| Home |
2007.11.13
「Japan Brand」の失墜

曇り時々晴れ。 月齢3.2 夕月 四日月
食品業界の偽装問題は予想以上の波紋を呼んでいて、日本料理界一とも言われた名門吉兆が食材を偽っていたとか、消費期限を改ざんしていたとかって言う事が明るみに出て、これだけ散々色んな会社で同じような事が起き、各社が様々な対応をした結果消費者がそれらを評価し、酷いところは経営破綻にまで追い込まれている状況を見つつ、あの対応っていうのはあまりにもお粗末という気がしますね。食品業界に止まらず、様々な業種・業界で、品質の低下(食品業界のこれらの問題も基本的には品質問題だと私は思っています)が問題視されている訳ですが、結局のところ、神話化していた「Japan Brand」の化けの皮が剥がれたと見ても良いのかも知れません。いや、そもそもはね、ちゃんと「Japan Brand」と呼ばれるに相応しい品質を誇っていたのは事実ですし、それらは世界に冠たるモノだったと思っていますし、今でも誠実なブランドはそれなりの品質とブランドの地位に相応しい製品を世に送り出しているのも事実ですけれど。
「Brand」とは、そもそも、識別のために付けられた焼き印を押す事を指す言葉で、それによって責任の所在が何処にあるのかを明確にし、それに対する責任を完全に担保する事で利用者がそれらを安心して利用できることを示していた訳です。ですから、例えば、「IWC(インターナショナルウォッチ)」の時計は、そのシリアル番号さえ判ればどういう経路で消費者のところに届き、それを一何処で誰が制作していたのかも明確になっているために、どんなに昔のモノでも故障すれば責任を持って修理してくれます(事実、100年以上前に販売された時計を当時と寸分違わぬように修理するために、当時使っていた道具を再現するところから修理しています)。これとは別に、私の好きな時計メーカーでもある「オメガ」はアポロ計画の際にNASAが宇宙飛行士の時計を選定するために密かに市場に流通している各メーカーの時計を集め、耐久テストをした結果、オメガ社の「スピードマスター」だけが厳しい基準をクリアしていて、それによりアポロ計画の公式時計として使われました。また、Nikonのカメラはロバートキャパが戦場に倒れた際に最後に手にしていたカメラで、地雷を踏んだにもかかわらずその後回収されたフィルムにはその瞬間の写真が綺麗に写っていたそうで、これもNikon神話を彩る逸話の1つになっています。自動車メーカー各社にも色々な「神話」があって、それらが各メーカーのブランド力を引き上げる「証拠」になっている訳です。また、40年以上前に世界に先駆けて超高速鉄道網を引いた日本の技術やそのもの、「新幹線」の安全神話は今でも世界に通用するモノで、世界中が注目しています。そして、一度高くなったブランドイメージを如何に維持するかというのが各メーカーの使命となっていたりします。こういうブランドの逸話やブランド力の維持は「資本主義的経済原理」から見ると少し逸脱しているのかも知れません。地雷を踏んでも壊れなかったNikonは、違う視点で見ると、オーバースペックだったという事になり、その分のスペックを低くする事でコストの低下を計る事が出来たかも知れない訳です。
こういった高品質、高耐久性のモノはプロが極限の現場で使用する際の信頼を得、プロが使う事によってそれらの製品の品質の高さが証明され、市場の価値を決め、一般消費者にもそれらの良さが判り始める訳ですが、それらの良さの本質を知るにはそれなりの確かな目が必要になります。また、場合によっては使う側の力量を商品が求めてくるモノさえ存在します。例えば、管楽器や弦楽器などはそういう話をよく聞きますし、有名なところではヴァイオリンのストラディヴァリウスなどは演奏者の技量を見て使われるか、あるいは逆に演奏者を使うかを決めるとさえ言われます。銘入りのストラディなどは自分にあった演奏者が見つかるまで渡り歩くとまで言われています。
一流の使用者に共通した癖やそのために使い易い特殊な仕様といったものを考慮して作られるのがプロの道具で、極々普通に使うと使いにくい場合もあったりします。こういう部分も、使い手側の技量がその部分を埋めたり、更に使い易くしてしまったりという事がある訳で、そういう事を知らずに「素人」が手を出すと「何だこれ、使いにくいの」っていう事にもなりかねません。
実は、こういう特殊な仕様等や反対に汎用的な仕様の部分であったりというのは利用者の意見を吸い上げ、その中で制作者側のポリシー(思想)にあったモノを選択し、それらに合わせて作られる訳で、そこには利用者と企業のコミュニケーションというモノが存在します。また、その一番大切な選択のためには制作する企業側に明確な思想がなければいけない訳です。これらの思想はケースによっては資本主義的経済原理原離れた所に解を見つける事もあり、コストや手間といった事を度外視してスペックを求めることになることも多々ある訳です。ま、だからこそ、ブランド物は高くなる訳なんですけれども。
ところが、昨今の日本に企業にはどうもこの「思想」という物が明確には存在せず、利益追求こそが資本主義における正義であるとばかりにユーザーを無視し、せっかく築いてきたブランドを育てる事を辞め、むしろ反対にそのブランドにすがってしまっている企業が多いのではないでしょうか。恋愛でもそうですけど、すがられると離れたくなるのが心情で、ブランドも企業が頼り始めると途端にその色が褪せていくモノだったりするんですよね。
「ブランド力」だけを頼りに、ブランドにすがりついて利益追求への道を進み始めると、結果として吉兆だとか、赤福だとか、不二家のような事になってしまうのではないでしょうか。ま、その裏には私は「ISOの魔の手」が潜んでいるのだと思っているのですけどね。
「品質のトヨタ」とまで言われたトヨタ自動車がリコールを連発しています。反対に、BMWは品質やテイストを維持するには経済性を度外視しなければいけない場合もある事を自覚し始めています。この差がこれから先の両者の製品の質に関わってくるのではないでしょうか。トヨタでさえこういう状況にあるという事がどういう事を意味しているかを考えると、恐ろしくなりませんか?
| Home |

