川辺のタヌキ
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IWCの存在意義
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 晴れ時々曇り。 月齢26.3 有明月 アインシュタイン記念日

 未明に結構な勢いで雨が降っていたので、今日も雨カナなんて思っていましたが、朝になって久々の青空が広がっているのにビックリ。少し雲がちとはいえ澄んだ青空はとても綺麗でした。

 フランスの編曲・作曲家で「シバの女王」の作曲家レイモン・ルフェーブル氏が亡くなられました。享年78歳。昨年のポール・モーリア氏と並んでイージーリスニング界の巨星と言われた人がまたこの世を去りました。「シバの女王」は大ヒットした曲でイージーリスニングオーケストラの殆どがこの曲を演奏していた時代がありました。私はポールモーリアオーケストラの演奏をよく聞きましたが、時代の移り変わりと共に何度か編曲されて演奏されていたのを覚えています。謹んでご冥福をお祈りしたいと思います。
 ビル・ゲイツ氏の引退といい、時代の変化がどんどんと進んでいるというのを実感しますね。MSからビル・ゲイツが去っていくなんていうのはちょっと想像出来なかった事ですが、今後は慈善事業を中心に活動するという事です。 Microsoftのビルと並んでパソコン界のカリスマというと、アップルのスティーブ・ジョブスですが、彼こそアップルからいなくなってしまうとアップルはボロボロになってしまうんじゃないでしょうかね。当分彼がアップルからまた去ってしまうという事はないでしょうけれど。

 去年も確かここでIWCについては散々批判し、日本のIWC脱退を肯定する発言をした訳ですが、日本は今年度の年次総会では昨年までの強行姿勢を止め、やや柔和な姿勢で歩み寄っています。これに対してアメリカなども少し柔和な姿勢を取っているようでIWCでは議論の正常化の為に加盟国の内24カ国からなる作業部会を設置して今後の方針を検討するという事になった訳ですが、具体的な進展は結局何もなく、作業部会も来年の年次総会の前に結論を出すという事で今年度の年次総会は閉会という事になったようです。反捕鯨国はIWCを鯨の保護機関にする事を目論んでいるようですが、そもそもIWCの設立経緯を見ると、捕鯨を前提としての保護をどうするのかという事を協議する場で日本等の捕鯨国は場合によってはIWCとは別の捕鯨管理団体を作るべきではないかという声も出ていますし、日本もIWCがこのままの姿勢を続けるのなら脱退して新組織を作ると言う方向に向かいそうです。そもそも内陸の海もないような国がどうして捕鯨や鯨食についての協議に参加出来るのでしょうか。昆虫を食べる習慣の少ない日本から見れば昆虫を主たるタンパク源としている国や民族の食文化を理解するのは難しいのと同じで鯨食の文化のない国にその文化的意味性や重要性なんていうのは全く理解出来なくて当たり前なんじゃないでしょうかね。なんて言い出すと収拾がつかなくなってしまう訳ですが、鯨が増えた(種類によっては実際に増えている)事により、海中の生態系のバランスが崩れ、鰯やオキアミ、そしてそれらを餌とする魚が減少傾向にあります。それでなくても食糧危機が叫ばれ、海の資源の有効活用(と保護)が注目されている時です。「可哀想」だとか「残酷」だとかという感情論ではなく、もっと科学的に「資源としての鯨の活用」について協議するべきだというように思います。可哀想とかっていう話の出てこなかったマグロも日本だけが食べていた時期は何ともなかったものが、中国やヨーロッパが大量消費を始めたために資源の枯渇が問題になり、漁業制限が課せられてしまいました。お陰で日本人はマグロを食べられないというなんとも納得のいかない状況が起きています。これも中国やヨーロッパの無軌道さの犠牲に日本がなってしまったような状態ですよね。
 IWCの加盟国の変化により、IWCの存在意義自体が変質しつつあります。それは当初の目的とはかなりかけ離れたところを目指すモノになりそうですが、日本をはじめとした捕鯨国は当初の目的の達成を必要としています。それならいっそのこと捕鯨国全体がIWCから脱退してIWCそのものを無用の長物にしてしまうというのも方法かも知れません。
 もう一つ。「ヒト」は食物連鎖の頂点に存在しているという事とその義務を忘れてはいけないのではないでしょうか。

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北朝鮮の戦略
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 曇り時々雨。 月齢25.3 二十六夜

 京都産業大学は例の落書き学生に対して停学2週間と現地での落書き消し作業への参加を発表しています。私は退学でも仕方がないという気がしていますが、自分で落書きを消すというのは当たり前とは言え、よい事ですね。もう一つの岐阜市立女子短期大学の学生も消しに行くべきでしょうし、それ以外にも現地でボランティアに従事するくらいはするべきなんじゃないでしょうかね。
 両大学の落書きが話題になっていますが、どうやらこの大聖堂には沢山の英語やフランス語、イタリア語、そして日本語による落書きがされているんだそうです。そのうち日本語による落書きはおおよそ10%くらいのものなんだそうですが、ハートマークとともに、 「本当の愛をさがしにいくよ」といった落書きもあるとか。本当の愛が欲しいのなら、まずは公共の場に落書きをしないといった程度の常識はわきまえておかなきゃいけないんじゃないかと思うのですけどね。それ以外にも大学名が書かれたものもあるという事。書いた本人は単なる落書きでも、書かれた大学は恥でしかないですね。

 冷却塔の解体ショーが世界規模で配信された訳ですが、どうやらその経費は全てアメリカ持ちなんだとか。その上、北朝鮮ではアメリカのテロ支援国指定の解除についてはこの解体ショーの放送後にアナウンスされたという事で、北朝鮮国内では冷却塔の破壊を受けてテロ支援国指定が解除されたかのような報道がされているようです。その上、「敵国視は止めるべきだ」とのコメントも流されたようですから、自国の恭順姿勢(しかもその費用はアメリカ持ちで)を前面に出しつつアメリカを牽制するというとても上手い戦略が繰り広げられているようです。しかしね、確かに重要施設ではあってもたかが冷却塔。しかも使われていない施設を破壊したからといってそれが即核放棄に繋がるかというと私はとても疑問です。核施設の中心部分は未だ残っている訳ですし、核兵器そのものも廃棄はされていない訳ですから、「朝鮮半島の非核化」はまだまだ濃い霧の先の話しだと私は思っているのですけどね。
 山崎拓氏などは北朝鮮のこの動きを評価しているようですが、明らかにこの人、もうボケてしまっていますよね。「核とミサイル、拉致問題の解決を同時にゴールインさせる作業が最終段階に入りつつある重要な時期だ」だなんていう分析をしているようですが、核問題の何処が最終段階なんでしょうか。ようやく端についたという段階だと私は思っているのですけども。拉致問題にせよようやくまだ解決しきっていないという事を認めた段階になっただけで、これから本格的な交渉や調査をしていくというレベルの話しではないでしょうか。これらをして「最終段階」というその政治感覚がそもそもダメダメなんじゃないのですかね。
 対する安倍前総理はというと「テロ国家と位置付ける理由に拉致問題も含んでいたという認識だ。拉致問題が前進しない中での指定解除は本当に残念だ」とアメリカがテロ支援国指定を解除した事に対して批評するばかり。確かに残念な事ですけど、アメリカという主権国家の判断ですから、それが間違っていようが正しかろうがアメリカの判断に口出しする訳にも行かないと思うんですよね。それに、アメリカがテロ支援国指定解除に踏み切った背景にはその前に日本自らが対北朝鮮策を軟化させたという事がある訳で、これがそもそもダメだったんじゃないのでしょうかね。アメリカがどうしようが、日本は拉致というテロ行為を絶対に許さないという施政を貫けない今の日本の政治に大きな問題があるのじゃないかと思うのですがいかがでしょうか。山崎氏は「日本が足並みを乱すのは許されない。朝鮮半島から核がなくなることで一番利益を受けるのは日本だ」とも言っているようですが、核兵器なんていうのは使ったが最後、使った国自体の破滅を意味している平気ですから、持っていても使わない(使えない)というところに大きな意味のあるちょっと変わった兵器なんですよね(だからといって絶対に使わないという保障にはなりませんが)。そういう意味では使えない兵器をとやかく言うよりも、拉致された人たちの問題を解決する事の方が先決ではないかと思うんですけどどうなんでしょうか。ここはアメリカが懐柔策に転じようが、日本は断固としてたり問題の根本的解決を訴え続けるべきなのではないでしょうか。結果として損をするのは実は北朝鮮側だという事を実のところ北朝鮮はよく判っていると思うんですよね。ところが、外交手腕としては狡猾で日本よりも数枚上手の北朝鮮は手札の切り方を上手くやり繰りして北朝鮮側に有利なように見せかけているだけの事じゃないでしょうか。エネルギー問題にしても結局日本に金を出せと言って来ているのは北朝鮮ですし、マンギョンボン号をはじめとした船舶の入港禁止措置の緩和とエネルギー支援や食糧支援をカードにして日本が北朝鮮に要求できることは色々あると思いますけどね。
 現実のところでは、日朝間の打ち合わせが進まず、拉致問題の再調査についても全く具体的な事が決まらないままになっています。これについて「(拉致問題は)日本人にとって極めて重要な人道、人権の問題。国際社会が共有していくべきものだ」と町村官房長官はコメントしているという事ですけど、台北経済政策をゆるめる決定に関わった人がこういう事言ってもどうも信憑性に欠ける気がしますね。
 果たして、北朝鮮と対等以上に渡り合って、拉致事件の根本的解決にこぎ着ける事が出来るのでしょうか。

