川辺のタヌキ
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中国の恐れるもの
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 長野の聖火リレーに関しては、4月27日のエントリー「マスメディアの偏向」で書きましたが、終着点の様子については同様の事がきっこの日記でも書かれていました。つまり、複数の情報源から確認する事が出来る真実という事ですね。韓国では中国サポーターによる韓国人への暴行に対して抗議がされていますが、日本ではこういった事が完全に無視されていて、完全に日本が中立で聖火リレーが上手くいったという体を成してしまっています。国境なき記者団も、そしてチベット亡命政府でさえも今回の長野での聖火リレーをかなり高く評価していますが、どう見てもおかしくないでしょうかね。中国はダライ・ラマ14世に対して対話を検討しているようですが、以前として当初からの姿勢を変えてはいない様子。私は中国が本気でダライ・ラマ14世と話し合う気なんてないと思っています。もしかしたら話し合う為に帰国してきたところを暗殺しようなんてこと考えているのかも知れないくらいに思っているんですけどね。万が一、本気で中国政府がダライ・ラマ14世との話し合いを考えているのなら、国連の議場や第三国で会うべきなんじゃないでしょうか。また、『ダライ集団「亡命政府」の現状分析』としてチベット亡命政府に関するゴシップを人民網日本語版に連載し、日本人のチベットへの理解をなんとかして減らそうと必死に画策しているようです。なんとかして中国よりの考えを広めようと必死ですね。
 どうしてこうも中国はダライ・ラマ14世やチベットに対して強行姿勢でいるのか。ある意味これ程恐れているのはどうしてなのかを考えると、ひとつは領土に対する執着というのがあるのでしょう。でも、中国当局は「漢の時代までさかのぼっても中国の領土だった」と言っていますが、これもねつ造された歴史観で、現実にはそんな事はない訳ですよね。それ以上に恐れているのはこの民族の自治権を認める事が今後他の民族に及ぼす影響という事なんじゃないでしょうか。
 中国当局はダライ・ラマ14世を「分離独立派」としていますが、当のダライ・ラマ14世自身は「高度な自治権」を求めているだけと言っています。中国当局にとっては実は分離独立と同等に国内での自治権を認める事には脅威を感じているのだと思うんですよね。もしもチベットが国内で高度な自治権を勝ち取って、民俗の文化的、政治的独立性を主張した場合、他の少数民族もチベットを良い事例として動揺の要求を始めるでしょう。そうなると中国はロシアが経験したのと同じように民族紛争の嵐のまっただ中に入ってしまう訳で、実はそれを一番恐れているのではないかと思うんですよね。だからこそ、他の少数民族にとっては手の届かない分離独立という場所に問題を持っていって争う方が得策だと思っているのではないでしょうか。ただね、ダライ・ラマ14世はチベットが今完全に独立してしまうと経済的にも成り立たなくなるというのがよく判っているからこそ、「高度な自治」と言っているのではないかと思うんですよね。ですから、中国の思惑通りに事が運ぶかというと、それはかなり難しいのじゃないかと思うんですよね。
 それにしても、留学生を動員しての大国威誇示大会、チベットやウイグル(東トルキスタン)、内モンゴルに対して中国がどういう事をしてきたのか、その真実を全く知らされないままに当局の道具として使われる学生を見ていると、「フリーチベット」と叫ぶよりも、実は「フリーチャイナ」と叫ぶべきなのかも知れないと思ってしまいました。
 中国に人権を。中国に発言の自由を。中国に正しい歴史観を。中国に真の民主主義を。
 「Free China」

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終末期医療
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 晴れ。 とても穏やかな天気。 月齢23 有明月

 自民党は27日の山口2区補選の結果を受けても尚、後期高齢者医療制度の根本的な改正や廃止の声には全く目を向けず、その場しのぎの修正や減免制度の導入でお茶を濁そうとしているようですが、実はこの後期高齢者医療制度の中に、「後期高齢者終末期相談支援料」なるものが存在します。これ、つまりは回復の見込みのない人に対して余命宣告をした上で、その後、どういう処置を受けたいのか、例えば、延命措置はして欲しいのかどうかとか、点滴は受けるのかどうかとか、病状が急変した時には何処の病院へ搬送して欲しいのかとか、在宅医療を受けたいのか、入院での医療を受けたいのかなどを聴き取り、合意書を作成するという物で、合意書を作成する事で相談料が請求出来るんだそうです。合意書に明記するって言うのがポイントですよね。作成段階でどういう状況にあるのかを考えると、おそらく多くの人が在宅で、「畳の上で死にたい」と考えるのでしょうし、費用負担などを考えると、家族にあまり大きな負担を追わせたくないという思いから在宅を選ぶ人も多いのではないでしょうか。そうなると、当然ですが、入院している状態程の細やかな医療的ケアを受けられるはずはないでしょうから、結果として寿命を短くしてしまう事になるでしょう。それによって医療費を抑制しようという狙いなんでしょうが、これこそ、「治らんような病気になった年寄りは早く死ね」と言っているようなモノではないでしょうか。そうやって医療費を浮かせた医師にはその報償として相談料を出すという仕組みがここにある訳ですね。
 時々国会議員さんの中に、「私も在宅介護をした経験がある。その時に施設費用やなんだかんだで毎月40〜50万円も使っていた。今は介護保険で面倒を見て貰えるんだからとても良い制度だ」と言う人がいます。が、その人は毎月40万も50万を支払う事の出来る裕福な人で、独居老人や同居していても、今のように年収200万円時代の家庭がどうやって切り詰めて介護費用を捻出し、場合によっては仕事を続けながら介護する事の限界を感じて仕事を辞め、介護に専念した結果、生活が立ち行かなくなって心中するしか無くなったなんていう一般庶民の暮らしの中での介護問題を身をもって経験している訳ではないんですよね。実はここに大きな違いがあるのじゃないでしょうか。
 裕福な人は、介護保険の枠を限度一杯まで使い、その上それを超す部分を自己負担で十分賄う事が出来る訳で、最大で約30万円が従来と比べると軽減できる訳ですから、そりゃ、助かっているでしょう。ところが、現実には、枠の半分程度で抑制しているという高齢者が半分くらいいる訳で、つまり、介護保険を枠一杯使った時の自己負担(10%)でさえ生活の中では苦しいという世帯が沢山あるんですよね。そういう人にとっては従来の措置制度なら費用負担がもっと少なくても済んだモノが、どうしようもないのでサービスの量を減らすしかないという状況に陥っているのが現状です。前述の国会議員さんにとってはこういう家庭は想像すら出来ていないんですよね。今回の後期高齢者医療制度も同様なのではないでしょうか。
 某テレビ番組で自民党の有名若手議員さんが「少子高齢化がこれ程進んでしまうと、また、今後も進んでいく訳ですから、高齢者にも負担をして頂くのはやむを得ない」と堂々と言っていましたが、これ、とっても違和感を感じたんですよね。そもそも、少子化が進み、高齢者比率が高くなったのは早くから少子化が叫ばれていたというのに何ら有効な対策を打たなかった自民党に責任があるのじゃないのでしょうかね。それを棚に上げて、少子高齢化だから仕方がないなんて言うのはちょっと無責任なんじゃないでしょうか。まずは有効な景気対策を打ち、年収を引き上げ、乳幼児の医療負担を軽減し、産婦人科や小児科を誘致・優遇する対策を打ち、子どもを育てやすい仕組みを作り、少子化に歯止めをうち対策を講じ、それらが十分な効果を上げるまでの暫定対策としてどういうシステムを構築するべきなのかを検討するというのが物事のスジなんじゃないでしょうか。


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民意
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 晴れ。 月齢22 二十三夜月

 山口2区の補選が昨日投票、即日開票で、開票作業に入ってすぐに民主党の平岡氏に当選確実が出ていましたね。保守王国といわれた山口県での自民党の全力投入した結果での大敗は今後の政局に大きく影響するでしょうね。それにしても、大敗した自民党候補のコメントが笑えるというか、元官僚、それも、国土交通省で特定財源をしこたま良いように使ってきた官僚が何を行ってるんだって感じの国民の生活と乖離した発言だと思いましたね。ま、そういう人だからこそ、平気で道路特定財源を、それも暫定で税率を30年も上げておいて、それを湯水の如く使ってしまえるのじゃないでしょうか。
 実はこの人、道路特定財源とはそれ程関わってはいなかったようですが、それ以上に問題の耐震偽装事件の時の住宅局長で、もうちょっと遡ると、1998年のノーパンしゃぶしゃぶ事件で接待を受けていた官僚の1人だったとか。そんな人が衆議院議員になるなんてとんでもないと思いませんか? こんな重要な時に、いかに保守王国だとはいえ、こんな人しか擁立出来なかった自民党、はっきり言って最初から勝つ気なんてなかったんじゃないかと思うくらいの人選ですね。その結果、民意は自民党ではなく民主党を選んだという事になった訳ですが、これも不正確なのかも知れませんね。正確には「民意は自民党を選ばなかった」という事なんじゃないでしょうか。この結果を自民党はどう受け止めるのかというのはとても重要な事なんでしょうが、こういう結果が出たというのに、自民・公明の与党は4月30日にも衆議院で租税特別措置法改正案を再可決させる予定のようで、来月早々にガソリンは30円以上値上がりしちゃいそうです。また、今回の保線で争点になった後期高齢者医療制度も、福田首相は凍結する気はないようで、結果としてこの選挙で民意がどうだったかなんていうのは全く気にせずに我が道を進んでいくつもりのようです。
 毎回選挙の度に思う事のひとつなんですが、「民意」とは何なんでしょうね。与党は選挙で勝った時には「民意は我々を支持している」と言い、負けた時には「これは必ずしも民意が反映された結果ではない」といって誤魔化し、結果として自分達の良いように物事を進めていくばかりで、「民意」という言葉を都合よく使っているに過ぎないんじゃないでしょうか。そろそろ政権から自民党が降りてみる時なんじゃないでしょうかね。そうする事で澱み濁っていた流れは対流を始め、超長期政権の中で溜まった膿が抜けていくのじゃないでしょうか。


