帯依存症どころか、携帯を不携帯の時が平気であるくらいなので、携帯電話が手元にない事に対してはそれ程不安感とかを感じる事はないのですけど、それでも無ければ無いで不便な事には違いありませんね。あの小さな箱ひとつに振り回されているのはなんだか悔しいですね。

 元オリンピックの水泳代表選手、木原光知子氏がクモ膜下出血で亡くなられました。享年59歳。彼女が出場した東京オリンピックは私の生まれた年に開催されたアジア発のオリンピックでした。私はテレビのコメンテーターとしての印象の方が強いですね。時々テレビで見かける際のコメントはとてもはっきりとした分かり易く共感の出来るコメントが多かったように思います。あまりに唐突であまりに早い最後ですね。ご冥福をお祈りいたします。

 テレビでは昨日の亀田一家の謝罪記者会見についてどのチャンネルを回しても特集を組んでいましたけど、面白いのは亀田次男が退席(退場)する際に亀田父が小さな声で何か言っているのに付いているキャプションの内容が各局毎に違うあたり。いったいどの局が本当なのか判りませんけど、TBSは亀田次男を座っているように諭しているようなキャプションが付いていましたが、他の局は総じて早く出ていくようにというニュアンスのキャプションだったように思います。何処が正しいのか解りませんが、正解は一つしかない訳ですから、それ以外は嘘という事になる訳で、そんな検証の足りないようなキャプションを付けるのはどういう見識なんでしょうね。

 昨日の手話サークルは来月初めに予定されている市交渉の学習会でした。今年の市交渉は例年のように多くの要求項目を掲げるのではなく、項目を絞っての交渉という事になります。今年の要求は緊急時や災害時の通訳派遣体制についてという事で絞られていますが、その内容や現状についての学習になりました。
 私は阪神淡路大震災の直後から災害時の支援体制についてブロック三団体に問題提起していましたが、なかなかその必要性や緊急性が理解されず、話は進まずに立ち消えになった事があります。また、近隣の市の現状についてもその際に調べ、どんな問題があるのかというのも検討した事があるので、それについて少し説明する事になったのですけど、ま、10年も前の状況なので、現状は変わっているんでしょうけどね。
 緊急時や災害時の派遣体制に置いて一番のネックになるのは結局の所通訳者集団の覚悟という事なんだろうと思うんですよね。行政はシステム(つまり「形」)を作れば済む事で(責任は伴いますが)それらを現実に実施する通訳者がどういう覚悟の上にそれらを支えるのかというのが大きな問題なんですよね。ところが、今の通訳協会派というとそんな覚悟は微塵も無いでしょうから、いざ行政側から「緊急時の派遣制度を始めるので対応して下さい」と言われたところで出来ないのはほぼ確実だと思います。これも協会側がこれまで検討すべき課題を放置してきた結果で、いわば自業自得なんじゃないかと思っています。
 今回の市交渉についても早い段階から通訳協会には要望書が渡されている訳で、その内容に関する検討(こうなった時にはどういう対応が可能なのか等)も全くされず、各通訳者に「(要望書の内容を)情報として伝える」という程度に留まっています。これ、ある意味では明らかに責任放棄ではないでしょうか。
 緊急時の派遣制度の関しては各地でも難航し、ようやく出来上がったところでも色々と課題が積み残しになっているという所が多いように聞いています。中でも、夜間の対応について、通訳者の生活に響くという事で難色を示す通訳者が結構多いようです。ま、確かにね、夜中の2時とか3時に突然電話がかかってきて「すぐに通訳に来い」と言われてすぐに家を飛び出せる人っていうのは限られているかも知れませんし、主婦には難しいでしょうし、かといって仕事を持っている人は翌日の仕事の事を考えるとそうそう対応出来ないかも知れません。また、いつ呼び出されるのか判らない状況だと飲みにも行けなくなってしまいますね。それは嫌だなぁ…。色々とやり方はあると思うんですけどね。例えば輪番制にするとか、担当日を決めるとか。こういうのも真剣に考えれば色々と出てくると思うのですけどね。覚悟を決めてどういう体制が利用者にとって良い形なのか考えて見るべきだと思うのですが、どうなんでしょうね。