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驕れる派遣久しからず
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 曇り時々雨。 月齢24.3 有明月

 日雇い派遣最大手のグッドウィルが二重派遣などの違法派遣により派遣業認可を取消される事になり、廃業する事が決まりました。廃業に至った経緯については自業自得でしかない訳で、そもそも「人材」を財産として考えず、いくらでも交換の効く労働部品として扱ってきた派遣企業側の根源的要因に起因する歪みがここに至って露見したという事でしかないともっています。このグッドウィルグループの折口氏、少し遡ればコムスンで介護保健の利用者を食い物にし、介護従事者をまるで奴隷かボロ雑巾を扱うかのようにこき使ったあの人な訳ですが、こういった扱いも元を糺せば派遣業界のやり口をそのまま持ち込んでいたと考えればとても分かり易いのではないでしょうか。
 派遣業界の人達は「人材」という表面的にはとても聞こえの良い言い方をしながらその実、人を材料程度にしか見ていない訳で、この折口氏にせよ奥谷女史にせよこういう発想だからこそああいった言動になるというのはとても分かり易い話ではありますね。ただ、小泉氏による規制緩和の中で奥谷氏のような人材派遣業界の発言権が強くなり、派遣規制の緩和が為された事で安易なコスト削減策が図られ、日本企業の多くは「国際競争力」という名目の中で自己の財産を殖やしてきました。その結果、国内の労働力は疲弊し、低賃金での不安定で過酷な労働を余儀なくされ、ワーキングプアを大量生産してしまう結果になりました。日雇い派遣はその最たるもので、労働力を支えているものが人であるという事を完全に忘れ、自分達の私腹を肥やす為に禁止されている二重派遣等を繰り返した訳ですから、身から出た錆以外に何があるのでしょうか。
 厚労省はこの一件を重く見て今後は日雇い派遣について規制を強化していくとしています。規制の強化には異論はありませんが、慎重に対応しなければいけないのはその規制強化によって職を失ってしまう可能性のある人達が沢山いるという事です。これについては十分なセーフティネットを用意しなければ大変な事になりかねないのではないかと見ています。「居酒屋タクシー」だなんてふざけた事していい気になっている厚労省の役人にとっては机の上で文章を書き換えるだけの事でしょうし、それによってどんな事が起きようが自身には何ら影響のない事だと思っているのかも知れませんが、ギリギリの暮らしをしている人達の多い日雇い労働者の中には場合によっては命に関わる事になりかねないという事を肝に銘じていて欲しいモノです。
 また、日雇い派遣のみならず、派遣そのものについても旧来の規制に戻すか、若しくは規制全体を強化して労働者の権利を守るようにして欲しいモノです。


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刑法39条
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 曇り。

 秋葉原でまたも刃物による傷害事件が起きてしまったようです。これは職務質問をした警察官に対してナイフを出して切りつけたもののようで大量殺人事件とは性質が全く違ったもののようです。
 実は秋葉原の殺人事件の犯人について「2ちゃんねる」や一部のブログではアスペルガー症候群だったのではないかなどと書かれているようですが、私が見る範囲では明らかにアスペルガー症候群ではないと思っています。この件も含めて、刑法39条について考えていた矢先、6月25日の産経新聞朝刊に被害者の家族の方が書かれた刑法39条の見直しについての記事が目に飛び込んできました。
 まずは、刑法39条についてもう一度復習したいと思うのですが、法文では、

第39条 心神喪失者の行為は、罰しない。
2 心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。

と書かれています。
 判例によると心神喪失とは「精神の障害によって事物の理非善悪を弁識する能力または弁識に従って行動する能力が欠如している場合」を指し、心神耗弱とは「精神の障害によって事物の理非善悪を弁識する能力または弁識に従って行動する能力が著しく減少している場合」を示すそうです。これに従って現在は精神鑑定で心神喪失や心神耗弱が認められた場合、刑法39条が適応され、責任能力が無いと判断され、刑の減免が為されます。
 産経新聞の記事は平成16年に茨木市で起きた車によって二人を殺すといった内容の事件の裁判で犯人が犯行当時心神喪失状態で責任能力がなかったとして無罪(求刑は無期懲役)の判決が1審・2審共に出ています。捜査段階と1審公判段階で精神鑑定を受け、統合失調症に罹患し幻聴による「悪魔の声」を聞き犯行に及んだという鑑定結果が出ているという事ですが、捜査段階の鑑定では「心神耗弱」後半時の鑑定では「心神喪失」と違った結果が出ています。
 遺族と被害者のコメントとして、「例え心神喪失者であっても人の命を奪ったり重大な被害をもたらしたのであれば罪の程度を明らかにして罪を償うか社会から完全に隔離してしまわない限り再発防止にはならないのではないか」「加害者の人権ばかりが尊重され被害者の人権が顧みられない事には憤りを感じる」「刑法 39条の解釈や改廃について国民的議論がなされるべきではないか」との意見を発表しています。
 私が以前から疑問に思っていたのは、果たして精神鑑定で本当に「心神喪失や心神耗弱状態で犯行に及んだ事が証明出来るのか」という点なんですよね。確かに、精神鑑定の時点での精神状態はある程度(あくまでもある程度ですが)確認する事が出来るかも知れませんが、果たして犯行に及んだ時点の心神状態について遡って証明する事がホントに可能なのでしょうか。以前から心神喪失や心神耗弱が認められている人なら犯行時点の心神の状態についてかなり正確に推測する事が出来るかも知れません。が、犯行前の心神の状態が確認されていない人の犯行時点の心神の状態に何処まで迫る事が出来るのかというと、私はかなり疑問を感じるんですよね。
 これは飲酒運転で事故を起こし現場から逃げた犯人を捕まえて呼気に含まれるアルコール量や血中アルコール量を調べたからといって事故を起こした時点のアルコール摂取に関しては断定的な事が言えないという事と同じではないかと思う訳です。
 つまり、正常な神経の持ち主であれば、例えば秋葉原の事件のような大量殺人を起こした後にその事実を客観的に受け入れた場合、その事実が理解出来た事によって心神喪失や心神耗弱といった状況に陥ったところで全く自然な事ではないかと思うんですよね。そういう意味で、現行の精神鑑定の証明能力というモノに対しては疑問を感じています。また、そもそも精神鑑定そのものの正確性というモノに大きな疑問があるのではないでしょうか。
 もうひとつ、踏み込んで考えると、心神喪失や心神耗弱を理由として責任能力が無いという理由で刑を減免する事が果たして人権の尊重となっているのかという点です。かつて刑法には「40条」というのがありました。これは1995年改正時に削除されていますが、この項目は「いん唖者ノ行為ハ之ヲ罰セス又ハ其刑ヲ減軽ス」と書かれていてかつて(と言っても13年前までですが)聴覚障害者はその障害ゆえ減刑されていました。が、当事者団体の要望などからこの項目は削除されています。これはかつて聴覚障害者教育が不十分で、情報保障が十分に為されていないまま放っておかれていた時代に出来た法律で、当時は教育の不十分さと情報保障の不足ゆえ聴覚障害者は正しい判断が出来ないと言う事で刑を減軽されていたという事ですが、当事者や支援者の運動の中で教育と情報保障がある程度整ってきた中で削除されたものです(十分な整備ではありませんが)。
 また、昨今では障害者の人権を様々な点で認め、それを反映し得る社会を作るという方向に動きつつあります。高齢者福祉における介護保健も、本来は当事者の人権を尊重し、「自己判断・自己決定に従ったサービスの提供」が謳われ、それに伴って自己負担を請求するという形で始まっています。また、これを広汎に採り入れて作られた障害者自立支援法においても同様の考え方から自己負担を課しています。これを「権利と義務」という考え方で見ると、「自己の要求を受け入れてもらう権利」を果たす為の「自己負担の義務」という関係と捉える事も出来ます(福祉施策における自己負担の正当性については異論がありますが)。心神喪失や心神耗弱を理由として責任能力が無いと認めるのは、いわゆる「禁治産者認定」と同じで彼らの正当な権利を剥奪するという事なのではないでしょうか。一方で彼らの人権を守り、社会生活を大きく拡げようとするのであれば、当然それに伴う義務としての部分も背負うべきなのではないかと思う訳です。つまり、社会環境の整備という問題は残りますが、私は彼らの人権を尊重するのであれば心神喪失や心神耗弱を理由とする刑の減免をするべきではないと考えています。とは言え、先に言ったように社会環境が整っていない現状ではこのまま刑法39条を改廃する事には危険が伴う訳で、まずは環境整備を進めなければいけないと思いますけれど。

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常識力の欠落
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 曇り。月齢22.3 二十三夜 下弦