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マスメディアの偏向
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 晴れ時々曇り。 月齢21 宵月

 昨日の長野での聖火リレーは日本らしくというか、それまでの各国の状況と比べるとかなりおとなしい状態で終わったようですが、それでも一部で右翼が中国人留学生に怪我をさせるなどの騒動があり、3人の逮捕者と4人の怪我人が出たようです。それにしてもおびただしい数の赤い旗。ここが何処なのか一瞬判らなくなるくらいの赤の量で恐ろしいくらいでした。あれ、他国でやる事かねぇ。チベット支援者が一番前を陣取っていても無理矢理その前に出て赤い旗で埋めてしまっていたようですが、そこまでの行為はどうなんでしょうか。右翼による中国人への暴行があった時、チベット支援者は 「右翼を煽るような事はするな。旗を降ろせ。シュプレヒコールを止めろ。」と叫び、自制を促していたそうですが、中国側はその機に乗じたように一層大きな声で「ワンチャイナ!」と叫んでいたのを見ていると、どちらが危険なのか一目瞭然という気がしました。マスメディアは単に右翼が中国人を怪我させたという図式でしか捉えていなかった訳ですが、真のチベット支援者達がその時どういう行動に出ていたかをどうして伝えないんでしょうね。いや、おそらく伝えようにも、彼らが何を叫んでいたのかさえ把握できなかったのだと思いますが、そんな事さえ理解できない程度の言語力の人が取材していたというのもどうなんでしょうね。マスメディアが安易な偏向をしているというのがこの例からもよく判りますね。それでも、中国旗を持った中国人とチベット旗や東トルキスタン旗を持った各支援者が隣り合わせでいても他国程荒れた状態にならなかったのはとても優秀な事で、国境無き記者団は日本当局の対応を評価しているようで、「開かれた民主主義を目の当たりにできた」とコメントしています。そう、暴力行為に出るのではなく、お互いがそれぞれの主張を聞き、何処がどう違っていてそれはどれをどう認識しているからそうなるのかを理解する事こそが大切なんだと思いますね。某ポッドキャストで伝えられたことによると、東トルキスタン(新彊ウイグル自治区ね)支援者が「フリーウイグル、フリーチベット、フリーモンゴル」と言い始めたところ、チベット支援者もそれに加わり、チベットのみならず中国の抱える少数民族の問題を訴えるシュプレヒコールになったんだとか。そう、中国はチベットのみならずウイグルやモンゴル、そして台湾という問題を抱えているんですよね。また、終着点付近の様子は中国国旗で真っ赤に染まっている映像ばかりでしたが、実は警察によって中国人や親中国派の人と、チベットや東トルキスタン支持者とが完全に分けられ、中国人グループがなぜだか聖火に近い地域に集められたんだそうです。テレビの映像では真っ赤に染まっているのみでしたが、実際はそのカメラの後ろ側に多くのチベット旗や東トルキスタン旗を持った人達がいてまるで川中島の決戦のような様相になっていたそうです。これも又偏重した報道の為せる業という事なんでしょうね。
 そういえば、昨日の報道の中でチベット支援をしている中国人がいて、彼は中国の独裁体制に対して抗議活動をしているという事が報道されていました。中国人の中にもこういう人がいて、それでも中国国内ではこういう活動が出来ないままにひっそりと口をつぐんでいる人が沢山いるのじゃないでしょうか。これこそが大きな問題なんじゃないでしょうか。現実に中国国内では人権の自由、発言や報道の自由が規制されていて、言いたい事も言えない状況が実は中国全土に展開されているんですよね。弾圧された発言の自由や人権がカルフールに向かって爆発した(いや、当局の巧みな誘導によってそこへ向けられた)感じになっている訳ですが、これもいつかは当局に向かうようになるのでしょうか。チベットやウイグル自治区のみの問題ではなく、中国全土、中国人全員に関わる大きな問題が人権の問題なのではないでしょうか。
 前述の某ポッドキャストでは、チベット支持者で長野でのデモにも加わった人へインタビューがされていて、その中で、中国人は誰に対しても決まって、「あなたはチベットに行った事がありますか?」、「チベット語は出来ますか?」、「チベットの状況を知っていますか?」と聞いていたそうです。で、この人もまた中国人にそう問われて「行った事もありますし、ある程度はチベット後も出来ますよ。」と答えたそうです。そうすると矢継ぎ早に、「中国は多くの民族を統括している国なのです。」と、多民族国家である事を協調するように言ってきたそうです。そこで、「そうですね、多くの民族を力によって抑え、時には殺す事によって統括してきた国ですね。ところであなたはチベットに行った事がありますか?」と訊くと答えなかったそうです。
 今回の長野聖火リレーで集まった中国人も結局のところ動員がかけられて集まった人が多かったようで、インタビューに答える事についても管理されていたという様子が一部報道でも流れていましたが、中国では発言する自由なんて無いんですよね。そして当局が自分たちの都合のよいように捏造し、塗り替えられてしまった歴史を(それ以外を知る事が出来ない中で)信じ込まされ、疑うことなく(疑う事など許されない訳ですから)暮らしているというのは、果たして幸せなんでしょうか。
 民主化そのものが良いかどうかは別として人権を守られていない国、発言や行動の自由が制限されている国というのはやはりおかしいと私は思います。中国が人権を守り、発言や行動の自由が保障されている国になる事を希望します。

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トイレの利益
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晴れ。 月齢20 宵月

数日前の新聞の『「途上国にトイレ」意外な経済効果』という見出しが載っていて、気になって読んでみました。この記事によると、発展途上国の衛生面の改善の為、トイレを供給する事で不十分な水処理が原因で起きる病気の医療費を大幅に削減出来るそうです。国連大学の研究グループによると、衛生設備への1ドルの投資は9ドルの利益になるという資産が出ています。国連によるとトイレが利用出来ない人は世界人口の約1/3の26億人に達するそうです。毎年下痢などの原因で亡くなる人が約180万人いて、そのうち88%の人が不衛生な下水処理が原因なんだとか。2000年に各国が合意した国連ミレニアム開発目標 (MDGs)というのがあって、この中でトイレなどの衛生設備が利用出来ない人を2015年までに半減させるという事になっているそうですが、遅々として進んでおらず、目標達成は難しいと見られています。が、この目標を達成させる事で、世界全体で年間約573億円の医療費が削減出来るんだそうです。病気にならずに仕事が続けられる事や自宅や労働現場から遠くのトイレにわざわざ行かなくて済む事などの労働生産性の向上は労働時間で計算すると、年間32億人が 1日働く分の労働時間となるそうです。32億人というと人類の約半分という事ですね。人類の約半分が一日労働するのと同じだけの労働力が生み出されるという事になります。これらを含めた利益が世界全体でおおよそ36兆円で、上の計算からいくと36兆円を得る為の投資額は約4兆円程度という事になるそうです。
 トイレの普及率はサハラ砂漠より南のアフリカやインド、パキスタン等では40%足らずの普及率で、これは水質や土壌の深刻な汚染にも繋がっているんだとか。トイレを設置する事で環境の改善も出来るという事になると、食料の供給問題や近年問題になってきている水不足の解消にも繋がっていく事になるのかも知れませんね。
 中国やアフリカなどの発展途上国では、そもそも都市がデザイン上許容している以上の人口を受け入れざるを得なくなっているという事が起きていて、急速な人口増加が原因の環境汚染が多発しています。ゴミや汚物などが処理能力を遥に超えていたり、そもそもそういったものを処理するシステム自体が存在していないなどから、水が汚染され、それが原因で多くの人が亡くなっているという話は聞いていましたが、具体的に数字で見て改めてビックリしています。「21世紀は水の世紀」という言葉があるのですが、世界的に水(飲料水や生活用水)が不足している現状で、更に汚染が進んでいくと、益々水不足が進んでしまうんですよね。オリンピックが開催される北京も実は深刻な水不足が進んでいて、解消策として人工降雨の実験をしてみたり、長江流域から水を引き入れるという事をしているようですが、最終的には遷都する事も視野に入れているとか。Google Earthを見ても、中国の沿岸は色が変わっていて汚染された水が垂れ流しになっている様子が見て取れますよね。日本が東京オリンピックを開いた時も確かに公害が大きな問題にはなっていましたけど、それを上回る規模で汚染が広がっています。
 Virtual Water(仮想水)という考え方があって、穀物や家畜の生産に利用した水をその穀物や家畜などを輸入した事により仮想的に取引したのと同じだという見方で、実際に利用している水等を顕在化させる考え方なんですが、これを日本に当てはめてみると、食糧の自給率が以上に低い為、仮想水の輸入も多くなるんですね。その結果、日本は現状の日本社会を支える為には水が不足しているという事になってしまいます。日本の水資源開発や水の効率的な使い方っていうのももっと考えなきゃいけませんね。