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あれの何処が謝罪会見?
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 亀田次男と父の謝罪会見があったようですけど、あれ、謝罪とは到底言えないでしょ。たった10分の会見、一言もなく、僅か2分間で亀田次男は退場、父の態度もどう見ても反省しているようには見えませんし、コメントにしても何をどう反省し、どう謝っているのかが全く判らないですね。亀田次男のあの態度ももしかしたらああいうパフォーマンスを見せて同情を引こうと思ったんじゃないかとさえ思ってしまいますね。試合前、「負けたら切腹じゃ」とまで言ってた同じ人間の様子とは到底思えないもので、自らの責任を何ら感じていないとも取れます。会見の最初に司会者は「亀田次男は未成年でもありますので……」とか言ってましたけど、それ、何か関係あるの? 謝るのに未成年も何もないでしょ。そうやってあまやかしてきた結果が今回の事なんじゃないのかと思うんですけども。自らの犯した行為について自らの口で謝罪すら出来ない人間が世界チャンピオンになって良いのでしょうかね(だからこそなれなかったんでしょうけど)。自分の発言には責任を持つというのは基本中の基本じゃないのでしょうか。亀田父のコメントでは「今後もこのスタイルは変えない」って、事の核心が理解出来ていないって事でしょ。それで謝罪会見って、全く意味を成してませんよね。それに、「反則を指示するような事は言っていない」と言いつつ、「処分は仕方がないと思っている」って、これも矛盾してるでしょ。現実には反則行為を指示している様子や発言がすべてテレビで流れている訳で、それをどうしてこういう言い訳が出来るのか理解出来ませんね。そもそも父に対する処分は反則行為を指示したという事に対してで、指示していないのなら処分も不当という事なんじゃないの? 「パフォーマンスと言動についてどう思っているか」という事について訊かれた時に、「パフォーマンス?」と記者を睨みながら言ったのは、きっと「パフォーマンス」という言葉の意味が解らなかったのでしょうけど、聞き直した質問に対しても、「今は解らない」という答えも、結局反省していないからこその答えで、全く反省していないという事がここからも見えてきますね。会長の「負ければ何も語らないというのが云々」という発言も、この場がどういう場なのかを考えると「負けた事について」質問されているのではなく、反則行為や従来の言動について質問されているという事がどうして解らないのでしょうか。これが「謝罪会見」だと言うのにはかなり無理があると思いますね。某有名ブロガーのブログではこの謝罪会見についてアンケートをとっていて、「まったく謝罪になっていない」と言う意見が圧倒的でした。これは当然でしょうね。ま、もうこの家族はダメでしょ。これでもまだTBSが使うのだとしたら、TBSはボクシングを冒涜し続けるという事でしょう。もう、辞めてはどうですか?

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危険を回避する能力
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 晴れ。 月齢5.9 弓張月

 アップルが今月26日に次期OS、「Mac OS X 10.5 Leopard(レパード)」の出荷を開始すると正式に発表しています。アップルのHPトップもこの話題がメインになっていますね。この新しいOSはアップルのオンラインストアではもう既に予約販売が始まっています。シングルユーザライセンスが14,800円、5人分のユーザライセンスを含むファミリーパックは、22,800円だそうです。WindowsVistaってHome Premiumで24,000円くらいですから、Mac OSって安いですよね。レパードにはWindowsがそのままインストール出来る「Boot Camp」が標準で装備されますし、デスクトップのインターフェイスもより洗練されたモノになっているようです。後9日先ですが、導入どうしようかなぁ。って言いながらきっと買うんでしょうね。でもなぁ、PSXの修理代に、携帯電話の買い換えに………。ああ、暗くなりそ……。