 イタリア・フィレンツェ市の「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」の大理石の壁に岐阜市立女子短期大学の学生6人がマジックで落書きをしたという事で、大騒ぎになっています。この大聖堂、世界遺産に指定された地区に建っていて、1296年から140年もの歳月をかけて建設されたルネッサンス建築の代表作で、パッツィ家によるメディチ家暗殺の舞台にもなり、ダンテが子どもを助けるために水盤を斧で割った舞台にもなった由緒正しい場所です。また、京都産業大学の学生3人も同大聖堂に岐阜市立女子短期大学同様に落書きをしていた事が発覚しています。京産大の落書きをした19歳と20歳の学生は「みんながやっているからと安易な気持ちでやったことを恥ずかしく思う」と言っているそうです。が、みんながやっているからしていいと思う安易さはあまりにも短絡的で一般常識に欠ける行為ではないでしょうか。日本なら、東大寺や二条城、清水寺などに落書きをするのと同じようなもので、大学生にもなってこれがして良い行為化してはいけない行為かの正しい判断が出来ないっていうのが私にはもう理解の外です。
 短大には事件露呈後25日までに 500件を超える電話やメールが殺到しているんだそうです。その殆どが抗議の内容ですが、中には「心ない批判から学生を守ってあげて」というものもあったとか。岐阜市立女子短期大学は登校した全学生を集めて事情を説明したほか、いたずら書きした6人の精神的なケアをするため全員に担当職員を付けたそうですが、申し訳ありませんが、そんな必要ないんじゃないでしょうか。いやいや、それどころかこういう学生は大学生としての知性や教養を備えていない訳ですから、即刻退学にするべきじゃないのでしょうかね。大学側はこの件について当該6名に厳重注意をしてますが、そもそもこの6名の謝罪がないというのはどうしてなのでしょうか。「自分がした事の責任を取る」のが大人の社会ですから、この行為がどれほどのものかを考え、大学生として責任を取るのならまずは謝罪をしてその上で適切な処分を受けるべきだと思いますね。「心ない批判から学生を守ってあげて」なんて言っているから他者に迷惑をかけるような行為を平気でする人間が増えるんじゃないでしょうか。心ない行為をしたからこそ受ける批判であればそれは甘んじて受けるべきなのではないでしょうかね。この人自身はこの由緒ある歴史的建造物に落書きを刷るという行為を「心無い行為」とは思わないのでしょうか。京産大はこの学生3人の処分を検討中と言う事ですし、3名も反省をしていると言う事ですが、厳粛な処分をするべきだと思います。
 それにしても、して良い事としてはいけない事の基本的な判断が正しくできない状態で大学に入れてしまうって言うのは学力と常識力が完全に別のものだという事を示していますし、現在の初等・中等教育の中でこういった常識力を養うことをしてきていないことを意味しています。眞、こういう常識力っていうのは学校だけの問題ではなく、課程で如何に常識を教えてこなかったかって言う事も出てきている訳で、これは悲劇なのかも知れません。家庭教育の中で子どもに常識を教えられないというのは教える立場にある大人、つまり親世代自体が常識に欠けるという事かも知れませんね。ま、確かに、この世代の親っていうのは「モンスターペアレンツ」のはしりくらいの世代ですから、常識力が弱いといえば確かにそうかも知れません。
 実は私自身もこの親世代の一角にいる訳なんですが、地域性もあるのでしょうが、私が子どもの頃はまだ街にうるさい雷親父がいて、子どもが悪さをしていると叱られたものです。また、小学校の低学年までは長屋暮らしをしていましたから、長屋全体が家族のような関係で、子供達は長屋全体が育てるような仕組みがありました。私のうちは共働きで母親が帰ってくるのがだいたい6時過ぎでしたから、それまでの間長屋全体が面倒見てくれていたようなものでした。そういう沢山の大人に囲まれた生活をしていると、当然ですが大人達の躾を受けて育っていく事になります。子どもと大人、様々な年齢層の人間が一つの空間で一緒に生活をするというのは社会教育にとても良い環境なのではないでしょうか。でも、こういう環境、今はなくなってしまいましたね。
 そういう意味でも、地域コミュニティの再生はとても大切な事なお出はないかと改めて思いました。


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幼稚で短絡的
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 曇りのち晴れ。 月齢20.3 宵月

 何だか久しぶりに青空がのぞくお天気でした。未明に目が覚めて見上げた空には下弦の月が群雲の中に輝いていて少し幻想的な風景でした。夜中に目が覚めるのも時には良いモノですね。

 秋葉原の大量殺人事件から10日が過ぎた訳ですが、まだまだこの事件に刺激された模倣犯は各地で出てきています。大阪駅での刃物による傷害事件は秋葉原の事件を思い起こさせるようなモノでしたが幸いにも軽症で済んでいましたし、犯人とおぼしき女性も捕まったようです。と思ったら、「ディズニーランドで客刺し殺してくる」などといった書き込みや某秋葉系人気アイドルのHPに「秋葉原 消したい。尊敬する人 加藤智大容疑者。名古屋劇場に衝撃。6月8日の歩行者天国のように。射殺、または串刺し」と書き込んだりした少年など秋葉原の事件以来23日までに17件の同様の殺人予告書き込みがあり、12件の犯人を逮捕、残る5名も補導などしているそうです。国家公安委員長は今後も同様の事件に関して厳しく処罰するという事ですが、それにしてもあまりに幼稚で短絡的なこの種の書き込み、いい加減に止めたらどうなんでしょうね。と、こんなへんぴなところで私が叫んだところでどうにもならないのでしょうけれど。でもね、あまりにも頭悪すぎるというか、幼稚すぎるというか、子どもでもこんな事しないと思いますね。既にあの事件の直前からこれらと同様の事件が数件起きていて、それらの全てが犯人が特定され、逮捕されたり書類送検されたりしているという事実を彼らは知らないのでしょうか。それとも全てを無視したのでしょうか。こういう学習能力の乏しい行動は本人の無知さ加減を露呈するだけだと思うのですけどね。
 どうもこういう幼稚な行動が最近は増えているのではないかと思います。上記の例以外にも例えば、食品の偽装事件などの言い訳を見てもすぐにバレるような嘘を平気で言ったり、他人に責任転嫁して逃げようとするような言動をいとも簡単にやってのけたりっていうのがそれにあたるように思います。こういう事をすれば逃げたり罪が軽くなったりするなんて事は殆ど無いんですよね。殆どの場合、そのあと事実が露呈して罪がもっと重くなったり、会社をたたまざるを得なくなったりするんですよね。ミートホープしかり、吉兆しかりで、こういう例は沢山あるのにどうしてこういう会社(というか経営者)は後を絶たないのでしょうね。事件発覚後の対応はその後のその会社を左右するとても大切な時期で、ともすれば先のような破滅の道へと転がり落ちていく発端になる訳ですし、また、この窮地を上手く脱する事でその後のブランドイメージを高める事に成功している例もあります。この境目は経営者が正直であるかどうかという事ではないでしょうか。
 いわゆる「コンプライアンス」や「モラルハザード(倫理観の欠如)」の問題は企業のみならず個人にまで波及していて、社会全体を蝕んでいる大きな社会病理となっているのではないでしょうか。「子どもの悪戯」では済まないレベルの行為や「自分さえ良ければ」といった自分勝手な行動などで実は大きな損失を産んでいるのではないでしょうか。これらによる社会損失はどれくらいの金額になるのでしょうか。公務員のモラルハザードで言えば例えば「居酒屋タクシー」なんていうのは現実問題としてキックバックを要求している訳で、本来のタクシーの売り上げを巻き上げているという事ですよね。国土交通省や財務省、果ては法務省までこういう違法行為を平然としていたっていうのは完全に「自分さえ良ければ」という倫理観の欠如でしかないと思いますね。これ、つまりは税金をポッケナイナイしていたのと同じですし、タクシーの売り上げとなるものをピンハネしていたのと同じ行為ですよね。こういう事をしている官僚は厳罰を課すべきですね。彼らの特権階級意識をなんとかしない限りこの国は良くならないのかも知れませんね。


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センス
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 雨のち曇り。 月齢17.3 居待月

 先日宮崎勤死刑囚の刑を執行決定、執行した鳩山法務相に対して朝日新聞はその社説「素粒子」の中で「2カ月間隔でゴーサイン出して新記録達成。またの名、死に神」と書いた事に対して鳩山法相は怒りを露わにして抗議。「私に対する侮辱は一向に構わないが、執行された人への侮辱でもあると思う。軽率な文章が世の中を悪くしていると思う」とコメントしています。
 これについては私も朝日新聞のセンスのない表現に呆れてしまいました。週刊誌ならまだしも、ゴシップ紙ならまだしも、仮にも大新聞たる朝日新聞がこんな表現力しかないのかと思うと、大学受験のために朝日新聞を読むなんていう話、止めた方が良いんじゃないかと思いますね。少なくとも私はお勧め出来ませんね。この表現では鳩山法相を死に神と表現していますが、死刑を決めたのは司法の世界で、これを決定した裁判所や裁判官も死に神という事になりますね。また、刑が決まっているモノを法相の判断で執行せずに止めてしまうっていうの裁判所の決定を蔑ろにし、法律を疎んじる行為をするという事ではないでしょうかね。そういう事を法相がしてしまうと秩序を守るなんて事は出来ないと思いますね。ま、この辺りが左旋回の新聞社の立ち位置なのかも知れませんが、全く見当外れとしかいいようがないと私は思います。
 そういう意味ではグリーンピース鯨肉窃盗事件も全く同じだと感じます。この件についてグリーンピースジャパンの事務局長は「政府や大企業の犯罪行為を防ぐ緊急性がある場合、結果として法を犯すこともあるのは世界のNGO活動のスタンダード」とし、「不要で不当な逮捕。即時釈放を求めたい」と言っていますが、はっきり言ってこんな屁理屈が通るのなら警察は要らないんじゃないでしょうか。この逮捕は必要で正当なもの。自分の都合の言い屁理屈をこね回して違法行為をして手に入れたものを証拠品として調査捕鯨の不当性を訴えようなんていうのは何処をどうとっても理屈も理論も通らないと言う子どもでも判るような常識的な事をどうしてこの人達は判らないのでしょうね。あ、そうか、こういう社会常識がないからこそテロリストなんだ。アメリカは北朝鮮のテロ支援国指定を解除するという事ですが、アメリカ自体がグリーンピースなんていう世界的テロ集団を国内に抱えている訳で、自国をテロ支援国家に指定する事の方が先なんじゃないでしょうかね。