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聖火到着
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 晴れ。 月齢19 更待月

 いよいよ明日が通訳協会の総会という事ですが、もちろん私は参加資格がありません。という事で明日は総会には行かない訳ですが、様々な問題を抱えた通訳協会の総会はみものでしょうね。その通訳協会は結局回答期限の今日、今の時点で回答が届いていないのでおそらく回答する気はないという事なんでしょうね。という事は、やむを得ず最終手段に出るしかないという事で、通訳協会は明日の総会以上にその後に大揺れに揺れる事になるかも知れません。ま、揺れて潰れるような組織なら潰れてくれた方がその後がやりやすいのですよね。新しい、真の情報保障を目指し、そのためのビジネスプランを構築出来る組織が今こそ必要なんだと思います。

 明日の聖火リレーを控え、いよいよ聖火が日本に到着。チャーター機には成果を収めたトーチが4つあるんだそうですけど、いっその事その飛行機で日本上空をぐるぐると回ってそれで聖火リレーにしちゃうっていうのはどうなんでしょうね。長野での聖火リレーもどうやら中国側の特別警護隊は付かないようですが、両側を警察が2列に並んで警護するんだとか。結果的に周囲から見る事なんて難しい状態になるのには変わりないようで、何の為の聖火リレーなんだか。オーストラリアでの聖火リレーも中国人による赤い旗を持った人達が並んで中国の国威発揚の為の聖火リレーのようでしたね。「平和の象徴」とされる現在の聖火リレーですが、そもそもはベルリンオリンピックの際に始まったもので、平和の象徴というよりも当時のドイツの国威を示す為の行為だったようですね。今回の聖火リレーも平和の象徴というよりもベルリンオリンピックの際の聖火リレーと同じ色合いなんじゃないでしょうか。近代オリンピックには宗教的意味合いはなくなってはいますが、聖火は元々ギリシアの神々の長とされたゼウスをたたえる火ですよね。中国共産党は宗教を弾圧し、多くの仏像を破壊してきた訳ですが、これまたなんだか象徴的ですね。
 明日の長野の聖火リレーはどんな光景になるのでしょうか。少なくとも青い色に染まる事はなさそうですが、赤い色に染まる可能性は大ですね。ナショナリズムに染まった赤色って不気味で見る気しないけど。
 コカコーラの株主総会で株主から聖火のラサ(チベット自治区)通過を止めるように中国に申し入れてはどうかという提案があったそうですが、それってどんな意味があるのでしょうか。聖火がラサを通らないからといって何かが変わるとは到底燃えない訳で、これをもしもコカコーラが中国当局に提案したところでどうという事はないんじゃないかと思うんですよね。むしろ、ラサを通す事で、ラサの現状を生で伝える機会が出来る訳で、チベット側にとっては格好のチャンスなんじゃないでしょうかね。
 というように色々な意味で今更「政治とスポーツを一緒にするのはおかしい」とかっていうのは理想論でしかないというか、それすらも既に政治的に利用されている訳で、スポーツにせよ芸術活動にせよ文化活動にせよ、全ての事を政治と切り離すのは言ってみれば生活と切り離すような物なんじゃないかと思うんですよね。芸術活動のある一部は確かに現実から乖離し、世俗と絶縁したところに存在しているのかも知れませんが、多くの芸術は人の営みの何らかの面を表現しているもので、それ故人の暮らしと切り離す事は出来ないものだと私は思っています。芸術にせよスポーツにせよ、本来は人の営みとして存在しているもの。人の営みを導き、整える「政(まつりごと)」と切り離す事が出来る筈なんて無いと思うんですけどね。それでもまだ「スポーツと政治を一緒にするのはおかしい」というのなら、その政治家は人の営みからかけ離れたところに存在しているという事なのじゃないでしょうかね。つまりその政治家には政なんて出来ないという事ですよ。
 聖火を何の警護も付けずにリレーする事の出来ない国に、オリンピックという平和の祭典(とされているもの)を開く資格があるのでしょうか。
 

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品質への意識差
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品質への意識差

 雨のち曇り。夜には晴れ。 月齢18 寝待月

 通訳協会の副代表から「4/20付けのFax受け取りました」というFaxが今日になって届きました。どうも代表は用事があって今大阪にはいないという事で替わりに副代表から「受け取った旨」のfaxが届いたのですけど、このFaxの意味が私にはよく判らないんですよね。元々、代表・副代表・事務局長の三役にそれぞれfaxを送ったのは届いていないというような事態を避けるという事と、三役共に考えるべき事だからという事なんですよね。Faxがちゃんと流れている事はFaxが送信後に出した送信レポートからも解っている事なんですよね。4/20に送ったfaxの受信確認をわざわざ今日送ってきたっていうのがどうしてなのか全然理由が解りません。「届きましたよ。」という事でしたら、明日の締切りまでに回答をお送り頂ければいいだけの事なんですけどね。回答期限を遅らせて欲しいというような事も書かれていなかったので、明日にはきちんと回答を出してくれるのだろうと期待しています。が、おそらくそんなもの、送っては来ないでしょうけどね。明日、回答が来なかった場合は通訳協会にも予告しているとおり福祉オンブズパーソンと府のNPO担当部署等に質問をする予定です。期限の延期を申し入れられた訳ではないのでそのままの日程で行きます。

 アメリカ産輸入牛肉の中に、BSEの危険部位とされている脊柱が含まれていた事が判ったそうです。これは吉野家の工場で発見されたもので、アメリカのナショナルビーフ社カリフォルニア工場が製造したものとの事。当該工場は「700箱のうちの一つに日本向けではないものが混じっていただけの事。アメリカ国内や他の国では普通に流通していて日本だけが特殊。」と言って平然としているようですが、アメリカは日本に対して牛肉の輸入基準の緩和を要求していた経緯があって、こういう事があるようでは規制緩和は難しいというのが日本側の考えのようです。ま、それは当然だと思うんですけどね。
 アメリカの「700個のうちのたった一つ」という感覚はそもそもアメリカの品質意識の低さを表しているもので、20年以上前の話ですがアメリカから輸入した100個入りのコネクターに103個入っていた事があって、代理店にそのことを伝えたところ「3%の不良率を見込んでいるのでその分与分に入っている」という話でした。当時は平均的な不良率がまだ3%程度あった時期で、日本ではその不良率を様々な改善でもっと低くしようとしていた時期でした。アメリカはその分を補充していれば問題はないという発想に留まっていたのが物作りの姿勢の違いで、結果としてその後のアメリカと日本の技術力の差になっていったように思います。ある意味でとても合理的なアメリカ的発想はそこから先には進まないんですよね。
 今回の事も上記の例と同じ感覚がアメリカにはあるという事なんだと思います。アメリカは「単純ミスなんだからそんな大騒ぎをする必要なんて無い」と考えているようですが、日本的な感覚では「単純ミスを犯してしまうような体制だからこそ、大きな問題が潜んでいる。」となるんですよね。この違いは国民性も反映しているのでしょうから、「判れ」といっても判らないんじゃないでしょうか。ま、アメリカ人なんて単純で複雑な事を考えられない連中ですからね。
 それにしても、腰砕けで歩けなくなった牛を食用に解体していたりぞんざいに扱っていたりとアメリカのBSEに対する鈍感さはどうなっているのでしょうね。そんな牛がまだまだ沢山いるらしいといわれている国の標準規格をそのまま鵜呑みに出来るとは思いませんし、政府も今回の事でよりデリケートになっているようですから、規制緩和は受け入れられない事として断る事になるでしょうね。アメリカ人もいっその事そんな危ない食品はやめて、いっその事環境に優しい鯨肉に切り替えませんか?何なら鯨の養殖を研究するとかっていうのはどうですか?