 小学3年生の男の子がデパートのエスカレーターでエスカレーターの手すりと壁の危険防止のアクリル板との間に首を挟み、一命はとりとめるも意識不明となる事故が起きています。テレビ等はエスカレーターの危険防止対策の不備を挙げ、早急に対策を打つべきだと言い立てているようですが、ホントにそうなんでしょうか。私はこれ、子ども側の責任で、もっと言えば親の監督不行き届きって事なんじゃないかと思うんですけどね。
 このところこういういわば不注意による事故が増えているように思うのですがどうなんでしょうか。毎年あるとはいえ、柵を乗り越えて侵入して溺れてしまったり、危険防止の策が一応施されているのにそれを無視したり無効にした上で事故にあったり、そういう場合の責任って、自己責任なんじゃないかと思うんですよね。これは大人に限った事だけではなく、子どもに関してもそうだと思うんですよ。ただし、子どもに全て自己責任だなんて言ってもそれは無理だから、保護者の管理責任っていう事になるんだと思います。この事故が起きた時、保護者は何処で何をしていたのでしょうか。と、怪我した子どもを鞭打つような言い草になってしまいましたけど、でもね、店舗側の責任って、それ程大きなモノじゃないと思うんですよね。
 ただし、環境デザインという視点から見ると、エスカレーターの挟まれ防止部分ってもっと上手く処理出来ないモノかと思うような部分ではある訳で、そもそも挟まれないデザインにする必要はあると思います。そういう意味では過去こういう事例は無かった訳で新しいこの事例をきっかけにこういった部分のデザインも、ユニバーサルデザインとして配慮するべきなのかも知れません。
 でも、そもそもこういう場所は危険だという事は判っているはずの事で、それ故危険である事がもっと見えやすくするためにも防止策や注意案内がされているのじゃないかと思うんですよね。それらを無視する事自体が既に危険行為をしているのであって、自身で自身を怪我させるような行為なんじゃないかと思うんですよね。そもそもこの子どもは自分の行為が危険な事に気が付いていたのでしょうか?おそらく気付いていなかったのじゃないでしょうか。フェンスを越えたり、こういう防護装置を無視するという事の奥に潜む危険性を想像する事があったのでしょうか?おそらく、彼らにとってその向こう側に危険が潜んでいるという事をよくしたり想像したりする事はなかったのではないでしょうか。つまり、彼らの危険察知能力というのは私たちが子どもの頃と比べると格段に下がっているのじゃないかとさえ思ってしまいます。こういう能力って生きていくためには絶対に必要な能力だと思うんですけどね。そういう意味では彼らの動物としての力「生きる力」というのはどんどん落ちていっているのかも知れませんね。この「生きる力」の低下の原因に関しても、実際には親の責任が大きいと私は思っています。もちろん、子どもの周囲にいる保護者以外の大人達の責任もあると思いますが、まず問われるべきは保護者(特に親)の責任ではないでしょうか。
 野生動物は、生まれた時から「生きる術」を学ぶ事をはじめます。「生きる術」には、積極的な意味で生きる術、つまり、餌を取ったりする術と、「死なない術」、つまり、身を守り、生き抜く術とが存在している訳で、周囲にいる捕食者から身を守ったり自然の驚異から如何に身を守るかといった術を身につけていかないと生きていけません。人間は、自然に対するこういった保身については集団で対抗し、技術の進歩により格段に安全に暮らす術を集団として身につけた訳ですが、反面、個々の能力としてはこれらの能力が低下しているのではないでしょうか。その結果、フェンスで危険を知らせ、危険を閉じこめているにもかかわらず、それを超えて危険なところへ平気で入っていったり、防護策を無効にして怪我をしたりという事になっているように思います。これには、「こうすると危険だ」とか、「こうなると危ない」といった事を想像したり予想したりする力が低下した結果ではないでしょうか。
 話はかなり変わるようですが、この「想像する力」や「共感する力」というのは通訳者にとってはとても重要な力で、話者がどういう思い出この話をしているのか、どういう展開になるのか、どういう着陸地点を考えているのか、結論としてどういう事を言おうとしているのかといった事を予測する事で、通訳の組み立てが容易になる場合が沢山あります。細かいところでは、どういった専門用語が出てくるのか、それは何処に繋がろうとしているのかといった事も含めて、話の展開を想像したり、話者の考えを酌み取る力というのはとても重要ですし、聞き手のそれらを理解する事で、何処までどういう風に理解出来ているのかを酌み取れる事になり、それに合わせて通訳の補正や補足といった事も柔軟に対応出来るようになります。ま、それにはそれなりの「下地」というモノが必要で、あらかじめ話者の考えをある程度理解しておくとか、その話題がどういう時にどういう風に使われる事が多いのか、専門領域で最近はどういう事がメインストリームになっているのかといった事を理解しておく事が必要になる訳ですけれど。そういう意味でも通訳には知識や技術以外にも人としての総合力が求められているのではないでしょうか。

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「反対の反対は賛成」というレトリック
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 曇り。 月齢4.9 弓張月 上弦の月