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税金を適正に使ってください
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 雨。 月齢16.3 立待月

 本格的な梅雨の雨が降っています。これでようやく梅雨本番という感じですが、ジメジメジトジトとした不快指数の高い状態になってしまいました。琵琶湖の水位は順調な推移を示しているようで、あんまり雨が降らなかった梅雨の前半だったというのに水不足気味ではないようです。

 実は、淀川水系にダムの建設計画があって、現在大きな問題になっています。国土交通省近畿地方整備局は大戸川ダムなど淀川水系4ダムの建設を盛り込んだ淀川水系河川整備計画を発表。これは淀川水系の今後20〜30年の河川整備に関する計画で、昨年8月に計画原案を策定。その後、諮問機関である淀川水系流域委員会がダムの建設の治水面での代替え案として堤防強化などを提案していましたが「実現が困難で技術的に解決できない課題がある」として意見を退け、審議の継続も受け入れないままに原案と殆ど変わらない計画案を発表しています。地方整備局の言い分では「委員会は計画を審議する機関ではなく、計画を遂行するための検討をする機関」なんだそうです。それにしても、意見を聞かない委員会をわざわざ設置する意味は何処にあるのでしょうか。計画に関する検討をする事こそ、委員会がするべき事で、ここで民間の意見が計画に組み入れられるのではないのでしょうか。計画ありきで委員会を設置するのならば、それは単に見かけ上「民間の意見を聞きましたよ」という体裁を整える為だけの組織という事になり、そんな税金の無駄遣いをするような組織には存在意義が無いのではないかと思います。
 いや、そもそもね、国が出してきた計画を地域が検討するというのが正しいあり方で、国の計画をそのまま適応するっていうのは時代に合っていないと思いますね。これこそ、地方分権の中で権限委譲するべき事なんじゃないでしょうか。水利権の問題についても痴呆性美挙区はぐだぐだ行っているようですが、現実には今の淀川水系って水が余っているくらいなんですよね。大阪市なんかは水利権の容量の8割弱程度しか最大でも使っていない状態ですから、足りない市町村と上手くやりくりすれば十分に補える状態なんですよね。これも道路行政と同様で利権を話したがらない中央政府の机上の論理で進めようっていう魂胆なんでしょうけど、環境問題が大きなファクターとなっている昨今でこういう無駄なダム建設って地元的には全く不要なんだと思うんですよね。これまた道路行政でも言っていた事で「これも雇用創出に必要な事業」なんていう理屈ならこれこそとんでもない税金と環境の無駄遣いです。こういう事をしつつ消費税を引き上げようなんていう話をしたって何の信憑性もないですね。こういう無駄な出費をなくした上で官僚の給料を今の7割くらいまで引き下げた上で税率どうこうっていう話になるのなら仕方ないですけどね。とにかく、淀川水系の計画は見直しが必要です。


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高齢者の避難
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 雨時々曇り。 月齢15.3 十六夜 満月

 「岩手・宮城内陸地震」発生から5日。まだまだ余震が続き、その上今日、東北地方は梅雨入りした事で土砂崩れや震災ダムの決壊が心配されています。実は私、震災ダムの決壊についてはおそらく自衛隊や消防等の活動で防がれるだろうと思っています。これ以上に心配なのは被災し、避難している人の多くが高齢者で生活環境が突然変わってしまった事や様々な不便や困難が出て来る避難生活の中で体調を崩したり精神的なストレスを溜め込んでしまう事でこれからの生活に大きな問題をかかえてしまうのではないかという事です。震源地付近の岩手県と宮城県の県境付近の村落は実は人口の50%以上が65歳以上の高齢者で構成される「限界集落」と呼ばれる地域で、高齢者が高齢者の介護を強いられてしまう事になります。そう考えると若いボランティアが必要ではないかと思うのですが、当該地域は今ボランティアの受け入れをしていないという事です。当該地域のボランティア受け入れを担当する社協によると、高齢者が多く、いわゆる「よそ者」が入ってくる事をあまり快く思っていない人が多いというのがその理由なんだそうです。とは言え、多くの人手が必要な事には変わりない筈ですし、若い人が多くてもそもそも被災していては自分の事で精いっぱいという状態になってしまうところに、限界集落という事で介護(いわゆる介護保健などのいう介護とは別の意味で) を必要とする人が大半ですから余計に人手は必要な筈なんですよね。建物の被害も多く、倒壊しないまでも屋根の瓦が落ちたりひび割れたりしていて梅雨の雨対策をする必要もある訳で、屋根の修理を高齢者だけでするとなると危険がつきまといます。そういう意味でも「よそ者云々」なんて言っている余裕はない筈なんですけどね。
 とりあえずまだ地震発生から6日しか経っていない訳で、今のところみなさんまだ緊張状態の中で過ごされているでしょうし、気が張っているからなんとか持っているという事もあるでしょうが、避難生活が長くなるとどうしても体調や精神的な事が大きな問題となってきます。また、復旧作業にはどうしても若い人でが必要でしょうからボランティアを受け入れないままではどうしようもないと思うんですけどね。本来ならその当たりを上手く導くのが社協の仕事の筈です。受け入れに消極的ではダメなんじゃないでしょうかね。
 震災以前から介護保健を利用していた人も沢山おられるでしょうから、これらの人の今後の介護支援計画に関しても検討が必要になるでしょう。避難所で生活している状況での介護支援についても検討が必要になるのではないでしょうか。また、支援事業所自体も被災しているのでしょうから、これらの代行をする必要が出てくるかも知れません。被災のストレスから状態とは違うニーズが出て来る可能性も大いにあります。この時期、介護等級を緊急避難的に上げるといった処置は出来ないのでしょうか。こういった事も検討して欲しいモノです。
 ともあれ、犠牲となった方にご冥福をお祈りすると共に、被災された方のご健康と早期の復旧をお祈りいたします。


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コミュニケーションスキルを磨けない社会
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 晴れのち曇り。 月齢14.3 十五夜

昨日、 1988〜89年頃に幼い女の子を相次いで誘拐、殺した上に遺体のビデオを撮るなどの猟奇的な犯行を繰り返していた事件の犯人宮崎勤の死刑が執行されました。あるマスコミなどは「秋葉原の事件が引き金になって犯罪抑止の意味で執行したようだが抑止的効果には疑問が残る」だとか、アムネスティや死刑廃止論じゃの中には「世界の流に反する人権蹂躙の行為」と言ったような事をいっていますが、世界がどうであろうが日本では合法的な刑。死刑が決定している死刑囚の刑の執行をするのは当然の事ですし、死刑が確定しているのに執行しない方が抑止的効果が無くなると私は思いますね。「人権蹂躙」との声もありますが、そもそも、被害者の人権を蹂躙して殺した犯人の人権を尊重するというのであれば、被害者の人権はどうすればいいのでしょうか。「目には目を」ではありませんが、人を殺すというもっとも酷い人権蹂躙をした犯人にはそれ相当の刑として死刑が妥当だと私は思いますね。また、死刑囚を一年間養うにはおおよそ230万円の経費がかかるそうです。それだけの税金の無駄遣いを続ける事にどんな意味があるのでしょうか。
 鳩山法相の唯一評価できる点は粛々と死刑を執行しているという点ではないかと私は思っています。司法において厳粛に判断された刑である死刑をその頂点たる法相の一存で執行しないまま放置し続ける事こそ背任行為ではないでしょうか。ただね、「慎重に検討した結果、絶対に誤りがないと自信を持って執行できる人を選んだ」とコメントしているようですが、これが余計な事ですね。そもそも「絶対に誤りがあってはならない判決」が下りている訳ですから、間違いがないというのが大前提になっている訳です。それを「絶対に誤りがないと自信を持って執行できる人を選ぶ」というのは裁判所や裁判官、また、裁判そのものを信用していないという事の裏返しでしかないでしょ。もっと言えば、じゃ、これ以外の死刑囚は冤罪の可能性があるという事なんでしょうか。この人、どうしてこうもバカなんでしょうか。