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「正義」と称されるもの
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 晴れのち曇り。 

 今日はサークルの日だったんですけれど、あいにく残業になってしまい、遅くなっちゃったのでサークルは行かずに家に帰ってご飯を食べて、そのまま「タイタニックに積まれていた」っていうワイン(ドイツワインの白)を飲んで、こないだ滋賀に行った時に買ってきた桃の日本酒を呑んでちょっと酔っぱらっちゃっています。滋賀で買ったっていうのに、よく見ると奈良で作られていたんでちょっとガッカリですが、ま、そこは美味しかったのでよしとしましょう。

 今朝アップしたエントリー、「判決」では、基本的にどういう判決が降りたのか、自分はどう思うのかというところを書きました。何が客観性を持った評価なのかというところはとても難しいもので、私自身はこの判決を支持していますし、被告が犯した罪について、この裁判が評価したところが正当な評価だと思っています。ただね、では、それが真実なのかなんていうのは客観的観察者なんていうモノがいないので、それはなくなった被害者と被告だけが知っている事ですし、被告がその時何を考えてそういう行為に至ったのかっていう事に至ると、その瞬間の被告にさえ判らないのではないでしょうか。これも、今朝のエントリーで書いた事ですけどね。

 弁護団は、判決後の会見で、「捜査段階の自白に信用性を置き、その後の供述は過去に自白をしていないとの理由だけで排斥した。証拠の評価法が基本的に間違い」、「こんな不合理な判決を出す裁判所がある限り、被告は争うことができない。事実を争っただけで反省の気持ちがないと断じられ、死刑になってしまう」、「殺害方法など客観的事実を無視した判決だ」、「差し戻し審前に最高裁が示した『死刑を回避する理由がない』とする判示にのみ込まれ、『死刑判決は慎重に下されるべきだ』という哲学に反している」、「今後、厳罰化がとめどなく加速するだろう。非常に危険な状態になった」などと言っていますが、客観的事実として存在している被害者の身体についた痕などと、被告や弁護団が主張していたような状況とは相容れないと判決文は述べています。つまり、客観的事実を無視しているのはむしろ弁護側だったのではないでしょうか。厳罰化への流はむしろ社会全体が厳罰化を求める傾向にあり、それだけ社会のモラルハザードが進んでいる現状を見ると、厳罰化は必要な事だと私は感じています。また、客観的事実と相容れない事を事実として言い立て、それが通らなかったからといって、不合理な裁判所とするのは天に唾するようなものではないのでしょうか。死刑判決は慎重に下されるべきものだという主張は誠に正しいものだと思いますが、根気強く弁護側の主張を聞き、それらを吟味したのは慎重さの表れだったのではないのでしょうか。そうでないなら、そもそも新しい事実なんていう物を聞く必要さえなかった事なのではないかと思います。加害者の人権にばかり重きを置き、被害者の人権や人間性を蔑ろにし続けてきた日本の司法が新しい局面を迎えたのだという理解がどうしてこの人達にはできないのでしょうね。
 彼らはここに正義はないといいますが、私はここにこそ正義があったと感じますし、そう感じた人は多かったのではないでしょうか。そもそも、「正義」なんていう胡散臭い物を倉庫の奥から引っ張り出してきて看板に飾らないとどうしようもないという時点でペテンを感じるのは私だけなんでしょうか。

 正義の名の下にチベット民族を力で無理矢理その居住地を奪って、好き放題し、それに反発したチベット人を力で押さえ込み、暴徒と言ってぞんざいに扱い、そのくせ事もあろうかパリで起きた聖火リレーの妨害行為をフランス政府の責任にし、フランス企業だからという理由だけでカルフールの営業活動を不当に妨害し、それを「不買運動」などというさも平和的行動であるかのように言い、その暴徒達をチベット人にしたのと同じ力でねじ伏せようとせず、扱いあぐねている中国政府。そもそもカルフールの不買運動も裏で政府が画策し、協力していた事は既に周知の事実だというのに。このまま漢族の暴徒を野放しにしていると必ずや近い時期にカルフールを破壊しようとする行為に出る事は間違いないでしょう。不買運動であるのならまだしも、店舗の入り口にバリケードを作って入店しようとしている人を阻んだり、ここで買い物をするなと叫んだり、店舗内に押し入って、そこでまた同じようにシュプレヒコールを挙げたり買い物を阻止したりするのは既に不買運動ではなく、完全に営業妨害でこれらの人は暴徒と同じです。同じ暴徒であるのに、中国政府はどうしてチベット自治区の暴徒をすぐに力でねじ伏せたというのに、カルフールに押し寄せた漢族を力で蹴散らしてしまわないのでしょうか。これは明らかに民族差別そのものなんですよね。同じ暴徒であっても、漢民族かそうでないかで扱いを変えたり、ただ単にフランス企業だという事だけで営業を妨害する行為を裏で手引きし、現実に黙認する。これが中国政府の正義です。

 振り返って日本はどうかというと、30年という長い間「暫定」という名目で集めた特別税を自らの好き勝手に使い、国民から集めた保険料で自分たちの余暇のために使い、その反面で、「地方財政が危機に陥るから」という口実でようやく廃止になった暫定税率を復活させてもう一度私腹を肥やそうとするのが今の日本の政府の正義という事なんでしょうね。それにしても、この国の人達はなんとおとなしく、従順なのでしょうか。これだけ国民を嘲り、見下している官僚や議員に対してまだ従い続けるというのは日本人の恭順の精神故なのでしょうか。「正義」を自らが称するような物を信じるのは止めた方が良いのかも知れませんね。


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判決
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 晴れ。 月齢17 居待月

 昨日、山口県光市の母子殺害事件の判決が出ました。主文が後回しにされたことから、死刑ではないかと思っていましたけど、やはり死刑の宣告。裁判長は冒頭から、被告側が殺意を否認に転じたこと等に対して「不自然。不合理。」と一蹴し、傷害致死だとする弁護側の主張も変遷があり信用出来ないなどとして否定し、乱暴目的でアパートを訪れていた事を認定。殺害までは計画していなかった事や、当時18歳になったばかりであるといった事は「死刑を回避するべき理由にはならない」として死刑を宣告しました。3,000人を超える傍聴希望者が集まるほどに注目されたこの裁判、一般的な市民の感覚からは納得出来る判決だったのではないでしょうか。従来の判例を覆す結果を出したこの裁判は来年からの裁判員制度にどのような影響を与えるのでしょうか。
 判決の中で裁判長は差し戻し審で被告側の主張した内容について完全否定し、それらの荒唐無稽な主張こそが酌量を考慮する事を不要とする原因としています。また、それらを主張し始めたのは21人の弁護団がついた事により、原形が期待出来、何を主張しても弁護してもらえると思い、それまでに芽生えていた反省の意思を無くしてしまった事にあるとしています。そこにいた目撃者は当事者(つまりなくなったお2人と犯人)しかいない訳で、どういう事だったのかというのは当事者以外に知りようが無い事が沢山あります。そして、その時にどう思ってそういう行動に至ったのかというのは当人以外本当の事は知り得ない事です。それ故、主張した事が本当の事かどうかなんていうのは本当のところは解らない事ではある訳ですが、「生き返ると思って屍姦した」だとか、「ドラえもんがなんとかしてくれると思った」というのはあまりにも荒唐無稽で、容認するに足りないという裁判長の判断は正当なものであると思います。そういう主張をする人間であればそもそももっとはじめからおかしな言動をしているのではないでしょうか。ここにきてこういう主張を言い出した事の整合性を認められないというのは当然の事だと思いますね。
 弁護師団は上告するという事ですが、最高裁で差し戻しになったこの件って、上告出来るのですか?差し戻しになった時点で、最高裁の判断は出ているという事なんじゃないのでしょうか。よく判りませんが、そもそも最高裁は、「18歳になって間もないことは死刑を回避すべき決定的な事情とまではいえない」と判示し、「無期懲役の量刑は甚だしく不当で、破棄しなければ著しく正義に反する」という事で差し戻した訳ですから、よしんば上告されて最高裁で争うとなってもこの方針が変わるとは思えませんから、死刑を免れることはないでしょう。
 この事件そのものも腹立たしい事件で、何の罪もない幸せな家庭を踏みにじり、破壊した事は今回の判決に値するものと思います。が、それにしても、それ以上に腹立たしいのは差し戻し審となって弁護についた21人の弁護団。彼らの真の目的は被告の救済ではなく、「死刑廃止」にあるという事ですね。今回の事件は彼らによって「大人の事情」に使われた道具になってしまっていたのではないでしょうか。判決後の記者会見でも、「従来の判決でも殆どの人間が反省をしながらも事の重大さ故に死刑になってきた。この事を無視する判決は不当で正義に反するものではないか」といった事を言っていましたが、むしろ、事の重大さ故にどれ程反省しても反省し切れるものではなく、犯した罪を身をもって償う事は必然性の高いものではないかと私は思いますね。私自身は死刑を廃止する必要なんて無いと思っていますが、死刑に反対であるのなら、それはそれで正々堂々とその事事態を戦うべきであって、こうやって姑息な手段で戦う事は、被告自身も、被害者も、事件そのものも蹂躙し、貶める行為ではないかと私は思います。本当に死刑を無くしたいのなら、こういう手段ではなく、もっと正々堂々と国民に訴え、納得の出来る理論立てで説得するべき何じゃないでしょうか。その説得の際に、「国連の人権委員会は云々…………」なんて言うのは納得できる理論とはいえないという事を判っておくべきだと思いますけどね。ま、死刑を無くすにはまず先に終身刑の制定や刑の加算によってアメリカのように「懲役400年」とかっていうのが出来るようにするべきだと思いますけど。
 この事件は既に弁護団が即日上告していますが、最高裁は「18歳になって間もないことは死刑を回避すべき決定的な事情とまではいえない」として差し戻した訳ですから、基本的に死刑が相当であるという判断をしている訳ですよね。ですから、おそらく棄却するのではないかと言われています。棄却となった場合、死刑が確定する事になる訳ですね。

