川辺のタヌキ
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  • 大阪で活動している手話通訳者。大学で芸術学部に在籍するもなぜか福祉分野へ。
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常識力の欠落
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 曇り。月齢22.3 二十三夜 下弦

 イタリア・フィレンツェ市の「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」の大理石の壁に岐阜市立女子短期大学の学生6人がマジックで落書きをしたという事で、大騒ぎになっています。この大聖堂、世界遺産に指定された地区に建っていて、1296年から140年もの歳月をかけて建設されたルネッサンス建築の代表作で、パッツィ家によるメディチ家暗殺の舞台にもなり、ダンテが子どもを助けるために水盤を斧で割った舞台にもなった由緒正しい場所です。また、京都産業大学の学生3人も同大聖堂に岐阜市立女子短期大学同様に落書きをしていた事が発覚しています。京産大の落書きをした19歳と20歳の学生は「みんながやっているからと安易な気持ちでやったことを恥ずかしく思う」と言っているそうです。が、みんながやっているからしていいと思う安易さはあまりにも短絡的で一般常識に欠ける行為ではないでしょうか。日本なら、東大寺や二条城、清水寺などに落書きをするのと同じようなもので、大学生にもなってこれがして良い行為化してはいけない行為かの正しい判断が出来ないっていうのが私にはもう理解の外です。
 短大には事件露呈後25日までに 500件を超える電話やメールが殺到しているんだそうです。その殆どが抗議の内容ですが、中には「心ない批判から学生を守ってあげて」というものもあったとか。岐阜市立女子短期大学は登校した全学生を集めて事情を説明したほか、いたずら書きした6人の精神的なケアをするため全員に担当職員を付けたそうですが、申し訳ありませんが、そんな必要ないんじゃないでしょうか。いやいや、それどころかこういう学生は大学生としての知性や教養を備えていない訳ですから、即刻退学にするべきじゃないのでしょうかね。大学側はこの件について当該6名に厳重注意をしてますが、そもそもこの6名の謝罪がないというのはどうしてなのでしょうか。「自分がした事の責任を取る」のが大人の社会ですから、この行為がどれほどのものかを考え、大学生として責任を取るのならまずは謝罪をしてその上で適切な処分を受けるべきだと思いますね。「心ない批判から学生を守ってあげて」なんて言っているから他者に迷惑をかけるような行為を平気でする人間が増えるんじゃないでしょうか。心ない行為をしたからこそ受ける批判であればそれは甘んじて受けるべきなのではないでしょうかね。この人自身はこの由緒ある歴史的建造物に落書きを刷るという行為を「心無い行為」とは思わないのでしょうか。京産大はこの学生3人の処分を検討中と言う事ですし、3名も反省をしていると言う事ですが、厳粛な処分をするべきだと思います。
 それにしても、して良い事としてはいけない事の基本的な判断が正しくできない状態で大学に入れてしまうって言うのは学力と常識力が完全に別のものだという事を示していますし、現在の初等・中等教育の中でこういった常識力を養うことをしてきていないことを意味しています。眞、こういう常識力っていうのは学校だけの問題ではなく、課程で如何に常識を教えてこなかったかって言う事も出てきている訳で、これは悲劇なのかも知れません。家庭教育の中で子どもに常識を教えられないというのは教える立場にある大人、つまり親世代自体が常識に欠けるという事かも知れませんね。ま、確かに、この世代の親っていうのは「モンスターペアレンツ」のはしりくらいの世代ですから、常識力が弱いといえば確かにそうかも知れません。
 実は私自身もこの親世代の一角にいる訳なんですが、地域性もあるのでしょうが、私が子どもの頃はまだ街にうるさい雷親父がいて、子どもが悪さをしていると叱られたものです。また、小学校の低学年までは長屋暮らしをしていましたから、長屋全体が家族のような関係で、子供達は長屋全体が育てるような仕組みがありました。私のうちは共働きで母親が帰ってくるのがだいたい6時過ぎでしたから、それまでの間長屋全体が面倒見てくれていたようなものでした。そういう沢山の大人に囲まれた生活をしていると、当然ですが大人達の躾を受けて育っていく事になります。子どもと大人、様々な年齢層の人間が一つの空間で一緒に生活をするというのは社会教育にとても良い環境なのではないでしょうか。でも、こういう環境、今はなくなってしまいましたね。
 そういう意味でも、地域コミュニティの再生はとても大切な事なお出はないかと改めて思いました。


テーマ:日々のつれづれ - ジャンル:日記

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