 この宮崎勤もですが、周囲との人間関係の形成に困難を抱えていた訳で、近年のこういった犯罪はコミュニケーションスキルやソーシャルスキルの低下が関係しているのではないでしょうか。では、コミュニケーションスキルやソーシャルスキルの低さは何処に起因しているのでしょう。今日はこの部分をもう少し考えてみたいと思います。
 「一度もケンカした事が無いくらい仲が良い」これ、本当でしょうか。そもそも違う人間同士が全く意見が食い違わないでいるなんていう事はあり得ない事で、正しくは「一度もケンカになった事さえないほど親密ではない」という事なのではないかと私は思っています。親密になればなるほど違う点が目につくのが当たり前で、だからこそ、話しをし、確認したり違っている理由を探ったり、違いを埋めたり、違いを理解し合ったりという事を繰り返していくのだと思います。彼らはそういった事はせずに表面な関係だけを築く方法ばかり上手くなり、ケンカをしたり意見がぶつかったりしながら本当に相手がどう考え、どうしたいのかを理解しあうというような面倒な事をしてこなかったのではないでしょうか。コミュニケーションとはそういったTry&Errorの中で学ぶ技術で、彼らはこういった技術を修得する機会を持てないままに育ってしまったのではないでしょうか。近年の人間関係の特徴はとても調子の良い波長のあった人間と関わりを作るが、決してあまり深入りしないという事が多いのではないかと思います。また、相手が自分と違う意見を言い始めると適当に相づちを打ってお茶を濁してしまうか、その後はその相手とは会わないようにしてしまうなど、相違点から逃げるようにする事が多いように思います。本来ならこの相違点がどういうモノでどういうところに拠って立っているのか、お互いが相手との相違点を確認し、理解する事が相手を尊重する事だと私は思っているのですが、近年の傾向はそうではないようです。こうやって逃げる事でコミュニケーションスキルやソーシャルスキルを磨く事をしないという選択をしているように感じます。
 反面、インターネットや情報端末などの進歩はコミュニケーションメソッドをどんどん多様化し、簡単にまったく見ず知らずの人と会話が出来たり関わる事が出来たりする環境を作り出しました。が、そもそも、現実世界でまともに周囲の人との関係性の形成が出来ない人にネットやヴァーチャル世界での人間関係が形成できたり維持できたりする訳がないんですよね。
 ところが、ヴァーチャル空間なら何でも相談できると思い込み、全く知らない相手に色々な事を相談してみたり、打ち明けてみたり、人間関係を求めたりする反面、ちょっと嫌な人が出てきたらすぐにその場から逃げてアクセスできないようにしたり、問題から逃避してしまう訳で、ヴァーチャルコミニティに対して過大に期待をしていたり、大きな勘違いをしてしまっているのではないかと思います。
 コミュニケーションスキルやソーシャルスキルを高めるには実際に人と関わり、話をする事こそが大切なのではないでしょうか。


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模倣する愉快犯たち
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 晴れ。 月齢12.3 十三夜

 昨夜降った雨のおかげであまり暑くない過ごしやすい朝でした。

 秋葉原の無差別殺人事件から1週間。政府はネット上の書き込みに関する監視やナイフの取扱についての規制などどの程度効果が上がるか解らないような手だてしか出来そうにありません。ネットの監視に数億円の予算を計上するとかっていう事ですが、そのコストパフォーマンスはどうなんでしょうか。迷惑メール対策で色々なキーワードを設定しても一向に迷惑メールが無くならないのと同じで、あまり効果が無いんじゃないかと私は思っています。多量の書き込みの中には嘘や挑発、悪戯といったものも沢山あるでしょうし、そこをどう区分するつもりなのでしょうかね。と、そんな事考えていたら、思ったとおりの悪戯が2件発生しています。
 ひとつは大阪のアメリカ村を舞台にしたもので、「6月16日3時にアメリカ村で無差別殺人おこします」「秋葉の件でこんな僕も勇気がわきました」などと、携帯電話から11回に亙って掲示板に書き込んでいた大阪学院大学の男子学生。彼は、「いたずらでやった。家も学校も面白くなく、世間を騒がしたかった」と言っているそうですが、大学4回生にもなってこういう事がして良い事かどうかの判断もつかないなんていうのは情けない事この上ない話です。家宅捜査の結果、彼の家からは凶器等は出てこなかったという事ですから、完全に愉快犯ですね。
 もうひとつは「九州の駅で歴史に残る大量殺人をする」「おれも加藤と同じなんだ。加藤に共感したんだ。おれ死刑になる。加藤よりも多い人数を殺す」と携帯電話の掲示板に書き込んだ福岡県の17歳の女の子。「こんなに大騒ぎになるとは思っていなかった」と話しているそうですが、どうしてどうなるかの想像が出来ないのでしょうか。秋葉原で起きた事件がどれ程ショッキングな出来事で、日本中を震撼させたかを考えると、普通ならこんな事すればどうなるのかの想像くらい簡単にできる事で、こんな事をしてはいけないと思う筈ですけどね。あるいは、彼らは実はどうなるのか(つまりどんな反応があるのか)の想像は出来ていて、だからこそその反応をみたくてこういう事をしたのではないでしょうか。ただ、書類送検をされるような「犯罪」にあたるとは思ってもみなかったという事なのかも知れません。いずれにせよ、あまりにも子どもじみた悪戯で呆れる限りです。
 この種の愉快犯はただ単に自身の「つまらなさ」を紛らわせるために社会を不安のそこに貶めようという卑劣な目的(本人自身はそこまで意識はしていないでしょうが潜在的にそういう思考がトリガーになっている事は間違いないでしょう)のためだけにその気もない犯罪を予告し、それに脅かされた社会がどう動くのかを楽しもうとした訳で許されざる下劣な行為です。本人は「たかが嘘の犯行メール。そんな大げさに扱わなくても」と思っているのでしょうが、この際、今後の模倣犯を防ぐ意味でもこの種の模倣犯は厳罰に処するべきでしょう。
 それにしても、秋葉原の大量殺人犯人にしても大阪学院大学の4回生にしても既に成人している人間がする行動としてはあまりにも幼稚すぎないでしょうか。また、博多の少女の行動も、17歳の女の子の行動としてはあまりにも突飛な行動に移るのは私だけでしょうか。模倣犯の二人は確実に秋葉原の事件に刺激されて行った行動でオリジナリティに欠ける非常に非個性的な、それでいて直前の衝撃が後を引いている中では大きなショックを与えるものでした。秋葉原の犯人も、「犯行後の事は考えていなかった」と言っているようですが、彼自身もその当たりの想像力に欠けているのではないでしょうか。彼には目の前で車で轢き殺したり刺し殺したりしている対象が人間であるという認識が欠けていたのではないでしょうか。また、模倣犯の二人も、その事がどんな影響を社会に与えるのか、あとはどうなるのかといった事を全く考えていない様子です。近年の犯罪を見ると、実はこの「想像力」や「共感力」がキーワードになっているのではないでしょうか。
 結局のところ教育の問題だというのが私の結論になるのでしょうが、彼らの情操面の育成歴や環境、教育といったところにおそらく何らかの共通項があるかも知れません。いや、無いかも知れません。が、想像力や他人の思いを共感するといった力が欠けている事は確実で、それらを育てる段階で十分に育てきれないままだったのではないでしょうか。模倣犯の二人に関しては詳しい報道がないので、彼らの育成歴や生活環境、友人関係などあまり見えては来ませんが、秋葉原の事件の犯人に関していえば、悩みを打ち明けられるような親しい友人はいないようですし、周囲との関係を作るのも下手だったようです。模倣犯の大阪学院大学の学生も、「家も学校も面白くなく、世間を騒がしたかった」と言っているくらいですから、おそらく友達もたいしていなかったのではないでしょうか。17歳の少女も、報道では「アルバイトの少女」という表現がされているようですから、おそらく学校には行っていなかったのでしょう。これらの悪戯でどんな鬱憤を晴らそうとしたのかよく判りませんが、仲の良い友人がいるのならこういう鬱憤晴らしはしないのではないでしょうか。つまり、彼らの周囲にはそれ程親しい人がいないという状況だったのではないかと想像出来ます。だからこそ、より濃密な関係作りをネットという世界に求め、もしかするとそこでもうまくいかなかったのかも知れません(秋葉原の殺人犯人は事実ネットでも上手く付き合えなかったようです)。Virtualな空間で完結する人間関係はとても希薄な関係で(濃密な内容を交わしていたとしても、それが継続的である保障は全くなく、自身の都合ひとつで明日から全く関係のない人になってしまう訳ですから本当の意味で濃密な関係とは言えないでしょう)、そしてある意味ではその希薄な関係を都合よく使ってもいるのでしょう。そこでさえ上手く人間関係を構築出来ないほどに彼らのコミュニケーションスキルは低いのです。

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職業倫理
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 曇りのち雨。 月齢11.3 宵月