 光市の例では自らの欲望を満たす為に罪のない2人の人を殺め、それでも自らの行為に様々な不合理な理由をつけて死刑を免れようとした訳ですが、それとは全く逆に、「人を殺して死刑になりたかった」として人を殺めた自衛隊員がいます。この例も結局は「死刑になりたい」という自らの欲望の為に全く関係のない人を殺した訳で、とんでもない事です。こういう事をする人が自衛隊員として存在し、人を殺める訓練を受け、人を易々と殺す事の出来る武器を持っているというのは恐ろしい事ですね。昨日の「そんなの関係ねぇ」発言といい、この殺人事件といい、一体自衛隊とはどういう組織なのでしょうか。昨年の不祥事以来信頼回復を図るとしていた自衛隊ですが、根本的なところで信じるに値しない組織なのではないかとの疑いを払拭する事は出来ませんね。


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道路関係外郭団体解散へ
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 冬柴国土交通大臣が外郭の公益法人3法人の解散等を発表しています。これはこれで良い事だと思いますけど、少し前に渡辺行革大臣が各省庁に公益法人の整理を依頼した時にはゼロ回答を出していた筈ですよね。それが今になってこういう回答っていうのはどうなっているのでしょうね。某メディアのコメンテーターの話では、3法人の解散は一見効果的なものというように見られるが、そもそも存在そのものに意味のない団体を切り捨てただけで、多くの蓄えを持っている組織はまだまだ手つかずで残っている訳で、それを解体しないことには利権構造には変化はないだろうという事です。つまり、冬柴大臣は大なたを振るったように見えていますが、現実にはまだまだ守られている伏魔殿が潜んでいるという事で、そこを何とかしようとしない限り、国土交通省の体質改善は為されていないという事なんでしょうね。ま、これは他の省庁も同じだと思いますけれど。

 そういえば、厚生労働省の社会保険庁の解体も、新しくできる「全国健康保険協会」に社保庁職員1,700人が採用されることになり、しかも、年金記録ののぞき見や、国民年金保険料不正免除・猶予などで減給や戒告処分された人たち71人もこの中に含まれていて、訓告等までを含めると、なんと、約2割が何らかの処分を受けたことがある人なんだとか。社保庁を解体した意味が何処にあるのか、厚労省は判っているのでしょうか。こういう役人がいるから社保庁が機能を全うしなくなってしまっていた訳で、それ故解体が必要になった訳で、その諸悪の根元をそのまま新しい組織に持って行くなんていうのは民間では到底考えられないようなことです。こんな人こそ、分限免職で処分・廃棄するべき何じゃないのでしょうかね。それでも、どうしても公務員でいたいというのなら、自衛隊に異動させて、イラクにでも行って貰うのはどうでしょうか。

 これを見ても、いかに政府の行政改革が口先と見せかけだけの偽りのものかっていうのが判るのじゃないでしょうかね。そもそもこの国を借金漬けにしてしまったのは国会議員の無為無策と、これらの官僚の自己保身と自己利益誘導が原因ですよね。そのツケを国民に押しつけて、増税だとか、医療費の抑制だとかって言うのは本末転倒です。「小さな政府」って言うのであれば、まずは職員の大幅削減と、人件費の大幅削減をするべきでしょう。その上で、地方に権限委譲し、その分の税金も当然地方へ移譲するべき何じゃないでしょうかね。かけ声だけ「小さな政府」と叫び、一向にダメ職員を処分せず、業務だけ地方に押しつけて税金はそのまま国が持って行くっていうのは海賊のピンハネとたいして変わらないんじゃないでしょうかね。権限と職務とそれに応じた税金を地方に移譲し、不要になった人員を大幅に削減して、その上で、残った職員の人件費を一般企業の、しかもこの国の労働者の9割がそうであるような中小企業並みの給与にしてはどうでしょうか。そうすれば諸費用を大幅に削減出来る上に、「庶民の暮らし」がどういうものなのかも身にしみてよく判るでしょうから、庶民の暮らしをどうすれば良くできるのかを考える官僚になるんじゃないでしょうかね。


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関係ない訳ないでしょ
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 晴れ。 月齢15 十六夜

 春ののどかなとても気持ち良い日よりの一日。ちょっとだけ暑い感じでしたけどね。もう4月も中旬が終わろうとしている訳で、当たり前かも知れませんけどね。

 自衛隊のイラク派遣について、一部違憲活動があったとした名古屋高裁の判決について航空自衛隊の田母神(たもがみ)俊雄・航空幕僚長が隊員の心境を代弁したコメントとして「『そんなの関係ねぇ』という状況だ」と発言した事に対して、当該の裁判の原告側が、防衛省に抗議文を出すという事です。また、当該判決に対して元文科相の中山成彬(衆議院議員・自民党)は「問題のある裁判長で、変な判決だった。3月末で辞め『最後っぺ』を出したようなものだ」と発言している事に対しても抗議文を出すという事です。
 自民党の元大臣なんて言うのは昨日のエントリーの与謝野氏(これまた元文科相ですが)もそうですが、おおよそ厚顔無恥な人だと思っていいんじゃないでしょうか。この人も「三権分立」の意味がよく判っていないようですね。「問題のある裁判長で」なんて言うのなら、国会の中にどれだけ「まともな国会議員」がいるのでしょうね。殆どの、特に自民党の議員なんていうのはほぼ全てが「問題のある議員」なんじゃないでしょうかね。
 航空自衛隊のこの「そんなの関係ねぇ」発言は右から左へ受け流して良い発言ではないと私は思っています。実は、私、この発言を聞いて最初に思い浮かんだのは関東軍の暴走なんですよね。シビリアンコントロールを無視するようなこういう発言を軍(自衛隊は軍ですからね)のトップが平然とメディアの前でしてしまうという事の恐怖、みなさんはどうお感じでしょうか。私はこんな怖い事は他になかなか無いのではないかと思いますけども。
 確かに、自衛隊の隊員にとっては必要な事として派遣され、命を賭けて任務に取り組んでいる訳ですからそれに対して「違憲行為」といわれればじくちたる思いがあるでしょう。が、国家たるもの、憲法に従って動き、憲法に従って動かないというのが原則で、国家が為すべき事を取り決めている憲法に対して「そんなの関係ねぇ」って言う軍っていうのは、はっきり言って、テロリスト集団ですよ。これでは張作霖爆殺事件を発端に、満州事変を起こし、日本と周辺諸国を未曾有の大惨状に陥れた関東軍と大差ないですね。軍部が独走して利権確保に奔走し、軍部の都合の良いように法律を解釈し、最終的にはそれに引きずられるようにそれなら即時解散しかないでしょう。それは現実的ではないとしても、この不用意な発言を平然とやってのけた田母神幕僚長は更迭必至ですね。
 それにしても、どうしてこうも憲法を蔑ろにするような発言を議員にせよ、軍のトップにいる幕僚長にせよ軽々に口にしてしまうのでしょうか。そもそも平時からこういう事を思っていたという事には間違いないでしょうね。少なくとも、違憲判決が出たという事に対しては重く感じるべきですし、そこに反省するべき点はなかったのか、どういう点がどういう基準でどういう過程を経て違憲と見なされたのかを深く考えるべきではないでしょうか。そもそもは、小泉氏のあのよく判らない発言、「非戦闘地域にしか自衛隊は派遣しない。自衛隊が行くところが非戦闘地域。」という無限ループ発言が事を捻らせてしまったんじゃないかと思うんですよね。「非戦闘地域に非戦闘の目的で行く」というのであれば、どういう基準でもって非戦闘地域とするのか、その基準は間違っていないのかを堂々と検証することが必要だったはずだと思うんですよね。今となっては過ぎてしまったことですけども。
 参議院で自民党か当選した髭の隊長にしても、個々人としては現場の人間は使命感を持ってそれが正しいことだと信じて命がけの任務に就いていることには間違いないことでしょうが、幕僚長がそれを支持するからといって、「そんなの(つまり違憲判決なんて)関係ねぇ」って言うのはね、ちょっとその教養とか、知性とか、心情とか、認識とかを疑われて当然でしょうし、そういう人を幹部にしている組織はあまりにも怖すぎますね。この発言を容認するような防衛省なら即時解散して貰いたいと思います。


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年寄りは死ねと自民党は言った
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 晴れ。 月齢14 十五夜

