川辺のタヌキ
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  • 大阪で活動している手話通訳者。大学で芸術学部に在籍するもなぜか福祉分野へ。
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刑法39条
IMG_2139.jpg


 曇り。

 秋葉原でまたも刃物による傷害事件が起きてしまったようです。これは職務質問をした警察官に対してナイフを出して切りつけたもののようで大量殺人事件とは性質が全く違ったもののようです。
 実は秋葉原の殺人事件の犯人について「2ちゃんねる」や一部のブログではアスペルガー症候群だったのではないかなどと書かれているようですが、私が見る範囲では明らかにアスペルガー症候群ではないと思っています。この件も含めて、刑法39条について考えていた矢先、6月25日の産経新聞朝刊に被害者の家族の方が書かれた刑法39条の見直しについての記事が目に飛び込んできました。
 まずは、刑法39条についてもう一度復習したいと思うのですが、法文では、

第39条 心神喪失者の行為は、罰しない。
2 心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。

と書かれています。
 判例によると心神喪失とは「精神の障害によって事物の理非善悪を弁識する能力または弁識に従って行動する能力が欠如している場合」を指し、心神耗弱とは「精神の障害によって事物の理非善悪を弁識する能力または弁識に従って行動する能力が著しく減少している場合」を示すそうです。これに従って現在は精神鑑定で心神喪失や心神耗弱が認められた場合、刑法39条が適応され、責任能力が無いと判断され、刑の減免が為されます。
 産経新聞の記事は平成16年に茨木市で起きた車によって二人を殺すといった内容の事件の裁判で犯人が犯行当時心神喪失状態で責任能力がなかったとして無罪(求刑は無期懲役)の判決が1審・2審共に出ています。捜査段階と1審公判段階で精神鑑定を受け、統合失調症に罹患し幻聴による「悪魔の声」を聞き犯行に及んだという鑑定結果が出ているという事ですが、捜査段階の鑑定では「心神耗弱」後半時の鑑定では「心神喪失」と違った結果が出ています。
 遺族と被害者のコメントとして、「例え心神喪失者であっても人の命を奪ったり重大な被害をもたらしたのであれば罪の程度を明らかにして罪を償うか社会から完全に隔離してしまわない限り再発防止にはならないのではないか」「加害者の人権ばかりが尊重され被害者の人権が顧みられない事には憤りを感じる」「刑法 39条の解釈や改廃について国民的議論がなされるべきではないか」との意見を発表しています。
 私が以前から疑問に思っていたのは、果たして精神鑑定で本当に「心神喪失や心神耗弱状態で犯行に及んだ事が証明出来るのか」という点なんですよね。確かに、精神鑑定の時点での精神状態はある程度(あくまでもある程度ですが)確認する事が出来るかも知れませんが、果たして犯行に及んだ時点の心神状態について遡って証明する事がホントに可能なのでしょうか。以前から心神喪失や心神耗弱が認められている人なら犯行時点の心神の状態についてかなり正確に推測する事が出来るかも知れません。が、犯行前の心神の状態が確認されていない人の犯行時点の心神の状態に何処まで迫る事が出来るのかというと、私はかなり疑問を感じるんですよね。
 これは飲酒運転で事故を起こし現場から逃げた犯人を捕まえて呼気に含まれるアルコール量や血中アルコール量を調べたからといって事故を起こした時点のアルコール摂取に関しては断定的な事が言えないという事と同じではないかと思う訳です。
 つまり、正常な神経の持ち主であれば、例えば秋葉原の事件のような大量殺人を起こした後にその事実を客観的に受け入れた場合、その事実が理解出来た事によって心神喪失や心神耗弱といった状況に陥ったところで全く自然な事ではないかと思うんですよね。そういう意味で、現行の精神鑑定の証明能力というモノに対しては疑問を感じています。また、そもそも精神鑑定そのものの正確性というモノに大きな疑問があるのではないでしょうか。
 もうひとつ、踏み込んで考えると、心神喪失や心神耗弱を理由として責任能力が無いという理由で刑を減免する事が果たして人権の尊重となっているのかという点です。かつて刑法には「40条」というのがありました。これは1995年改正時に削除されていますが、この項目は「いん唖者ノ行為ハ之ヲ罰セス又ハ其刑ヲ減軽ス」と書かれていてかつて(と言っても13年前までですが)聴覚障害者はその障害ゆえ減刑されていました。が、当事者団体の要望などからこの項目は削除されています。これはかつて聴覚障害者教育が不十分で、情報保障が十分に為されていないまま放っておかれていた時代に出来た法律で、当時は教育の不十分さと情報保障の不足ゆえ聴覚障害者は正しい判断が出来ないと言う事で刑を減軽されていたという事ですが、当事者や支援者の運動の中で教育と情報保障がある程度整ってきた中で削除されたものです(十分な整備ではありませんが)。
 また、昨今では障害者の人権を様々な点で認め、それを反映し得る社会を作るという方向に動きつつあります。高齢者福祉における介護保健も、本来は当事者の人権を尊重し、「自己判断・自己決定に従ったサービスの提供」が謳われ、それに伴って自己負担を請求するという形で始まっています。また、これを広汎に採り入れて作られた障害者自立支援法においても同様の考え方から自己負担を課しています。これを「権利と義務」という考え方で見ると、「自己の要求を受け入れてもらう権利」を果たす為の「自己負担の義務」という関係と捉える事も出来ます(福祉施策における自己負担の正当性については異論がありますが)。心神喪失や心神耗弱を理由として責任能力が無いと認めるのは、いわゆる「禁治産者認定」と同じで彼らの正当な権利を剥奪するという事なのではないでしょうか。一方で彼らの人権を守り、社会生活を大きく拡げようとするのであれば、当然それに伴う義務としての部分も背負うべきなのではないかと思う訳です。つまり、社会環境の整備という問題は残りますが、私は彼らの人権を尊重するのであれば心神喪失や心神耗弱を理由とする刑の減免をするべきではないと考えています。とは言え、先に言ったように社会環境が整っていない現状ではこのまま刑法39条を改廃する事には危険が伴う訳で、まずは環境整備を進めなければいけないと思いますけれど。

テーマ:日々のつれづれ - ジャンル:日記

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