 何だかようやく梅雨らしいシトシトと降り続くような雨が降ったって感じです。

 昨日午前8時47分頃宮城県、岩手県、秋田県の県境付近を震源にマグニチュード6.9の大規模な地震が発生。各地に被害を出しています。震源地付近は内陸部の山の中であまり人が住んでいなかった場所ですが、それでも現在の時点で8名がお亡くなりになり、10名を超える行方不明者がまだいます。被害の大きかった地域の大半が山間部で人のそれ程多くなかったところとは言え、山が崩れ地形が変わってしまっている様子を見るとその被害規模の大きさが判ります。ある専門家は「この山の崩落の半分くらいは人為的な問題」といっています。曰く、日本の山の殆どが人工林で、その上林業が低迷してしまった事で山が荒れているそうです。一見、とても豊かな自然の山のように見えて、それは実は人工的な「作られた自然」だったという事ですね。
 この地震の規模やメカニズムはこれから解明されていくのでしょうが、どうもこの地震を起こした断層は把握されていなかった断層だったようです。内陸部の地震とはいえ、この地域の海岸線にも原子力発電所がある訳で、原子炉等への影響が心配されます。

 三重県の整形外科で起きた点滴の作り置きが原因とされる医療事故ですが、どうやら作り置きは8年以上前から常態化していて、しかも作り置きされた点滴はナースセンターの机の上に常温で置かれていたようです。全ての看護師がこの状態を認識していて、全員が関与していた様子が伺える訳ですが、この状態をおかしいと指摘した人はいなかったのでしょうか。看護師になりたての人ばかりではなく、他の病院での勤務経験のある人も沢山いたようですが、その人達はどうしてこの異常な様子に対して異議を唱えなかったのでしょうか。と、この疑問を友人に投げかけると、「そんなの簡単な事じゃない。それを言うと、そこにいられなくなるからでしょ。」と言われました。なるほど。職業倫理よりも、保身がまず先に立っていたという事ですね。職場で上手くやる為に空気を読んだと。人の命よりも空気を読んでそれに合せる方が大切だったという事なのでしょうか。それで良いのなら、わざわざ看護師がやる必要はありませんね。アルバイトにでもさせておけばどうでしょうか。
 結局のところ、当該医院の看護師達はこれから先看護師として仕事をするのは難しいでしょう。看護師としての常識を守れなかった看護師達はどうやって看護師としての仕事をプライドを持って続ける事が出来るのでしょうか。良心があるのなら私は看護師としての仕事は続けられないと思いますね。少なくとも、もう一度勉強しなおして、その上で看護師としてのキャリアを積みなおすべきではないかと思います。
 この頃よく思う事ですが、プロがいなくなってきているのじゃないかと思うんですよね。だからこそ、滅多にリコールを出したりしなかったトヨタが大量にリコールを出したり、思いも寄らないような単純ミスが起きたりするのは経験豊富なプロがいなくなってしまった証拠ではないかと思うんですよね。周りを見渡して自らの仕事がどんな事にどんな影響を及ぼすのかを想像してみれば、そこから様々なものが見えてくるのではないかと思っているのですけれど、どうでしょうか。


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慢心
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晴れ。 月齢9.3 十日月

 映画評論家の水野晴郎氏が肝不全で亡くなられました。享年76歳。配給会社時代に外国映画の邦題をとても上手くつけていて、「史上最大の作戦」「真夜中のカーボーイ」「夕陽のガンマン」「007/危機一発」等素敵な邦題をつけられています。映画を愛し、映画の悪い面は一切触れず、良い部分を見つけそれを褒め称え続けた映画人生でした。ご冥福をお祈りいたします。

 このブログには「ブログ拍手」というボタンがあり、普通のコメントとは別にそこからコメントする事が出来る様になっていますが、しばらくの間コメントだけ停止いたします。拍手を頂く事、それと共にコメントを頂く事は大変嬉しい事ですが、エントリーの内容とは関係のないコメントや私の管理外のブログや掲示板に関する事についての書き込みが頻繁に投稿される事は本来の拍手コメントの意図からはかなりズレたものだと思いますし、いわゆるスパムと同様のものだと思います。私の管理外のブログや掲示板についてのコメントはこちらではなく直接そのブログ又は掲示板にお書き込みください。また、ご自身の日々あった事や感じた事を書かれるのでしたらご自身のブログやHPを立ち上げられる事をお薦めいたします。

 三重県の整形外科で点滴が原因の事故で1人が亡くなり、6人が体調不良から入院するという自体になっていますが、これもご存知の通り点滴の作り置きが原因という事。当該病院の医院長の談によると、以前は病院として点滴の作り置きをしていた事があるが現在では禁止事項としていて何度も口頭で点滴の作り置きはしないようにといっていたという事です。この病院の作業標準でも点滴の作り置きは禁止事項となっているという事ですが、口頭で何度も注意をしていたという事は医院長自身も点滴の作り置きが禁止されていても実際には行われていたという事を知っていたという事ですね。当該病院は毎日約350人程度の患者を診ているという事で、作業の効率化の為に朝、点滴を30程度作り置きしていて、残った分は翌日使っていたという事ですが、注意されても禁止事項とされてもそれらを無視して作り置きをし続けていた看護師達は一体どんな事を思っていたのでしょうか。冷蔵庫で保管していたという事ですが、低温でも繁殖力の旺盛な細菌は沢山ありますし、幾何級数的な増殖をするという事は高校生でも知っている常識です。冷蔵庫の清掃について「水拭きはお辞めください」とされているのは水拭きによって水分が与えられ、細菌の繁殖が活発になるからで、冷蔵庫の中でさえ繁殖する事をこの事からも読取れます。この程度の常識を看護師という専門職にありながら意識していなかったとすれば、彼らの職業倫理や専門家としての意識はどうなっていたのでしょうか。
 命に関わる仕事をしているという意識が彼らにはなかったのかというとそんな事はなかったでしょう。おそらく彼らはそれを誇りにするくらい命に関わる仕事をしているのだという自負があったのではないかと思っていますし、細菌が幾何級数的な増え方をする事くらいは知っていたでしょう。が、その自負心があまりにも大きくなり過ぎて慢心があったのではないでしょうか。自分がする事には間違いはない。自分だけは大丈夫なんていうのはよくある事で、飲酒運転や万引きなどの心理と同じだったのではないでしょうか。その驕りと慢心の結果、死者や重傷者を出す事になったのではないかと私は見ています。
 これは自戒を込めて慢心やおごりがとんでもない結果を引き起こしてしまうという事を教訓として覚えておかなければいけない事だと思います。


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またぞろ
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 晴れ。 月齢8.3 九夜月

 北朝鮮が「今後もあらゆるテロや、テロの支援に反対の立場を堅持する」とする声明を発表しました。これは、「テロ支援国家指定」を解除するにあたってアメリカ側が出していた条件を満たすための声明のようで、どうにかしてテロ支援国家の指定を早く解除して欲しいという目論見が滲み出していますね。が、アメリカは同時に日本との協議を進める事も条件に入れているため、日本に対する出方も注目するべきでしょう。と思っていたら、非核化に向けた措置の見返りの経済・エネルギー支援として、無煙炭のガス化施設の建設を求めていて、その建設費のうち4,000万ドル(約42億円)を日本に出すように言っているようです。これで何とか日本を振り回してやろうと考えているようです。ちなみにこの施設の建設に関しては中国に任せると言っているんだとか。つまり、中国に建設させてその支払いを日本が被れと。ちょっと虫が良すぎやしませんかね。そもそも、日本がこの支援に参加していないのは日朝間の最大の懸案が解決していないからで、その懸案、つまり、拉致事件に関してはどうするつもりなのでしょうか。これで一気にごり押しして事実上無かった事にしてしまおうという魂胆は見え見えですよね。42億円が惜しいとは言いません。何でしたらこの倍出しても良いんじゃないかと思います。が、「じゃ、100億円を日本が負担しますからその前に拉致問題を誠実に片付けてしまいましょうか。」くらいの事をアメリカや中国の出席の中で言ってみたらどうなんでしょうかね。現実にテロを働き、海外へ核を輸出しようとした事実があるのに、「今後もあらゆるテロや、テロの支援に反対の立場を堅持する」とよくも言えたものです。そんなに支援が必要なら、まずは自らが行った非人道的テロ行為(そもそも非人道的ではないテロなんて存在しませんが)を認め、全てを白日の下に嘘偽り無く曝し、全てを償った上で支援の要望を出すのが筋なんじゃないでしょうかね。
 それにしても、北朝鮮は核廃棄の対象について「プルトニウムの核施設に限られる。核分裂物質や核兵器は含まれない」とコメントしていて、これでは朝鮮半島の非核化には到底なり得ない訳です。そうであるにもかかわらず、原子力発電をやめる代わりのエネルギー支援策として42億円を出せっていうのはどうも理解の出来ない話ではないでしょうか。そもそも非核化の最も重要なものは核兵器の廃絶で、それを対象にしないっていうのは6カ国協議もその目標である朝鮮半島の非核化も嘘でしかない訳で、そんな事なら原子力発電を勝手にやってくれて構わないんじゃないでしょうかね。