 人気ブログの「きっこのブログ」を私もご多分の漏れず時々チェックしています。で、ちょっと気になったのが、4/20付けのエントリーで書かれていた事でした。内容はって言うと、自民党の与謝野馨元文科大臣による後期高齢者医療に関する発言に関しての事で、要するに、「戦前まで平均寿命が50歳程度だったものが、国の政策が良かったお陰で平均寿命は劇的に延びてきた。だから、その恩恵を受けている高齢者は無理のない程度に自己負担をするのは当たり前だ」という主旨の発言に対して、「江戸時代の平均寿命が50歳代だったのは知っているが戦前の平均寿命がそれと同じ程度というのは初耳。そうであれば昭和17年に亡くなった与謝野晶子の65歳は当時としてはものすごい長生きだったという事になる。」と揶揄し、最後を、「自民党の議員はどうしてこうも無知で恥知らずなんだろう」と括っているんですよね。ま、自民党の議員が無知で恥知らずだっていうのは今更始まったことではない訳で、それは別にどうでも良いことなんですけれど、私にすれば、「江戸時代の平均寿命が50歳だった」っていう話の方が初耳で、私は確か「江戸時代の平均寿命は30歳代だった」という話と、「それでも意外に長生きの人はいた」という一見相反する話を聞いたことはあったんですよね。で、ま、ちょっと調べてみました。というか、ググってみたんですよね。すると出てくる出てくる。簡単に調べられることだったんですよね。
 まず、江戸時代の平均寿命は中期で25歳程度、江戸末期から明治初頭で30歳程度、1947年にようやく50歳に達したという事です。つまり、与謝野氏の数字の方が正しくて、きっこ氏の当てずっぽうの数字の方が間違っているという事になります。という事は、この部分だけを捉えると、「無知で恥知らず」は与謝野氏ではなく、これをあげつらって批判しようとしたきっこ氏の方という事になりますね。
 実は、これを調べていてなるほどと思ったのは、「平均寿命」というトリックなんですよね。平均寿命が長いのはそのまま高齢者が多いという意味とはちょっと違うということが判ってきたんですよね。いやいや、確かに、平均寿命が長い国の方が高齢者の占める割合は高いんですよ。ただね、「平均寿命が低い国」は高齢者がいないのかというとちょっと違っているんですよ。実は、戦後の日本の長寿化、平均寿命の伸びの最大の原因は乳幼児死亡率の低下にあるんですよ。
 平均寿命って言うのはつまりは「合計年齢/人数」なんですよね。つまり、生まれてきた人の年齢を全て足して、生まれた人の数で割るという事になる訳です。という事は、生まれてすぐ死んでしまったり、子どもの頃死んでしまったりすると、分母が大きく、分子は小さくなってしまう訳で、分母が増えても、乳幼児死亡率が減れば、その分分子も大きくなるので、平均寿命は大きくなるという事になります。当然、高齢者の死亡率が高ければそれはそれで平均寿命を引き下げる原因にはなってしまいますが、それ以上に乳幼児の死亡率は大きく影響する訳ですね。ですから、与謝野晶子が当時としては長生きをしていても、乳幼児の死亡率が高かったために平均寿命は低かった訳です。
 これと同じで、江戸時代も、長生きする人は沢山いた訳ですが、乳幼児の死亡率がそれ以上に高かったために平均寿命は低いままだったというのが判ります。ちなみに、将軍の寿命を調べてみると、かなり長生きだったということが判ります。徳川将軍15代の平均だと約51歳。江戸中期の平均寿命が25歳程度だったという事から見ると、倍程度生きていたという事になりますね。ま、将軍家ですから、別格なんでしょうが、それでも長生きしていた人は結構いたんじゃないでしょうか。と、思ってもう少し調べてみると、やはり江戸時代は乳幼児の死亡率が非常に高く、死亡者の約7割が乳幼児だったようです。で、成人した人の平均死亡年齢は男性61歳、女性が60歳という事で、成人後は結構長生きしているんですよね。江戸時代でさえこういう状態ですから、与謝野晶子の生きていた時代、成人した人たちの平均死亡年齢はおそらく江戸時代のそれよりも大きくなっていたでしょうから、与謝野晶子の65歳というのはそうたいして長寿という事でもなかったのかも知れません。
 つまり、高齢者が多いという事と、平均寿命の高齢化というのは私たちが考えているほど密接なものではなく、後期高齢者医療の正当性の裏付けとしてはこれまた弱いという事が言える訳ですね。
 そもそも後期高齢者医療の背景にあるのは、高齢者の医療費を如何に抑制するのかという事であり、高齢者の健康に主眼をおいたものではない訳ですよ。その部分をちゃんと突きつけて、そこをどうするのかという事を糺して行かなきゃ駄目だって事ですね。
 21世紀の姨捨山、後期高齢者医療制度(またの名を「長寿医療制度」)は戦後最悪の医療制度です。


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China engage
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 曇り時々晴れ。 月齢13 小望月

 原油先物価格が1バレル 117ドルという史上最高値をつけています。現在の円ドルレートが104.25円/1ドルですから、1バレル(約159リットル)12,197.25円、 1リットル当たり77円くらいという事になりますね。ま、これが元値ですから、ここに色々のっかってくるといくらになるのでしょうか。4月末の暫定税率復活を自民党は狙っているようですが、暫定税率が復活した場合、今の価格から30円以上高くなる可能性が出てきましたね。という事は、私の住んでいる地域でいうと、ハイオクで165円〜170円くらいになるのかも知れませんね。もしも170円/リットルなんてなると、満タンにするのに1万円札1枚じゃ足りないって事になりそうです………。いきなりの値上がりっていう事になると、当然ですが、諸物価の高騰に繋がる可能性もある訳で、それでなくとも苦しい庶民の暮らしは益々苦しくなるって事になりそうですね。自民党の権利癒着の構造はどうにかならないモノでしょうか。どうにもならないのなら、自ずと選択する道は自民党から離れるという方向でしかないと思うんですよね。何度もいいますが、そもそも「暫定」でしかない訳で、それを30年も続けてきて、しかもまだこれから10年、暫定を続けるなんていうのはあまりにも論理性に欠け、暫定期間中に為すべき事を成せなかったっていう自身の不甲斐なさを露呈しているだけなんですけどね。その上、福田首相は「来年度以降は一般財源化する」といっている訳で、「道路を造る為に必要な予算」という根拠さえそこにはない事になると思うんですけどどうなんでしょうか。税率ありきの議論なんていうのはそもそもおかしいでしょ。「道路を造る為に必要だから暫定税率を復活させる」だなんていうのは既得権益を守るための詭弁でしかないと思いますね。

 日本での聖火リレーが近づいてきましたが、出発点とされていた長野県の善光寺さんが、聖火リレーの出発点を辞退。「文化財や信者の安全を守らなければならない。チベットで無差別な殺人が行われて仏教者が立ち上がり、それに対する弾圧が行われ、憂慮していた」と、辞退の理由を説明されています。「文化財や信者の安全」というのはどちらかというと後付けなんじゃないかと思うんですよね。おそらく、主因は後段の「チベットで無差別な殺人が行われて仏教者が立ち上がり、それに対する弾圧が行われ、憂慮していた」というところにあったんじゃないでしょうか。また、聖火リレーのスポンサーになっていたコカコーラ、レノボジャパンも、宣伝用車両を走らせないことを決定しています。そりゃ、そうですね。そのままは知らせたら企業イメージが重大なダメージを受けるという「高度に政治的判断」があったのではないでしょうか。
 善光寺さんが辞退という事で、実行委員会は大あわてのようですが、結果的にこれによって走行ルートが変わり、事前の妨害策が阻止できることになるわけで、あながち悪いという事でもないと思いますね。善光寺さんも同じ仏教徒への支援が出来、警備上もそれで有利に働くとすればしてやったりっていう所じゃないでしょうか。大英断ですね。
 これとは別に、今、胡錦濤主席の先鋒として中国から楊外相が来日中で、福田首相は「中国側は解決のために全力を尽くしてほしい」と一層の努力をするように要請。それに対して楊外相は「ダライ側が分裂活動や暴力活動、オリンピックの破壊活動を停止すれば、対話の扉は開かれている」と、従来からの主張を繰り返すに留まっている訳で、このやりとり全てが言ってみれば「お芝居」に過ぎないんですよね。これに先立った高村外相との会談に際しては高村外相からのダライ・ラマ14世との対話を無条件でおこなってはどうかとの発言に対して、「チベット問題は内政問題で外国は干渉すべきではない。ダライ側との対話の扉は開いているが、障害は私たちではなくダライ側にある」と暗に「中国国内の問題であってそれ以上の口出しは無用」と釘を刺される始末。これを受けての首相のコメントっていう事でしょうから、猿芝居も甚だしいというか、中国には逆らわない隷属国の態度というか、それはどうなんでしょうね。もっとはっきりと、「ダライ・ラマ14世との対話を実現しない限りはオリンピックは失敗しますよ。」と言ってやればどうなんでしょうね。ま、一つ褒められる事はあの中国の青い軍団の受け入れを拒否した事でしょうか。あんなのに入ってこられるっていうのは侮辱的な事ですからね。
 「スポーツに政治を持ち込んではいけない」なんていう綺麗事を言っている中国ですが、オリンピックの開催自体が国威発動の道具な訳ですから、これ自体がもう既に政治的意向ですよね。それに「政治を持ち込むな」なんていうのはあまりにも矛盾した、ご都合主義的発言ですね。
 また、各国が中国に対してダライ・ラマとの対話を促していることに対して、中国の若者らが「中国が意図的に攻撃されている」として、これに抗議する運動を始めています。既にもう800万人の署名が寄せられているという事ですけど、現実を客観的に見れていない人たちのやる事ってこういう風になるんですね。「(うそつきの)CNNのようになっては駄目だ」というのが流行っているそうですが、CNN以上の嘘つきはCCTVくらいしか思いつかないんですけど…………。
 「China free」がアメリカを初めとして中国製品で被害を受けた国の潮流になりつつある訳で、日本でも毒入り餃子事件で中国産の食品が約40%輸入減になったとかっていう事ですが、それでも60%はそのまま入ってきている訳で、スーパー等でも実際に売られている事には間違いないんですよね。食品以外でも、中国は今や世界の工場という状態で、無視してしまう事は出来ないんですよね。市場としてもとても大きな市場で、これまた無視する訳にはいかない。だからこそ中国は強気で好き勝手しようとしている訳ですけど、以前のエントリーでも書きましたけど、売り手と買い手は基本的に互角の立場だと思うんですよね。中国が強気で出てこれるっていう事は逆をいえば中国にこちら側も強気で出て行ける筈なんですよね。しかも、中国は市場としてはまだまだ未熟で後進国。先進国としての指導をしつつ中国をグローバル化してしまう事で、民主化を図る事は可能なんじゃないでしょうか。そういう意味では、「China free」ではなく、「China engage」という戦略の方が良いのかも知れませんね。
 日産も、安易にリチャード・ギアを降ろしたりせずに、そのまま使って中国がクレームを付けてきても無視していれば良かったんですよね。中国に進出している企業全てが歩調を合わせて中国に正当な人権を擁護する事を求め、それが為されないのなら全企業が一斉に撤退すると言えば、中国もそれ程強気ではいられないんじゃないでしょうか。対中取引をしている各国・各企業が共同して中国の躾をする必要があるんじゃないでしょうかね。
 China engage 中国を世界の一員として役割を果たせるように指導する事が世界の仕事という事でしょう。