 いやぁ〜たいへんたいへん。何がたいへんって、携帯電話なくしちゃいました。とりあえず使用を停止しているので使われちゃう可能性はないのですけども、アドレスとかがね。データのバックアップがないので困っちゃいます。そもそも、携帯電話依存症ではない私は、携帯電話の不携帯が多いので持っていなくてもそれ程ストレスにはならないのですけど、それは何処にあるのかが判っているからの事で、何処にあるのかが判らない状態っていうのはやっぱりストレッサーになりますね。たぶん車のシート下にでも転がっているのだろうとは思っているのですが、本格的に無かったらどうしよう……。えっと、携帯電話って、通話料を引き下げて本体価格を上げるとかって言ってたけど、もう価格上がってたっけ?それでなくても今月は渋々PSXを修理に出したので修理代がかかるっていうのに。ソニーさん、今度はソニータイマーを切ってくださいよ。

 自民党の中谷元・安全保障調査会長は「テロをなくそうという国際社会で非常に評価されている。これに反対するのはテロリストしかないのではないか」とコメントし、つまりはテロと戦うことに反対するのはテロだという理屈で民主党を攻撃しています。民主党の鳩山氏は「という事は、国民の3割が給油活動に反対しているが、日本人の3割がテロリストという話になる」と反論していて、ユーモアという点では鳩山さんの勝ちかなと思ってみています。これ、「反対の反対は賛成」というレトリックで、テロを阻止することの正当性とその方法に関する有効性を主張するべきところを屁理屈でごまかしている感じですね。そういう小手先のごまかしはもうダメなんだってどうして気が付かないのでしょうか。そんなことで安全保障調査会長が務まる辺りが脳天気で日本は素晴らしいと感じます。
 こういう「対立のための対立」の構図っていうのは政治の世界だけでなく、集団対集団となると何処にでも転がっているモノで、それぞれの言い分にそれぞれ尤もなところがあって、内容によってはそれぞれを応援したいと思っている日和見というか、ご都合主義というか、いや、本人は決してそうは思っていなくて、ただ単に公正公平に中道でいたいと思っているだけなんですけどね、ま、そういう私にとっては「どっちか選べ」って言われると困ってしまう訳です。
 私はというと、実はこれでホントに良いのだろうかと考え込んでいます。テロに賛成する気はありません。暴力的行動によって自らの主張を通そうという行為は結果的には「無理が通れば道理が引っ込む」という不条理を生む以外にない訳で、それは良くないと思っています。が、そもそもどうしてそういう行動に出るに至ったのかという事を考えると、実はそこに問題がある訳で、その原因は欧米にあるんじゃないかとも思うんですよね。それとは別に、アメリカの言う「テロとの戦い」が果たして本当にテロと戦っているのだろうかというところにも少し疑問を感じています。
 9.11の後、アメリカは、「我々はテロと戦わなければいけない。戦争の形態は変わってしまった。国家間の争いの戦争ではなく、テロとの戦争が始まった。」と言って、アフガニスタン侵攻作戦を始めた訳ですよね。その後、イラクに対しても、「ビン・ラディンをかくまってテロを支援している」として攻撃を始め、「イラクを民主化しなければいけない」と言い出して、フセインを捕まえ、民主的な裁判と言いつつ、現実はアメリカの傀儡による裁判をして処刑を決め、大統領を選挙によって決めることにし、アメリカの思うがままの政権を樹立しようとしているようにしか見えませんし、それはおそらく62年前に日本に対して行ったと同じ手法を用いようとしているのでしょうけど、日本とイラクでは環境や風俗・風習と言ったものが全く違っていてそのまま当てはまらないなんて事は計算には入っているのでしょうか?とにもかくにも、こうやってイラクを民主化するんだっていう行為は完全に内政に干渉している訳で、これ、ホントにテロとの戦いと言い切って良い物なんでしょうかね。テロを口実とした侵略行為をアメリカはしたのじゃないでしょうか。
 つまり、アメリカは、「国家対国家」という従来の戦争の形態を古いモノとしながらも、テロという個人もしくは私的な集団対国家という図式の戦いに結局は旧態依然とした戦争のシステムでしか対抗出来ないでいる訳で、それ故対象がぼやけて個人や私的集団という絞られたフォーカスではなく、国家という非常に判りやすく対応し易いところを相手にしているのじゃないかと思うんですよね。そ