 テロというと、先週末の秋葉原で起きた大量殺人事件はたったひとりの犯行とはいえ、あれはもう既にテロと言って良いのではないでしょうか。7人のかけがえのない命を奪い、10人に傷を負わせるという狂気の犯行は世界中を震撼させ、「日本ももはや安全ではない」と言わしめるに至っています。「Cool Japan」の代表的アイコンとしてのオタク文化の発進地での凶行は社会が自分を正当に評価してくれていないという思いからでたもののようで、犯人は親や会社、社会が悪いと責任を周囲に転嫁しています。この傾向はこの犯行に対しても、「誰かに止めて欲しかった」と逆に読めば誰も止めてくれなかったから殺人をしたんだ」と、責任転嫁の姿勢は続いている訳ですが、彼のこういった傾向は何処でどのように育っていったのでしょうか。そのひとつには有名進学校に進んだもののその後落ちこぼれていって短大卒業後も就職せず派遣社員として職を転々としたという経歴の中にもあるのでしょう。だからといって人を殺す正当な理由には何らなり得ない訳ですが、費正規労働者の増加は企業にとってはとても都合の良いものかも知れませんが、社会を不安定にし、治安を乱す要因になり得るとみていいのかも知れません。
 そもそも、人材派遣業なんていう人が働いた対価をピンハネするようなやくざな商売がはびこっている事自体が健全な社会とはいえないような気がします。短期の労働力を早急に手配しなければいけないような自体にはこういう人材派遣はとても有効なのでしょうが、近年では長期の低コストの労働力として利用されている訳で、これでは労働市場そのものを荒らしているに過ぎないと思うのですけどね。何でもかんでも自由化すればいいとして自由化していった小泉政権下で人材派遣に関しても自由化された訳ですが、これは早急に制限を設けるべきだと思いますし、少なくとも自由化以前の制約程度には戻すべきではないかと思います。
 この特異な凶行については今後も詳細を見守りたいと思います。


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公平性
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 曇りのち雨。 月齢7.3 上弦の月

 ムシムシとした日が続きますがそれでも雨が降らないっていうのは何だか中途半端な感じですね。とは言え、梅雨の中休みも今日までで明日からはまた雨が降り続くと言う事ですが、この時期の天気予報ってあまりあてにならないんですよね。

 後期高齢者医療制度は保険料の公平性を担保するものだという意見があるようです。当該制度開始以前は市町村格差は5倍以上あったものがこの制度の開始によって2倍程度まで格差が縮まったのだという主張です。介護保健しかり、支援費制度、障害者自立支援法しかり、昨日のエントリーで書いた通院費の助成しかり、近年の福祉施策はほぼ必ずといっていいほど「公平性」だとか「平等」だとかといった言葉が使われています。でも、本当にこれが公平で平等なのでしょうか。私にはこのどれもが公平でも平等でも無いとしか映らないんですよね。これはどうしてなのか、よくよく考えてみると「公平」や「公正」の基礎になるところが違っているという事に気が付きます。
 福祉の現場にいたりそこに深く関わっている人や当事者にとっての「公平性」や「平等」は「アクセシビリティの公平性」だとか「社会参加の平等性」などのように結果としての平等性を指す事が多く、施政者側にとってのそれは「利用するにあたっての負担の公平性」や「利用する機会の平等性」などと言うように制度を利用する事についての公平性や平等性を指している事が多いように思います。
 1981 年の「国際障害者年」でテーマとされたのが「完全参加と平等」で、障害があろうと社会に参加し、平等に生きる権利を持っているという思想が根付き始めました。その後の障害者運動はこの思想を基礎として育ってきたものだと思っています。障害者が社会参加をする上で大きな障壁となっているのはいわゆる「アクセシビリティ」という問題で、障害部位事に「アクセシビリティの対象」は違う訳ですが、肢体不自由の方の場合はやはり移動の問題が大きく、聴覚障害者の場合は情報へのアクセシビリティ、つまり、情報保障の問題が一番大きな問題です。その他にも例えば大腸や直腸の障害で人工肛門を使っておられる方はそれに対応したトイレの問題がありますし、視力障害の方の場合は移動や文字情報といったものへのアクセスの問題が大きな問題となります。逆に言えば、これらのアクセシビリティの問題が解決出来れば障害者の社会参加は大きく進展する事になります。
 障害者自立支援法では「サービスを利用するのだから利用料を自己負担するのは当然の事。健常者もサービスを利用すれば費用を負担するのだから障害者だけが負担しないのは不公平。社会の公平性を考えると例え1割であっても自己負担をするのが公平で平等だ」というのが、自己負担に対する考え方のようです。が、そもそもスタート地点が違っている訳ですから、その差を補う事がどうして不公平なのでしょうか。社会が健常者を基準に作られている為に障害者は不自由を被っている訳で、それをどうして自分に責任がある訳ではないのに、ただ単に障害があるからというだけで、不公平な扱いを受け、それを是正する為にまた不公平な費用負担を強いられなければいけないのでしょうか。基準が健常で健康な人に置くという事自体既に大きな不公平が存在している訳で、それを公平な状態に戻すために利用したサービスに費用を払うべきなのは障害当事者なのでしょうか?それとも、社会の根幹を整備する義務を有する国もしくは自治体という事でしょうか。
 後期高齢者医療制度に関しても、政府は保険料の公平性を担保する為という説明をしていますが、これはどう見ても公平なものだとは思えません。高齢者が高齢になればなるほど病気にかかりやすくなったり身体に支障が出てくるのは当たり前の事です。それらは本人の責任ではなく(本人の責任である部分を一部には存在しているでしょうが)高齢になった故の問題で、誰もが将来抱える問題です。
 今朝のテレビで問題になっていたのは75歳の誕生日に支払額が倍になってしまうという問題でした。つまり、誕生月にはそれまでの国民保険と後期高齢者医療の両方に加盟している事になり保険料も両方に払わなければいけません。また、それぞれの算定基準に従った個々の支払いも発生する訳で、これでは二重取りという事になってしまうのではないでしょうか。厚生労働省はこういう事例についても実は想定範囲内という事で、「今のところそれに対する対応をする予定はない」とのこと。つまり、これは確信犯だっていう事なんですね。
 こういう事が出来るのは結局のところ自分たちの上に降りかかる火の粉ではないからで、彼らが後期高齢者医療に加盟する年齢になったところで彼らは十分に手厚い年金が待っている訳で、痛くも痒くもないという事なのでしょう。公務員も国会議員も国民年金に一本化すれば良いんじゃないでしょうかね。

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プロとしての存在
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 晴れ時々曇り。 月齢4.3 五日月

 実はこの所大型量販店を利用する事が何度か続き、その時に思った事なのですが、最近の専門店(特に大型量販店)の店員さんの商品知識が昔と比べると圧倒的に低くなっているように思うのですが、みなさんはそう感じた頃ありませんか?
 1つは我が家の電子レンジがダメになったので買い換える事になり、某超有名大型量販店が最近近所に出来たのでそこに行ったときのことです。家人はあれこれ物色し、最近話題のスチームレンジを買う事に決めていたようです。で、実際にどのメーカーのどの機種にするかという事でその超有名大型量販店に行った訳ですが、現物を見てもどれが良いのかさっぱり判らない。とりあえず家人がカタログで見当をつけていた機種を価格と比較しながら目星をつけていたのでその機種を見ていたら、その隣に同じメーカーで同じような機種があり、価格も少し違う程度だったのでどう違っているのかを店員さんに聞いてみようと思ったので呼んで聞いてみたところ、「これは当店仕様で作って貰ったものでダイヤルが一つ少ない程度の違いです」との返事でした。ダイヤルが少ない事で何処がどう違っているのかを聞いてみてもはっきりしない返事で要領を得ないものでした。インターフェイスとしてのダイヤルがひとつ少ないとなるとそこには必ず何らかの合理的な理由がある筈で、性能や使い勝手に差があるのが当然の事だと私は思うのですけども、この店員はそういう発想をする人ではなかったようです。消費電力の違いがあるのかを訪ねても「殆ど同じです」と言いつつカタログをめくって「少し純正のものの方が低いようですね」と言うだけ。詳しい違いがどういうものか、違いがないのかもよく判っていない様子で何を聞いてもどうもよく判らない。最終的に純正品にしたのですが、何が違っていたのか、どっちが良いのかは結局判らず終いでした。
 もう一つは、仕事で使っている某社のデジタル一眼レフに職場のスタジオフラッシュを繋げられないかと思い、カタログを見ても少し判りにくかったのでこれも某有名カメラ量販店に行ってカメラ本体にはシンクロ接点が無いのでどうすればスタジオのフラッシュと接続出来るのかを店員に尋ねたところ、サプライ品のカタログを出してきて「このケーブルを使って頂けば接続出来ます」ととっても涼しい顔で答えてくださいました。だからさ、そのケーブルを挿す接点が無いんだって今言わなかったっけ。「で、それは何処にどんなふうに挿せば良い訳ですか?」と訊くと、「このケーブルの差し込みをカメラ側に繋いでください。」「………………」だからさ、何処に挿すのさ。「だからね、カメラ側に接点が無いから挿せないんだけど、何処にどうすれば繋がるの?」「このケーブルのこのプラグをカメラのコネクタに繋いでください。」…………まだ言ってるよ。この子。「だから、何処に繋ぐの?」ここまで言ってようやく話が繋がっていないという事に気が付いたみたいで、「カメラの型番は?」と訊いてきたので答えると、それに該当するカメラを出してきて、「繋ぐところありませんね」だって。だからさ、最初から言ってるでしょ。「だから、どうすればそのシンクロケーブルは挿せるのかな?」といったらようやくこちらの訊いている意味が解ったみたいで、「メーカーに聞いてみます。」だって。で、「ストロボのメーカーとか型番とかは解りますか?」だって。だからさ、最初からスタジオフラッシュだって言ってるでしょうが。「いや、だから、ストロボじゃなくってスタジオフラッシュね。シンクロ接点で繋ぎたいんだけどどうしたら良いの?」「メーカーは?」ああ、この子、ホントに解ってないわ。「コメットのチャージャーが繋がってます。」「ではメーカーに確認してみます。」という事で、メーカーに電話をし始めた訳ですが、どうにもこちらが言っている事がちゃんと理解出来ていないみたいで言っている事が食い違っているんですよね。「お客様が純正ではないストロボを使いたいとおっしゃっているのですけど、どうすれば繋がるのでしょうか」いやいや、だから、ストロボじゃなくってフラッシュだって。結局理解出来ていないままに話をすすめてしまっていたので電話の後の説明のチンプンカンプン。確かにね、純正ではないサプライメーカーのストロボを本体から離して使うにはそれで良いんだろうけど、そんな事訊いちゃいないんですけど。「だからね、昔風に言うと、 X接点が本体側にないから、シンクロケーブルをつなげられない訳で、要するに訊いているのはX接点を出してシンクロで繋ぐ方法はどうすれば良いのかって事なんだけど。意味は解る?」で、結局もう一度メーカーに電話して色々訊いていたみたいですが、ちゃんと説明出来なかったみたいで、今度も答えがチンプンカンプン。結局出来ないっていうような答えで、「そうですか。解りました。」って帰ってきたんですよね。で、改めて直接メーカーに電話して訊いてみたら、サプライメーカーのホットシューアダプターを使えばシンクロ接点は出せるっていう事だったんですよね。それにしても、ストロボとフラッシュの違いも解らないような人がカメラ店の接客してて大丈夫なのでしょうかね。
 こういう専門領域の知識を持っているからこそ、買う側は安心してその店を信用する事が出来るんですよね。買う側がしたい事がその製品で出来るのか、どんなふうにすればそれが出来るのか、その使い方だとどんな商品が良いのかっていう事を的確に判断出来る人がいないようではその店を信用する事なんて到底出来ません。インターネットでいくらでも安い店を探して通信販売で買う事が出来る時代に、わざわざ店に行って買うっていうのはその当たりの事を訊きたいからこそなんじゃないでしょうか。例えアルバイトだったとしても、その店で働いている限りはそこで取り扱っている商品に関しては買い手側よりもよく知っていてこそプロなんじゃないかと思うんですよね。そういうプロ意識を持って欲しいモノです。
 と、この状態を逆さまに考えてみると、企業がコスト優先で安くて済ませられるアルバイトばかりを多用する事がこういう知識の不足の原因なのかも知れません。質の低い労働力で良いと思っている企業には質の低い労働者しか集まらないという事なのでしょうか。