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桜のトンネル
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 雨時々曇り。 月齢12 十三夜

 一昨日からの雨がずっと降り続いていますが、関東では大雨の被害が出ているようですね。関西でも昨日は結構な勢いの雨でした。

 実はそんな大雨の中、昨日は滋賀県の湖北まで花見をしに行ってきました。結局琵琶ほぼ一周して帰ってきたのですが、湖北ではまだ桜が満開でした。雨じゃなかったらとても綺麗だろうなと思うようなところが沢山あって、桜もおおよそ50キロくらい続く桜並木、しかも、桜のトンネルのようになった並木道を堪能してきました。桜吹雪、ホントに吹雪みたいに花びらが舞っていてとても感動的でした。返す返すも残念なのは雨。雨さえ降ってなければとんでもなく良いお花見だったのになぁ。来年こそは良い写真を撮りにまた行きたいと思います。そうそう、帰りに寄った彦根城も桜はもう殆ど散ってしまっていましたけど、きっと綺麗だったんだろうなと思うくらいに桜の木が並んでいました。でもって、またまた美味しそうな地酒をしこたま買ってきてしまった次第です。なんだかんだと2升半くらい買ってきたんじゃないかな?

 報道によると、17日のインドでの聖火リレーは無事に終わったという事ですが、完全に遮断されたルート、しかも当初の1/3の長さ(約3キロ)で、 15,000人にものぼる警察や軍隊に警護されながらのリレーだったそうです。遠巻きには他を古中国人がいたという事ですが、チベット亡命政府のある国だけにインド政府はかなり神経質になっていたんでしょうね。とはいえ、インド全域では数千人のチベット人が抗議活動をし、ニューデリーでは100人ものチベット人が拘束されたそうですが、中国はそんなの構っちゃいないという事なんでしょうね。それどころか、中国はCNNキャスターのキャファティ氏が「中国人は間抜けとならず者たちだ。中国製品はごみだ」との発言に対して厳重抗議を行い謝罪を要求しているそうです。ま、この発言そのものも質の良い発言ではない訳ですが、目くじらを立てて怒りをぶつける中国当局も大人げない感じがしますね。「メディア関係者に他国を侮辱する特権はない」と言っているそうですが、その中国は他国を侮辱するような発言をしていないのでしょうか。他国ではなくとも、他人を貶めるような発言をしていないでしょうか。「人の振り見て我が振り直せ」と言いますからね、お互い気を付けた方が良いのじゃないでしょうか。「間抜け」は確かに言い過ぎだと思いますが、「ならず者」は全ての中国人がそうだとは思っていませんが、日本国内で犯罪を起こす中国人の多さから桃しかしたら日本人の中にはこういう感想を持つ人が少なからずいるのじゃないでしょうか。また、「中国製品はゴミだ」にしても、全てのものがそうだとは言いませんが、毒入り餃子だとか、残留農薬たっぷりの野菜だとか、知的財産なんて完全に無視したコピー商品だとか、確かにゴミ並みのものが多いという気もしますね。

 それに、この約一月間のチベットに関する報道もどう考えてもフェアな報道ではありませんし、チベット側が一方的に無抵抗で何も悪くない漢族に対して暴行を加えているような情報の加工はどう考えてもおかしいんじゃないでしょうかね。中国国内に向けてはそれで済むのかも知れませんが、今はもう昔と違って国外からどんどん情報が流入する時代ですから、当局の思惑通りにはまずならないっていうのに気が付くべきですね。

 それにしても、中国のこの態度は厚顔無恥というか、もう通り超えてアッパレな感じさえします。




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僕「せんとくん」です
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 曇り時々雨。 月齢10 宵月

 奈良県の平城遷都1300年祭のマスコットキャラクターの名前が「せんとくん」に決定しました。このキャラクターについては様々な議論を呼び、平城遷都1300年記念事業協会の対応についても議論を呼んでいますが、それでもこのキャラクターの名前の公募に対して1万5千件近くの応募があり、「せんとくん」という応募がそのうち337件あったんだそうです。決定の結果だけが公表されているので、この「せんとくん」という名前が良いといった337という数字がどれくらいの支持率なのかというのはよく判らないのですが、何だか安直な名前という気もしますね。みなさんはこのキャラクター、どう思いますか? 強烈に反対する人もかなりいるようで、市民団体が独自にキャラクターを公募して決定するという動きも出てきていますし、このキャラクターに反対する寺院も市民団体が公募するのならそちらを採用するという声も出ているようですね。そもそも、キャラクターを公募せず、指名でデザインを依頼した辺りがどうなんだろうかっていう気もします。私自身はどうも可愛いとは思えないし、相応しいとも感じられませんね。ただ、この「せんとくん」をデザインした東京芸大の籔内佐斗司(やぶうちさとし)教授(彫刻家)は人間的にとても立派な人のようで、ご自身のホームページで、せんとくんに対する批判、また、それをデザインした薮内教授自身への個人的な批判に対して丁寧に返事をされています。良い人ですね。
 デザインしたものが気に入るか気に入らないのかなんて言うのはそれぞれの感受性や審美眼、価値観の違いですから、それを元に個人攻撃をするというのは全くのナンセンスな話だと思います。例えば、私自身は日産のデザインセンターのセンスっていうのを全く評価していませんし、新しく発売された「ニッサンGTR」のデザインを良いとは全然思わないんですよね(そもそもスカイラインのデザインも良いとは思いませんけど)。日産の車のインテリアデザインも私にとってはあまり良いデザインだとは思えません。それでも、ニッサンのデザインを気に入っている人っていうのは現実に沢山いる訳ですし、それはその人の価値観やライフスタイルにマッチしているのでしょうからそれで構わないと思うんですよね。車のデザインは少なくとも嫌だと思えば選ばなければいいという選択肢が存在している訳で、そこが肝腎なんですよね。ところが、今回の遷都祭のマスコットキャラクターのデザインは選べないというところが問題だと思うんですよね。選べないからこそ、出来るだけ多くの人が納得の出来る制作の仕方、決定の仕方というのが必要なんじゃないでしょうか。今回のようなもののデザインはコンペ形式なり公募なりという方法をとるべきだったのではないかと私は思いますね。ま、結局のところ、行政と市民との意思の乖離がこういう形で浮き彫りにされたという事ではないでしょうか。
 それにしても、今回のことで私は改めて「デザインの力」というものを色んな意味で再確認したように思います。


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陳謝
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 晴れ。 月齢9 十日夜

