川辺のタヌキ
  • Author:川辺のタヌキ
  • 大阪で活動している手話通訳者。大学で芸術学部に在籍するもなぜか福祉分野へ。
    芸術を愛し、人との関わりを愛するお人よしです。
  • RSS
川辺のタヌキの独り言
川辺のタヌキの日々の雑感をとりとめも無く綴ります。
ご訪問者の方々


カレンダー

08 | 2008/09 | 10
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 - - - -


プロフィール

川辺のタヌキ

Author:川辺のタヌキ
大阪で活動している手話通訳者。大学で芸術学部に在籍するもなぜか福祉分野へ。
芸術を愛し、人との関わりを愛するお人よしです。


最近のコメント


最近の記事


天気予報


-天気予報コム- -FC2-


カテゴリー


月別アーカイブ


QRコード

QRコード


ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる


リンク

このブログをリンクに追加する


ブログ内検索


RSSフィード


Powered By FC2ブログ

Powered By FC2ブログ
ブログやるならFC2ブログ


公平性
IMG_2025.jpg


 曇りのち雨。 月齢7.3 上弦の月

 ムシムシとした日が続きますがそれでも雨が降らないっていうのは何だか中途半端な感じですね。とは言え、梅雨の中休みも今日までで明日からはまた雨が降り続くと言う事ですが、この時期の天気予報ってあまりあてにならないんですよね。

 後期高齢者医療制度は保険料の公平性を担保するものだという意見があるようです。当該制度開始以前は市町村格差は5倍以上あったものがこの制度の開始によって2倍程度まで格差が縮まったのだという主張です。介護保健しかり、支援費制度、障害者自立支援法しかり、昨日のエントリーで書いた通院費の助成しかり、近年の福祉施策はほぼ必ずといっていいほど「公平性」だとか「平等」だとかといった言葉が使われています。でも、本当にこれが公平で平等なのでしょうか。私にはこのどれもが公平でも平等でも無いとしか映らないんですよね。これはどうしてなのか、よくよく考えてみると「公平」や「公正」の基礎になるところが違っているという事に気が付きます。
 福祉の現場にいたりそこに深く関わっている人や当事者にとっての「公平性」や「平等」は「アクセシビリティの公平性」だとか「社会参加の平等性」などのように結果としての平等性を指す事が多く、施政者側にとってのそれは「利用するにあたっての負担の公平性」や「利用する機会の平等性」などと言うように制度を利用する事についての公平性や平等性を指している事が多いように思います。
 1981 年の「国際障害者年」でテーマとされたのが「完全参加と平等」で、障害があろうと社会に参加し、平等に生きる権利を持っているという思想が根付き始めました。その後の障害者運動はこの思想を基礎として育ってきたものだと思っています。障害者が社会参加をする上で大きな障壁となっているのはいわゆる「アクセシビリティ」という問題で、障害部位事に「アクセシビリティの対象」は違う訳ですが、肢体不自由の方の場合はやはり移動の問題が大きく、聴覚障害者の場合は情報へのアクセシビリティ、つまり、情報保障の問題が一番大きな問題です。その他にも例えば大腸や直腸の障害で人工肛門を使っておられる方はそれに対応したトイレの問題がありますし、視力障害の方の場合は移動や文字情報といったものへのアクセスの問題が大きな問題となります。逆に言えば、これらのアクセシビリティの問題が解決出来れば障害者の社会参加は大きく進展する事になります。
 障害者自立支援法では「サービスを利用するのだから利用料を自己負担するのは当然の事。健常者もサービスを利用すれば費用を負担するのだから障害者だけが負担しないのは不公平。社会の公平性を考えると例え1割であっても自己負担をするのが公平で平等だ」というのが、自己負担に対する考え方のようです。が、そもそもスタート地点が違っている訳ですから、その差を補う事がどうして不公平なのでしょうか。社会が健常者を基準に作られている為に障害者は不自由を被っている訳で、それをどうして自分に責任がある訳ではないのに、ただ単に障害があるからというだけで、不公平な扱いを受け、それを是正する為にまた不公平な費用負担を強いられなければいけないのでしょうか。基準が健常で健康な人に置くという事自体既に大きな不公平が存在している訳で、それを公平な状態に戻すために利用したサービスに費用を払うべきなのは障害当事者なのでしょうか?それとも、社会の根幹を整備する義務を有する国もしくは自治体という事でしょうか。
 後期高齢者医療制度に関しても、政府は保険料の公平性を担保する為という説明をしていますが、これはどう見ても公平なものだとは思えません。高齢者が高齢になればなるほど病気にかかりやすくなったり身体に支障が出てくるのは当たり前の事です。それらは本人の責任ではなく(本人の責任である部分を一部には存在しているでしょうが)高齢になった故の問題で、誰もが将来抱える問題です。
 今朝のテレビで問題になっていたのは75歳の誕生日に支払額が倍になってしまうという問題でした。つまり、誕生月にはそれまでの国民保険と後期高齢者医療の両方に加盟している事になり保険料も両方に払わなければいけません。また、それぞれの算定基準に従った個々の支払いも発生する訳で、これでは二重取りという事になってしまうのではないでしょうか。厚生労働省はこういう事例についても実は想定範囲内という事で、「今のところそれに対する対応をする予定はない」とのこと。つまり、これは確信犯だっていう事なんですね。
 こういう事が出来るのは結局のところ自分たちの上に降りかかる火の粉ではないからで、彼らが後期高齢者医療に加盟する年齢になったところで彼らは十分に手厚い年金が待っている訳で、痛くも痒くもないという事なのでしょう。公務員も国会議員も国民年金に一本化すれば良いんじゃないでしょうかね。

テーマ:日々のつれづれ - ジャンル:日記

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する