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生活保護者の通院移送費カット
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 晴れのち曇り。 月齢3.3 四日月

 朝は久々の晴天だったんだけど、だんだんと曇ってきています。大阪近辺では今日夕方からスペースシャトルと国際宇宙ステーションがドッキングした状態で飛行している姿が見られるかも知れないと思っていたのですけどね、結局雲が広がって空なんて全然見得なくなっちゃいました。明日からまた本格的な梅雨に戻りそうですから、残念ながらスペースシャトルを見るのは無理なのかも知れませんね。

 生活保護受給者の通院について通院費が今まで援助されていたモノが北海道で起きた通院費の架空請求事件をきっかけにして見直しがあり、通院移送費に関しては原則カットという事になってしまいました。この北海道の事件は大きく報道されたので皆さんよくご存知だと思いますが、不正受給の額が全生活保護支給額に占める割合は最大で0.33%に過ぎず、厚労省は「不正受給を防ぐ為」といっていますが、実はこれがホントの狙いではなく、交通費助成をやめる事による医療費の抑制が狙いではないかと言われています。
 生活保護受給者の約40%が病気が元で生活保護を受ける事になったという実情があります。病気が元で働けなくなって仕方がなく生活保護を受けている訳ですから、もう一度働けるようになる為には病気を治す事が大切になる訳です。が、通院費の助成がなくなれば、そもそも働けないような病気になっている訳ですから病院へ通うのも難しくなる場合が多い訳です。また、生活保護を受給している重度障害者も多いのですが、彼らにとってそもそも外出そのものが大変な中で通院助成がなくなればこれは一大事です。病気になり易い障害者が病院へ通う事もままならない状態になるというのは命に関わる状態になりかねない訳で、これも、後期高齢者医療や介護保健などと同じで、まず予算ありきの計画の中で政策を作っているというのがよく判るのではないでしょうか。通院移送費は平均するとおおよそ3,000〜4,000円/月です。たいした金額ではないと感じるかも知れませんが、生活保護費はおおよそ10〜12万円/月程度で、つまり、おしなべると1日3,500円程度という事になる訳で、通院移送費は1日分の生活費という事になります。現実にはここから住宅費などが引かれる訳ですから、生活費としては1日分どころか2・3日分という事になるかも知れません。つまり、通院費を自己負担するとなると2・3日食事を抜かなければいけなくなるかも知れない訳です。生活保護はそもそも生存権の保障という意味を持っています。ところが、こういう状態では生存権を保証しているとはい得ません。7月にホントにこの通院費助成が打ち切られるともしかしたら命を落とす人が出てくるかも知れませんね。その時、厚労省はどうするのでしょうか。その時になって慌てて済む問題ではないというのが解っているのでしょうか。



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大阪維新
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 晴れ。 月齢2.3 三日月

 いつも通り梅雨入りすぐの「梅雨の中休み」に入ったような状態になっていますが、後になって「実は梅雨入りはもうちょっと後でした」なんていう修正が入るのかも知れませんね。

 橋下知事の財政再建を主軸とした「大阪維新プロジェクト」の案が「PT案」を元に出されました。これによると、市町村への貸付金や私学助成、子育て支援や地域就労支援、そして大型プロジェクトなどに関しては廃止若しくは削減で、警察官の定員削減や医療助成、三島救命救急センターへの補助や今年度の市町村への補助金と35人学級生については見送りという事になったようです。財政健全化の為の1,100億円の削減はなんとか達成したという事だそうですが、あらゆるものを切り捨てての財政再建は大阪の底辺の体力を根こそぎはぎ取っていくのではないでしょうか。障害者施策などについては原則据置きという事ですが障害や自立支援法や介護保険の改悪により閉め出されたりこぼれ落ちたりした弱者に対するセーフティネットはどう考えているのでしょうか(もっとも、これは本来国が考えるべき事ではありますが)。
 私学助成金の削減は私学に通わざるを得なかった子ども達にとっては深刻な事態を招くでしょう。また、これは私学の経営悪化を招き、結果として子ども達に大きなしわ寄せがいく可能性も高いのではないでしょうか。橋下知事はこれと共に中学校の放課後の補習授業の取り組みを検討されていますが、これをまず初めて、学力面当で結果が現れた後に私学の助成を減らすというのであればまだしも、これでは子どもにしわ寄せがいくばかりという気もします。
 職員の給料に関しては都道府県の最下位の水準にするという事で、原案通りという事ですが、「給料」と「給与」というのがあって、実は、給料に様々な手当を含めた「給与」の水準はというと最下位ではないんですよね。大阪府は大阪市同様様々な手当が付いていて実際の手取額はそれ程低くはないという裏があるんですよね。大阪府の職員給料の引き下げに関しては「JanJanNews」というサイトに吉田みえこ氏という大阪府の中学教員が自身の意見として「知事が145万円も給料もらっているのと大きく違います。手取り、34.5万円ほどの給料で家族を養っている私たちが、一体どれだけ贅沢なことができると思ってはるのですか。」と書いています。手取りで 34.5万円を彼女は「私たちの給料はけっして高くありません。」と言っています。果たしてそうなのでしょうか。手取りで34.5万円。額面ではいくらなのでしょうか。おそらく40万を超え45万円近いのではないでしょうか。おそらくこの人は年収で750〜800万円程度の所得のある人だと思われます。 34歳の女性でこれほどの所得の人が民間企業でどの程度いるのでしょうか。民間では平均的な年間所得はおおよそ430万円程度。今や「年収200万円時代」と言われ、リストラや減給なんていうのはざらにある時代です。どれだけ頑張って働いても、企業が経営難になれば当たり前のように給料を下げられます。それが嫌ならその企業から出て自分が思うように自分を評価してくれる新しい職場を探すことになる訳です。これが民間の極々普通の労働環境です。教員の多くは一般企業で働く「本当の意味の民間の暮らし」というものを知らない閉鎖的な環境の中だけで暮らしている人たちで、本当の意味の社会を知らないというのがこの給料感覚でもわかるのではないでしょうか。750万円以上の所得のある人が「たったこれだけの給料」というのなら我々はどうなるのでしょうか。
 府の財政難の原因は自分達にはないというのが彼ら府職員の思いでしょうが、果たしてそうなのでしょうか。非効率的な労働をすることも結果として財政的負荷をかけているという事になる訳で、原因が全く自分達には関係ないなんていうのは全くのナンセンスです。私自身は橋下氏の「大阪維新」には賛成ではありませんが、職員の給料削減は当然の事と思っています。


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