 後期高齢者医療制度の保険料徴収が今日から始る訳ですが、始まる前からケチのつきまくっているこの制度、名称に問題があるという事で福田首相が「誤解を生じないように名称を変更する」といってみたり、各地で不手際が起きている事から首相自らが陳謝をするという事態になっています。つい先日も暫定税率の問題で陳謝をしたところの福田氏、もうヤケになっているんでしょうか。それにしても、名称が誤解を生むからとか、周知がされていないからという事について陳謝しておいて、それでも、「とても良い制度ですから」というのは内容を本当に理解しているのでしょうか。巷では「姥捨山よりも酷い世界に例を見ない制度」と言われているのをご存知なんでしょうかね。医療費抑制(制限医療)のみを目的としたこういう制度では高齢者にとっては「あなた達はどうせ医療を受けても良くはならないんだから無駄遣いをするより早く死んでくれ」と言っているようなもの。病気になったのは本人の責任のみではないと思いますけど、どうなんでしょうか。よしんば、本人の責任で病気になったとしても、生きる権利は無いとでも言いたいのでしょうか。
 このところの医療・福祉施策は一見合理的に出来ているように見えて、実は非常に不条理なシステムであるっていう事が多いように思います。それは思索をデザインした人間と、私の立ち位置の差という事でもあるのでしょうが、これはそのまま為政者側と国民との立ち位置の差なんですよね。介護保険制度にせよ、支援費制度に始まった自立支援法にせよ、今回の後期高齢者医療制度(「長寿医療制度」に慌てて改名しましたけど)行政の懐第一で考えている制度設計で、それこそ「受益者」の利益を保障するようにはなっていないんですよね。ま、そもそもがこれを利用する事が「受益である」という考え方自体が非常にいかがわしいというか、胡散臭いというか、破廉恥というか、とにかくどうも感覚のズレがそこにあるんですよね。こういったサービス(この言い方も嫌なんですけど)を受ける事は、憲法で保障されている生存権に関わる権利であり、それを受ける事をして「受益」というのはとんでもないレトリックではないのでしょうか。どうせなら、「高齢になると医療費がかさんでしまうので、若い人は出来るだけ医療機関にかからなくてもいいようにして下さい」という事を実現するために若年者にこそ医療費の抑制をするべきなんじゃないかと思うんですよね。後期高齢者医療制度の開始により、そう遠くない時期に日本の平均寿命の低下が見られるでしょうね。それはつまり国の「もう長生きなんてしなくて良いから早く金残して死んでくれ」政策が成功した事を意味しているとご理解下さい。
 どちらにせよ、福田首相が陳謝したのはそんな内容の事なんかじゃなく、あくまでも周知が徹底出来なかった点と、混乱を招いてしまったという事に対する謝罪でしかないんですよね。謝罪そのものが本末転倒しているので、その印象がどうこうという事よりも、まるで意味のない謝罪といった感じでしたね。それに、福田さんの話し方って全然謝っている感じがしないのはどうしてなんでしょうね。
 この流れ、とても不気味な流れですが、今後確実に他の弱者にも広がっていく事なんじゃないでしょうか。医療だけを見ても、おそらく今後また自己負担率の見直しなんていう話も出てきかねませんし、障害福祉の分野でも、自己負担はどんどん大きくなっていくのではないでしょうか。そうなると、またもや手話通訳費用の自己負担という話が出てくるのは間違いない事なんでしょうね。では、その時に私たちはどうやってそれを阻止する事が出来るのでしょうか。また、自己負担がどうしても避けられない事になったとして、その時に私たちはどんな問題に突き当たる事になるのでしょうか。もう一度、情報保障の福祉権的な権利と言語権的な権利について考え、どうして無料であるべきなのか、また、何処までを無料とするのかなどを確認しておくべきなんじゃないでしょうか。
 それにしてもどうしてこの国は高齢者や障害者といった弱者をいたわるという事を忘れてしまったのでしょうか。


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大切なモノ
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 通訳協会が今年度の登録募集の際に、従来はFaxによる応募も可能だったものがそれを取り止め、「手渡し若しくは郵送による」と応募方法を限定しています。どうも、この辺りが理事等にも徹底が不十分だったようで、中には「Faxでも受け付ける」と言った人がいたようです。で、新規の登録をFaxでされた新しい人がおられたようですが、「応募は手渡し若しくは郵送でする事になっているので受け付けられません」と断られたそうです。
 そもそも「手渡し若しくは郵送で」というところで私も気にはなっていたんですよね。で、ちょっと聞いたところではこの方法になった理由が、「経費を削減する為」だというのですよね。開いた口が塞がらないような、呆れてものが言えなくなるような衝撃でした。何だかよく理解出来なかったのですが、つまりはFaxでも受け付けるとすると、fax用紙代や受け付けた旨を返信する通信費などがかかるからという事らしいのですが、一体何を考えているのでしょうね。自分達が経費を浮かせる為に、せっかく応募してくれる人に余計な費用(Faxならほぼ10円程度で済むところを80円かけさせる訳ですから)負担を強いるって言うのはどうなっているのでしょうか。例年、だいたい40数名の登録者がいる訳ですから、Faxで受け付けたところで、かかる費用は1,000円以下で済むんですよね。これをケチって、40数名に80円ずつの負担をかけるというのは意味が理解出来ません。どうしてそんなわざわざ敷居を高くする必要があるのか、そこにどんな論理性があるのか、どうしても理解出来ませんね。そんな事で敷居を高くするくらいなら、もっときちんと試験をして通訳者の質や知識の部分でレベルの高い通訳者を求める方が先なんじゃないでしょうかね。
 それにしてもどうしてこうも登録者や利用者への負担ばかり多くするような事を次々とするのでしょうか。こんな事を続けていたら登録者も利用者もどんどん減ってしまう一方何じゃないかってどうして気が付かないのでしょうか。反面、昨年度の総会の際に理事の手当を引き上げる事が決められています。また、いわゆる「制度外派遣」の際の派遣費用についても、企業から貰った金額をそのまま通訳者に渡すというどう考えても経営感覚の無いというか、事業の継続的維持のためにコストがかかるという事に対しての意識がなさ過ぎるというか、そういう事を平気で、これも総会にかけないままに決定してしまうという暴挙としか言えないような事を平気でしています。この人達は一体この通訳協会という組織の存在意義をどう理解しているのでしょうか。そして、何処へ導こうとしているのでしょうか。これらに関する質問も、「長期ビジョンをどう捉えどうしていこうとしているのか」という形で質問しているのですが、これにも長らく全くなしのつぶてです。ま、そんな事針の先ほども考えていないのでしょうから、答えようがないのでしょうけれど。
 大切な事を理解していないままとても重要な事業を抱えて手に余らせてしまっているというのが今の通訳協会の現状だと私は理解しています。ところが、そうである事をこの人達は一切理解していないので、何ら変わる事もなく、又、変える事も出来ないという末期的状況なんでしょうね。「潰れてしまえば良いのに」なんて事を私は全く思っていませんが、潰れない限りこの人達は判らない、いや、もしかしたら潰れてしまってさえも何も判らないままなんじゃないかと思います。かわいそうな人たちですね。でもね、もっとかわいそうなのは、その人達の運営につき合わされざるを得ない立場にいる登録者や利用者なんですよね。そのところをはき違えて「可哀想なくらい努力してるんだから」なんて言って欲しくはないものですね。

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首都精神文明建設委員会
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 曇り。 月齢8 九夜月


 北京五輪を成功させるための組織の1つとして中国には、「首都精神文明建設委員会」なる組織が存在しているそうです。名称を見ただけで私は笑ってしまったんですけど、この組織、つまりは中国人のマナーを向上させて、海外からのお客が来ても恥ずかしくないようにするための組織なんだそうです。で、具体的にはどんな事をしているのかって言うと、「一列に並びましょう」とか「道に痰を吐かないようにしましょう」とか「ゴミをポイ捨てしないようにしましょう」とか、「悪口を言うのを止めましょう」といった事を市民に教えるんだそうです。なんだろ、幼稚園とか小学校の低学年向けのマナー教室みたいなものって事でしょうか。実はこの首都精神文明建設委員会って、鄧小平の頃、1986年に既に始まった活動で、「経済は開放しても思想面は共産主義を堅持し、モラルの低下を防ぐ」というのが狙いだったんだそうです。ま、今も大きく変わってはいないと見て良いんじゃないでしょうか。

 それにしてもこの大袈裟な名前、どうなんでしょうね。いや、あながち大袈裟でもないのかも。「精神文明建設」って、つまりは現状の精神状態が文明的ではないからそれを築いていきましょうという事ですね。早く文明的になればいいですね。





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逆ギレ中国
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 曇りのち雨。 月齢6

 夕方になってポツポツと雨が降り出してきています。春の雨って結構冷たいんですよね。これから数日雨が続くようですが、これで桜も散ってしまうんでしょうね。


 パリでの聖火リレーの妨害に対して中国でフランス製品の不買運動を呼びかけるインターネットの書き込みが増えているそうです。当局はこれを削除するのに躍起になっていて、何とか沈静化を図りたいという事ですが、良いんじゃないですか。不買運動、どうぞして下さい。いっそのこと、聖火リレーの妨害があった国全ての製品のボイコットをしてみたらどうでしょうか。その間違った認識が元の行動はきっと世界的に非難され、むしろ中国意外の国ではフランス製品を買い支えしようっていう動きが出てくるかも知れませんね。これ、おそらく以前のエントリーでも書いたように、中国に過剰に配慮している企業や中国企業の製品を、国際的にはむしろボイコットするという動きも出てくるんじゃないでしょうか。この中国の大きな勘違い、早いめに目を覚まさせるための手を打つべきでしょうね。いっそのこと、中国市場から全企業が撤退するっていうのはどうでしょうか。良いんじゃないですか?中国がそうやって自身のワガママを通そうと思うのなら、そうやって他国の商品の不買をどんどん推し進めて鎖国してしまえばどうでしょうか。「買ってやってるんだから言うとおりにしろ」なんていうのはちょっとおかしい話ですよ。こういうモンスターコンシューマーって、日本でも結構いますけど、そういうのは権利の過剰要求で、そんなのは人間としての道徳観から遠くかけ離れた所にあるっていう事に気が付かなきゃダメですね。
 確か、毒入りギョウザ事件の際に、日本人が中国産の食品を買い控えしましたけど、この時中国は「いわれのない中国バッシングだ」と息